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2017年04月09日

ヒムカレッジvol.3「災害ボランティアから考える~熊本復興支援ボランティアに学んだこと~」開催しました!

1月23日(月)に、被災地NGO恊働センター スタッフ・東禅寺(武雄市)副住職の鈴木 隆太さんをお招きし、ヒムカレッジvol.3「災害ボランティアから考える~熊本復興支援ボランティアに学んだこと~」を開催いたしました!
ヒムカレッジvol.3「災害ボランティアから考える~熊本復興支援ボランティアに学んだこと~」開催しました!


□講師紹介
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鈴木 隆太 氏
被災地NGO恊働センター スタッフ・東禅寺(武雄市)副住職

愛知県名古屋市生まれ。19歳の時に阪神淡路大震災をニュースで触れ、そこから神戸でのボランティア活動を始める。その後、「被災地NGO恊働センター」立ち上げに関わり、国内外の災害救援に携わる。
 2004年の中越地震の後、新潟県長岡市に移り住み、現地の復興支援を「中越復興市民会議(現・中越防災安全推進機構)」に所属して行う。
2005年の宮崎県の台風被害に際して、宮崎での支援活動をきっかけに、宮崎の皆さんと繋がりを持つ縁に恵まれた。
 その後佐賀県に移住し、僧侶としての暮らしが始まるが、2016年の熊本地震後、4月14日から活動を始める。
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平成28年4月14日に熊本県益城町で震度7の前震、同月16日に熊本県益城町と西原村で震度7の本震が発生し、甚大な被害が熊本を襲いました。

 こうした中、宮崎県では行政やNPOといった官民協働による被災地支援の取組方針が打ち出され、みやざきNPO・協働支援センターは、熊本の西原村の被災地支援を実施するために必要な調整等を担うことになり、5月は毎週土曜日、日曜日の1泊2日、6月以降は毎週土曜日、日帰りで被災地支援を行ってきました。

これまでの宮崎―熊本支援ネットワークが行ってきた熊本地震被災地支援ボランティアの様子を記録動画として作成しておりますので、是非ともご覧ください。



 今回のヒムカレッジでは、その時に西原村で活動の調整をしていただいたコーディネーターの鈴木隆太さんを講師にお迎えし、ご講演いただきました。


オープニングは鈴木さんの活動を記録した動画を皆さんにご覧いただきました。
ヒムカレッジvol.3「災害ボランティアから考える~熊本復興支援ボランティアに学んだこと~」開催しました!



〇熊本での活動の経緯

4月14日、前震が発生した時、佐賀の自宅にいた鈴木さん。
佐賀にいても大きな揺れを感じたそうです。そして車で熊本へ向かい夜中の2時に益城へ向かい、作業を行い15日の夜には佐賀に戻りましたが、16日に熊本県益城町と西原村で震度7の本震が発生しました。


熊本市内から阿蘇に行く入り口の所にある西原村。
斜面になった地形に家が集中しているため、宅地への被害が大きかったということが特徴としてあったということでした。

一方でサツマイモの名産地として有名な西原村は、
4月~5月にかけては植え付けの時期でもあるということから農家宅の被害が多くあったということです。

また報道では益城町などの被害状況が流れる事が多く、西原村には支援の手が行き届いていない状況が地震発生当初はあったといいます。そんな中、鈴木さんは被災地NGO恊働センターの他のスタッフさんと様々な地域を見て回り、西原村の被害状況や社協の人手不足などの問題を知り、西原村での活動を開始しました。


〇見えにくい被害

中越地震の時にも鈴木さんは現地で支援活動を行っていました。
その時にも車中泊をする方が多いということでしたが今回の熊本地震の時も車中泊をする方が多く、小さいお子さんがいる家族やペットを飼っている人は避難所に泊まらず車中泊を選択される方が多かったということでした。それが原因でエコノミー症候群になる方も多っかたということでしたが、西原村の場合はどの地域にどんな家族が住んでいいたのかをしっかりと把握していたこともあり、フォローは出来ていたということでした。

大分も一部損壊が5,000件にも昇るなどの被害が出ていましたが、激甚災害指定されていない地域では、高齢者や子供のいる家庭は夜は不安で公民館などで自主避難をする所も多かったそうです。自主避難のため、支援が行き届かない状況があったといいます。

見えない部分で支援を必要とされている方が多い状況はどの地域で災害が起きても出てくる問題なのだと鈴木さんは話されました。


〇応急危険度判定の混乱
ヒムカレッジvol.3「災害ボランティアから考える~熊本復興支援ボランティアに学んだこと~」開催しました!

余震などによる二次災害発生の危険の程度を判定する応急危険度判定の張り紙。程度によって赤・黄・緑(危険:赤/その建築物に立ち入ることは危険です。要注意:黄/立ち入りには十分注意してください。調査済:緑/その建築物は、使用可能です。)の色紙が建築物の見やすい場所に掲示されます。
しかしこの応急危険度判定で間違ってはいけないのが、これは罹災証明のための被害調査ではなく、建築物が使用できるか否かを応急的に判定するものだったため、「赤紙」が貼られると、イコール全壊という誤解が生じたり、ボランティア活動を行う上でも大きな混乱をもたらしていたといいます。

そのため応急危険度判定や罹災証明についての詳細を記した文書を建築士の方に作成してもらい、全戸に対して配布するなどの対応をしていったということでした。

活動するうえでも、場合によっては建築士の方などの専門家に見てもらいながらどのような活動が出来るか判断してもらったり、場合によってはその専門家の方に作業をお願いするなどの対応もしていたということでした。

「出来ないことを出来るようにしていく」
という意識をボランティアセンターの活動を行う上でとても大切にしていたそうです。

またこのような対応が出来たということは西原村の社会福祉協議会の方や役場の方をはじめ、何より、外から来た支援者を受け入れてくれた地元の方のおかげだったと鈴木さんは話します。


〇移転の課題

「どのような時期・場所で災害が起きたのか」
通り一辺倒の支援ではなく、被災地の状況をしっかりと見て支援を行うことが必要だと語る鈴木さん。


熊本地震では移転に関しても大きな課題がありました。
2004年に起きた中越地震では集団移転が行われる際、集落に残る人たちに対して、残せる宅地がある状況だったため、ほとんど支援をすることはなく、主に移転者に対して防災集団移転促進事業を使いながら、平場に造成した土地を提供し家を建てるなどの支援が行われました。
そのため、集落に残ることを選んだ人たちに対して土地の整備などの支援をする必要がほとんどなかったそうです。

しかし、熊本の場合は集落の宅地を整備しないといけないという状況と、一方で移転を希望する人たちにも支援が必要な状況が出ていました。
そしてこの2者に対して補助事業で支援を行おうとすると、補助事業が2重になってしまうため、集落に残る人は移転者に対して出る補助事業は使えないということが起きていました。各家庭の事情で残る人・移転する人がいるため、住民の間でも軋轢が生まれ、今でも難しい状況があるといいます。


〇玄海島の視察
ヒムカレッジvol.3「災害ボランティアから考える~熊本復興支援ボランティアに学んだこと~」開催しました!

平成17年3月20日に10時53分に発生した福岡県西方沖地震で大きな被害をうけた玄海島。
昨年10月に鈴木さんは、その復興への取り組みを知るため視察に向かいました。

熊本と同様に斜面に建てられた家が多く、宅地への被害が大きかったといいます。
復興への取り組みとしては被災住宅が密集している地区の住環境改善と災害防止を図るため、小規模住宅改良事業の手法により、土地の買収や建物の除却を行った後、改良住宅の建築や戸建て用地の造成、道路・公園等の公共基盤設備を行いました。
公営住宅に入ることを選択した方は、115世帯、戸建ての住宅再建をされる方は50世帯あります。
特に公営住宅に入られる方は10年先を見据えて選択したということでしたが、土地を手放すということは財産を手放すということでもあり、次の世代に引き継げるものが何もなくなってしまうという課題があるということでした。

視察中、地元の方と交流する中で色んな方に言われたのが「とにかく、とことん話し合うべきだ」という言葉だったと鈴木さんは話します。

これから地域をどうしていくのか、
悩んでる部分も腹を割って話していくことが大切だということを改めて感じたということでした。


〇人口推移からみる支援活動
実は西原村は九州地方の中でも人口が増加している地域で、
田舎暮らしが再評価された状況などがあり、住む人が増えてきたということです。

地震直前までは7000人を超えていましたが、別の地域の仮説に住むことになった人がいたりするなどして、
今では減少していっている状況があるということでした。

そんな中、昔から西原村に住んでいる方、地震が起きて西原に移り住んできた方など、
それぞれで復興に向けての動きが出てきているといいます。

元々住んでいた人の中ではこれからの復興を考える組織が区長さんなどを中心に出来ていたり、
新しく西原に住み始めるようになった人の中では炊き出しを行ったり、地域のイベントに積極的に参加したりする動きも生まれてきているということでした。
また地元の方やボランティアの方たちと一緒に地域に出て、瓦礫ばっかりの村を少しでもきれいにしようと花を植えるプロジェクトを始めた方がいるなどの動きも西原村では起きているそうです。

このような復興に向けた取り組みが相互作用で良くなるように動かしていくことが必要だということでした。


〇中間支援の必要性
新潟では中越復興市民会議という中間支援組織を立ち上げ活動してきた鈴木さん。
熊本でもそういった組織を立ち上げていく動きがあるということですが、熊本では地域によって被災の度合いが違うため、熊本市ではあてはまるものが西原村ではあてはまらないという状況があり、地域の実情に合った支援メニューが必要だということでした。
宅地の支援や記録集を残す活動、神社を修繕するといった支援、地域でのイベントの開催など、現在、役場と連携をしながら動いているということでした。

また集落によっては集落に残る人・移転する人、それぞれの中で、
経済状況・安全の面・地元を離れたくないという想いなど様々な要因があり、折り合いのつかない気持ちを抱えた方々もいるということでした。そんな人々に寄り添っていけるような支援を続けていくことが必要だと鈴木さんは話します。

〇地域をこえた交流
鈴木さんが活動していた新潟の山古志村。今でも交流は続いており、最近そんな山古志村の方々からのメッセージ動画を撮影し、熊本の人へ届けたエピソードも。
その後山古志村の方に西原村へ実際に来ていただき、中越地震の時の心境や状況を話しに来てもらったりもしたそうです。
大きな災害を経験した人々同士だからこそ、励みになったり通じ合うような部分があり、こういった交流もこれからも続けていきたいということでした。


〇「受援」のチカラ
ヒムカレッジvol.3「災害ボランティアから考える~熊本復興支援ボランティアに学んだこと~」開催しました!

最後に鈴木さんは災害ボランティアをする上で、「『受援』力」が大切だ話されました。

今も西原村で活動させて頂いているとうことは、西原村の人が自分たちの活動を受け入れてくださる土壌があるからこそだということでした。

これまで様々な地域で支援活動を行ってきた鈴木さん。
地域によっては活動を中に入っていくことが難しい所もあったといいます。

しかし西原村の人は、活動を始めた当初から被災状況を語ってくれたり、外から来た人間を温かく受け入れて頂けたそうです。

自分の家が災害で被害を受けている状況の中で、ボランティアの活動を受け入れるということにも力が必要で、
西原村の人にはそんな「受援」力があり、そんな西原村の人たちだったからこそ鈴木さんもこれまで活動を続けてこれたのだということでした。




講演の後は、鈴木さんと特定非営利活動法人 宮崎文化本舗の石田代表理事と、参加者の皆さんを交えながらのトークセッションが行われました。

ヒムカレッジvol.3「災害ボランティアから考える~熊本復興支援ボランティアに学んだこと~」開催しました!


熊本での宮崎-熊本支援ネットワークの支援活動の経緯や支援体制について語られる中、
参加者の方から出た「震災による影響や労働力の低下・高齢化による担い手不足が進む中で、農業に関する支援や呼びかけが西原村では出てきているのか?」という質問に対して、
鈴木さんは「萌の里という物産館があり、そこにかなりの数の農家さんが出品している。熊本地震の影響で休業が続いていたが仮店舗で営業が再開された。現時点では売り上げも少ない状況があるが本格的に営業が再開されれば農家さんにとって大きな力になっていくと思う。またこれまでやってきた農業ボランティアを地元の農家を中心としたグループにして、特産品の開発や高齢者の生きがいとなるような活動をしていく動きもある」とコメントされていました。


またトークセッションの中で鈴木さんは、西原村のボランティアセンターは、
全国からのボランティアを受け入れる支援体制で活動してきたと話されました。

そのことについて、これからの復興を考えると地域を限定せず全国の方からの支援を受けていた方が、支援活動のつながりの中から、次につながる展開や復興が前進する力になっていくという想いがあったからだということでした。
全国からボランティアを受け入れるということは、それだけの労力が必要になるということでもあり、反発する声もあったといいますが、
長期的な復興の取り組みや将来的な西原村の活性化のことを考えると必要なことだということでした。

また鈴木さんの「地域との繋がりを強く意識して活動していた」という言葉が印象的でした。
支援活動を行う時には地元の区長さんを始めとする、地元の方々が地域とボランティアをつなげていただけたということがあり、
そのおかげでニーズの発見や支援活動の進行がスムーズに出来ていたということでした。
この「地域とのつながり」は今後、起こりえる災害の時に、どの地域においても必要であり大切なことなのだと強く感じました。


ご参加頂いた皆様からは、
「西原村のボランティア活動が、受け手側からの状況として聞けたので良かった。また、鈴木さんの活動が非常に幅広い事が分かりました」

「大変ためになりました。宮崎で災害が発生した時に、少しでも役に立てるようにがんばりたいと思います。」

「興味深く大変有意義な話を聞かせていただきました。単にボランティアだけの話ではなく、人との地域とのつながりの在り方について感銘を受けました。これからも、自分にできるボランティアを行っていきたいと思います。」

「自分が被災者になった視点で支援のあり方を考える。受援力について宮崎も考えていく必要がある。」


といったご感想をいただきました。


間もなく熊本地震から一年が過ぎようとしています。
鈴木さんのお話にもあったように、支援する側だけではなく、
「受援」する側の視点を考えた上での災害ボランティアのあり方や、
地域とのつながりや関係性をいかに作っていけるかが,
これからの支援活動には大切なことなのだなと強く感じました。

またどの地域で災害が起きても、決して他人事にせず、いかに自分ごととして考えられるか、
鈴木さんのこれまでの活動や姿勢に学ぶことがとても多かった今回のヒムカレッジだったのではないでしょうか。

参加していただいた皆様、講師の鈴木さん、本当にありがとうございました!


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