2017年11月11日

ヒムカレッジ2017 vol.2 『千年 生きる村を。~ 西都市 銀鏡の挑戦 ~』を 開催しました!

9月12日(火)に、農業生産法人株式会社かぐらの里 濵砂修司さんをお招きし、今年度第二弾となるヒムカレッジ2017 vol.2 『千年 生きる村を。~西都市銀鏡の挑戦~』を開催いたしました!



□講師紹介
--------------------------------------

濵砂 修司 氏(農業生産法人 株式会社かぐらの里 代表取締役社長)

宮崎県西都市の銀鏡生まれ。3人兄弟の長男。小学校3年から剣道一筋で、学生時代は1日も欠かさず竹刀の素振りをするほどの負けず嫌いの性格。卒業後、JA入社。山間部を1軒1軒回り、地域に根付いた仕事を行った。10年後、「集落存続のためには働く場所は絶対である」との決意で、父の事業を継ぐことを決める。過疎化に揺れながらも、豊かな自然、歴史、文化をもつ「銀鏡」という村を残すための会社を目指している。今後は、村の中で生きるための衣・食・住の総合的な会社にし、これからの千年を生きる村づくりの夢をもっている。
--------------------------------------

当日は大学生から、地域づくり活動ベテランの方まで、幅広い年代の方にご参加いただきました。これからの時代に愛する地域を残すにはどんな戦略が必要か?濵砂さんのこれまでの取組み、これからの展望を熱く語っていただきました!



〇親子二代で作りあげた「千年生きる村を」というフレーズ
濵砂さんが現社長を務められるかぐらの里の始まりは、お父さんの代から。昭和30年代に東米良の林業が衰退し始め、「このままでは銀鏡がなくなってしまうのではないか」という危機感をもった濵砂さんのお父さんは、柚子の栽培を始め、加工商品の開発、山村留学の受入など、村を残すための様々な取り組みをされました。しかし、地域の為の活動は家計を圧迫し、気づけば1億の借金。濵砂さんはお父さんに反発しながらも、志を受け継ぎ、「かぐらの里」を地域を支える企業に成長させていきました。



銀鏡活性化のポイント
「経済(柚子)」「学校(山村留学)」「文化(神楽)」

●銀鏡と経済(柚子)



・柚子生産の始まり
林業の衰退と同時に、昭和46年に銀鏡で柚子の生産がスタートしました。濵砂さんのお父さんが残された手記には、栽培を始めたばかりの頃の苦労がつづられていました。農業は殆ど初心者だったお父さんは、指導者からの厳しいアドバイスを受けながら地域の先駆けとして柚子を栽培し、更には不良果実を商品にする為の加工会社を設立。借金を負いながらも地域の為の活動を続けられました。

・世代交代へ
当時農協に勤めていた濵砂さんは、20代半ばで負債が増えた実家を継ぐという一大決心をします。年中無休で働いても楽にならない暮らしに嫌気がさしたことも多かったそうです。そんな中でもお父さんから受けた影響は大きく、「商売というのを全く知らなかったので、まず最初に東京に行ったんです。父親はその前に東京とか行ってましたから、あの年齢で東京に行くんですからたいした父親ですね。東京日本橋高島屋さんに、ゆずの木を丸ごともっていくんです。ありえない、地下足袋ですね。作業着でそこでゆずを搾って見せる。もう人だかりです。父親のすがたを見て、あのエネルギーにはまいりました。」と振り返られていました。

・将来の仕事
苦しい生活が続く中、濵砂さんが衝撃を受ける出来頃が起こりました。
「とにかく金、金、金、金さえあれば世の中どうにかなるんだと思っていたから、27~29位の頃、この時に徐々に借金が返せるようになっていくんですけど、報われないんです。いやでいやでたまらんわけです。そういう考え方自体が。そういう時に、こんなことがありました。ある友人を遊びに誘うのですが、土日は一緒に遊ばないんです。用事があるからと、そういうのが頻繁にあったんですね。つき合い悪いな~と思ったんです。で、分かったんです。その友人の兄弟が障害者で、小さいころからずっと病院に入院していて、この兄弟のために自分の遊ぶ時間をつぶしていたんですよ。それを聞いたときに物凄くショックで、ショックと同時に自分が恥ずかしい。もう一つ、ようやく探し求めていたものが見つかったと感じた。ずっと探してたんですよ、将来の仕事を。家の仕事は自分の仕事とは思っていなかったので。そんなときに見つけたのがボランティア。「ために働く」ということを見つけたんです。29歳のときから絶対これを生涯まっとうすると決めて未だに一度もぶれたことはありません。この村がつぶれるかもしれない。仕事が無くなる。神楽の後継者がいなくなる学校が無くなるかもしれない。もしかしたらプラスに転じて村のためになるような会社を作ったら、これほど凄いボランティアはないじゃないか、と思ったのが29歳のとき。それからずっとそのことだけを目指して走ってきました。」



・「かぐらの里」の成長
かぐらの里のロゴはしめ縄と柚子、神に誓ってまじめなものをつくるという誓いのロゴです。
社員は現在、37名(パート含む)。最終目標は100名。「100名いれば村がなくならない自信がある」という濵砂さん。社員の中には家族で移住してきた方、Uターン、Iターンの方もいます。何よりうれしいのは、地域で結婚する人たちが現れ、地元出身の子どもが生まれていること。銀鏡出身の赤ちゃんは、濵砂さんのお子さん以来で、「自分のやってきたことは間違っていなかった」と思えたそうです。


・商品を世界へ
かぐらの里では20年以上前から商品を世界へ輸出しています。1998年のアメリカへの輸出から始まったそうですが、これには面白いきっかけがありました。「想像もしていなかったのですが、アメリカから電話がかかってきました。東京の物産展に出品していて、アメリカ在住神奈川出身の日本人の方が帰国されていて、たまたま神奈川に帰ってきたときにたまたま商品を手にとって面白いねと買っていただいた。アメリカから電話がかかってきて、信用も出来ないし、送り方もわからない。最終的にはこの方の実家のほうにお邪魔して保証人の印鑑までもらいに行きました。」
現在はアメリカを始め、台湾、シンガポール、オーストラリア、ブラジルなどに輸出しています。輸出の売り上げは全体の15%ほど。海外事業は売り上げよりも、若い人に向けたPRとしての意味が大きいそうです。



●銀鏡と学校(山村留学)

・山村留学受け入れ開始
銀鏡には学校は1校だけ。5年ほど前に銀上小、銀鏡中を統合し、小中一貫校になった銀鏡学園だけです。山村留学が始まったのは、平成6年。宮崎県第一号の長期留学制度として始まりました。小学生の留学生を預かるのは別の場所でもよくあるのですが、中学生を長期1年間受け入れるところは今でもなかなかないようで、全国的にも珍しいようです。
当時から15名から20名の留学生を毎年受け入れています。中学生に関しては、銀鏡の学校を卒業する時に、高校受験に落ちた子は一人もいないそうです。
山村留学制度を始めたのも濵砂さんのお父さんでした。留学生の受入も簡単なことではなかったそうです。「当時、家の中は大反対です。自分の子どもが三人もいるわけですから。比較してはいけないから自分の子を甘えさせることもできない、平等に扱わんといかん。そのジレンマの中で子どもを十何年間育てました。自分の子どもがおかしくなった時期もありました。それでも、そのことは色んな形で経験になって、子どもの為にも大人になってからプラスになったのかなという気はしています。それまでは本当につらい思いをさせてきました。時には親父を殴ってケンカしました。今こうしてお話していますが、うちの父親は私よりもはるかはるか山のような存在でした。山村留学制度を取りいれたことが銀鏡の今に繋がっている訳ですけども。」





・これからの山村留学制度
濵砂さんは、10年後も子ども達が山や川で遊ぶことができるような、山村留学制度の維持を今から考えられています。今年、かぐらの里の社員で竹を切ってきて、延岡のプロの方に教わっていかだ作りをし、子どもたちに体験してもらいました。子どもがこれ以上ないほど喜び、来ていた親も喜んでくれたそうです。ほとんどが留学生です。「あと10年したら、私は子どもをつれて山や川に行くことが出来ません。山川に遊びに行けなかったら何の為に留学してきたのか分からないですよね。それを何とかカバーできる仕組みを作らなければということで山学校しろかみという組織を立ち上げ寸前です。年が明けたら正式に設立になります。」学校が合併したことにより廃校になった小学校も何かに利用できないかとアイデアを出し合っているところだそうです。



●銀鏡と文化(神楽)



・神楽の継承とこれから
銀鏡神楽は、昭和52年に宮崎県第1号の重要無形文化財に指定されました。銀鏡神楽は神様に奉仕するものであって、一年間の豊穣であったり願をこめてお礼として奉納いたします、という考え方。たくさんの人に見てもらうことを重視するのではなく、住民が神様に奉仕するという形が今でも守られています。どこまで開放して神楽を観光に繋げたらいいかというのは非常に悩むところだそうです。
2015年のミラノ万博では、初めて祭り以外で神楽が披露されました。反対する長老方との内部での葛藤など、障害もあったそうですが、万博では素晴らしいという評価をいただき、行った甲斐があったと感じたそうです。今後は神楽を通しての村おこしも、若い世代の方々と考えていかれたいとのことでした。



・残したい景観
銀鏡ののどかな景観を残したいと語る濵砂さん。「衣食住すべてそろって一つの村として生き残らなければ。こういう風景を頭に描きながら今後何を考えているかというと、子どもの体験活動。注連縄やお初穂を農家さんの提供だったのを体験で作ったり出来ないか。または、社員の特典。社員の人が自分で作ったお米を自分で食べられたら、こんなにうれしいことは無いと思うんですよ。農薬を使わない最高級のお米。それを特典にすることが出来れば。景観を守ることも視野に入れてこれからは活動しようと思っています。」
また、現在は別団体のiさいとと協力し、滝行の体験も民泊とリンクさせながらやっているそうです。


これからの銀鏡
濵砂さんがこれから、柚子の事業と並行して力を入れていきたいと考えているのは、教育ビジネス。「田舎には価値のある教育があるということを知って頂きたい。我々銀鏡だけではなく、宮崎県中にあると思うんです。日本中にあります。極端にいうと日本中の田舎が人を育てる地域であったり村だったりという考え方ですべてが繋がるような組織が出来上がったら日本人はもっともっと立派に成長できるのではないかと思います。見本になるようなことが出来ればなと。」という言葉で講演を締められました。




質疑応答

Q:神楽での村おこしを、今の段階では具体的にどう考えていらっしゃいますか?
A:若い人で古風な考え方を嫌がる人はそんなにいないんですよ、不思議と。いやじゃないからうちの村に来てるんだろうとも思いますが。昨年銀鏡の歴史で初めて、氏子で無い人が氏子になって神楽の踊り手になった例が出来ました。いいきっかけになったんですが、昨年東京から、7名の女性が来ました。何をしに来たかというと、神楽を教えてくれと。そこで年配の方とけっこうトラブったんですが、いいじゃないですか教えるだけはと。そしたらその女性方がものすごくファンになってしまって、その後2回来ました。最近電話があって、今年は一週間ぐらいいるのかな。我々はよそに向けて神楽をしないのが誇りですが、練習は一年を通してするんですよ。練習の風景を見ていただくのは可能性があるねと今踏んでいます。若者にとって練習の風景でも見に来てもらうとうれしいわけですよ、男ですから(笑)
それに若干レクチャーする時間も作りましょうかと。時間を書ければできるんじゃないかと考えています。それと廃校の問題を一つの人の教育としてつなげられればと思っています。


Q:西米良から来ました。地域のまとまり、巻き込むコツがあれば詳しく教えてください。
A:コツを考えたことは無くて、先輩たちの言うことを100パーセント聞いて忠実にやってきました。真摯に受け止めて、先輩をないがしろにすることは絶対にしません。彼だったら、古老の言うことも理解しながらやってくれると、喧嘩にならないように勤めてきたから今があるのかなと。具体的なコツではありませんが、これしかないのかなと思っています。

Q:人が来る銀鏡の魅力、今後の発信の仕方を教えてください。
A:発信の仕方は、自分のやり方と、若い世代が増えていますのでなるだけ彼らにも発信の仕方をゆだねています。私はパソコンが苦手なので、彼らの能力を生かそうと預けると、結構勝手にやり始める。インスタだったりも勝手に始めたり。ではそこと、自分のアナログの発信の仕方は上手くリンクできないのかという話をするんですよ。あと私の場合はいろんなところに首を突っ込んでいるのはある意味戦略です。最終的に経済活動が出来ないと難しいので、神楽や学校を経由して経済活動に繋がるというふうな形を考えている。お金にならないことと、お金になる食品会社が繋がってどうやって事業展開をしていくのかという。これが上手く繋がっていくと、それこそ千年というレベルの事業体になるのかなと今思いながら。発信が大事だというのは事実分かっているので、昔は発信が苦手だったがマスコミ等にも声をかけるようにしています。

Q:濱砂さんのあきらめない気持ちや周りを巻き込む熱意を凄いと思ったという感想が多かったのですが、頑張れたきっかけや熱意を持てた理由を教えてください。
A:もともと中学2年のときに青年実業家になるという夢をもっていました。父の姿をみてかっこいいと思ったんですよね。社会人になってもその思いがずっとあったんです。へこたれない、負けないというのは部活動(剣道)をやっていた積み重ねだと思います。小学校三年から中学3年までうさぎ跳びなどのトレーニングを盆も正月もずっとやっていました。結果も残しました。頑張ったら身になると。高校のときに入院して挫折し、人に救ってもらった経験。どろどろの借金地獄のときにもう一つ地獄をみて、交通事故で人を殺しかけたんですよ。その人の償いに二年ぐらいかかった。最後に被害者のお父さんが、「あなたなら一億円の借金は返せる。がんばってね。もういいからね。」といっていただいたんですよ。そういうこまごましたことですけど辛い目にあって頑張って成功してほめてもらう、落ちてあがってを繰り返すうちに強くなってしまいました。



ご参加頂いた皆様からは、

「濵砂さんの真摯さに魅かれました。お人柄の力、大きいと思います。地元にあるものをいかに売っていくか?お金に変えるか?を軸に世代や地域を繋ぎ、まき込み熱をもたせていく姿、ぜひモデルにさせていただきます」

「‘村を支えることを考える’、とても難しく大変なことを親子2代通して続けることに感動しました。山村留学は厳しくもあるかと思われますが、子どもにとっても親にとってもすばらしい体験になると思う。」

「やはりストーリーがあるのは素敵だなと思いました。銀鏡やかぐらの里に対する見方が変わりました。」


といったご感想をいただきました!


伝統を大切にしている、けれども新しいものもその中に入れていくというような、芯がありながらも柔軟であるというのが銀鏡を支えているんだなと思います。千年先というと、人世代30年とすると、30世代先。全く分かりません。けれどもそこをイメージしてそのために何が出来るかと考えることが集落を生き残らせるのではないかと感じる講演でした。


参加していただいた皆様、そして講師の濵砂さん、本当にありがとうございました!

  

Posted by みやざきNPO・協働支援センター at 10:03Comments(0)イベント報告