2021年04月26日

令和2年度 「日本のひなた 地域づくり実践塾」報告会・審査会

ご報告が遅れてしましましたが、先月3月19日(金)に
令和2年度『日本のひなた 地域づくり実践塾』報告会・審査会を行いました!拍手



主催である、当センターが事務局の宮崎県地域づくりネットワーク協議会では、
宮崎県内の地域課題解決のための地域活性化策の立案・実践を通じた次代を担うリーダーの養成を
目的とした「日本のひなた地域づくり実践塾」に取り組んでいます。

県内8ブロックそれぞれで、この1年地域活性化につながる事業を企画・運営し活動してきた実践塾の
発表の場でもあります力こぶ

審査会では、報道機関などの審査員を招聘して行い、活動内容が興味深く、
次年度も素晴らしい活動が期待できる3ブロックに各奨励賞が授与されました!王冠

本年度は、
優秀奨励賞 北諸県ブロック運営会議実行委員会さま
第二位 延岡ブロック運営会議実行委員会さま
第三位 フォレストピアブロック運営会議実行委員会さま

という結果となりました!拍手
惜しくも選外となった各ブロックの方々も含め、本当にこのコロナ禍の中でも、
様々な工夫を凝らしながら地域のためにご尽力いただいている
皆様の報告は、とても素晴らしいものばかりでした!


今回は、コロナウイルス感染拡大防止のために、ZOOMやYouTubeを使用して
オンラインでもご参加いただけるように開催パソコンいたしました!
ぜひ見逃した方やご興味のある方は、こちら(YouTube)をご覧ください!



  

Posted by みやざきNPO・協働支援センター at 13:37Comments(0)イベント報告

2019年02月22日

ヒムカレッジVol.4の講師 成田万寿美さんが朝日新聞のコラムに!

先日、ヒムカレッジ vol.4『元TVキャスターに学ぶ「笑声(えごえ)®レッスン」 プレゼンス・マネジメント』の講師としてお越しいただいた成田万寿美さんが、朝日新聞のサイトのコラムにヒムカレッジの写真を掲載していただきました。是非ご覧ください。



https://mbp-japan.com/tokyo/on-air/column/5017981/?fbclid=IwAR05GBtrCWPn0oT-fX7cQ-WC1Qsqvrbeo4tx_RYnziER2yiMkZCgAFqRnaw
  

Posted by みやざきNPO・協働支援センター at 10:09Comments(0)イベント報告

2018年10月05日

ヒムカレッジVol.1「地球が壊れる前に」上映会×西原智昭氏講演会 イベント報告

7月28日、みやざきNPO・協働支援センターにて
ヒムカレッジVol.1
地球が壊れる前に」上映会 × 西原智昭氏講演会

を開催しました!
前半はナショナルジオグラフィック制作/レオナルド・ディカプリオ主演
「地球が壊れる前に」
上映会、後編は国際野生生物保全NGO自然環境保全マネージメント技術顧問の西原智昭氏による講演会を開催しました。
決して他人事ではない地球環境の問題についてじっくり考えてみました!

①映画の概要と感想はこちらからhttp://ksc.miyachan.cc/e542799.html
②映画のセリフ編はこちらから http://ksc.miyachan.cc/e542797.html


□講師紹介
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西原 智昭 氏
(国際野生生物保全NGO 自然環境保全マネージメント技術顧問)


1989年から25年以上、コンゴ共和国やガボンなどアフリカ中央部熱帯林地域にて、野生生物の研究調査、国立公園管理、熱帯林・生物多様性保全に従事、国際保全NGOであるWCS(Wildlife Conservation Society:ニューヨークに本部がある)のコンゴ共和国支部・自然環境保全技術顧問。NPO法人アフリカ日本協議会・理事。京都大学理学部人類進化論研究室出身、理学博士。
詳細はhttp://www.arsvi.com/w/nt10.htm を参照。
現在の最大の関心事は、人類による自然界・野生生物利用と人類の文化遺産の維持とのバランスに向けた方途や、その文脈の中においての先住民族の今後のあり方と地球環境保全への模索である



西原智昭氏講演





みなさんこんにちは。今日はよろしくお願いします。
今日の映像の解説と、映像を手に入れたいきさつをお話します。普段コンゴ共和国というアフリカの熱帯地域にいまして、今所属しているのはニューヨークに本部のある国際野生生物保全NGOであるWCS(Wildlife Conservation Society)というところです。

基本的にNGOとして例えば国立公園の管理とか、野生生物保護保全とか、そして森林地帯ですから熱帯林の保全・管理とかしています。それをどのようにやっているかというと、基本的に我々は研究者なので完璧な知見を元にして政府に提言したり助言したりしています。
この映像を最初に観たのは1年半くらい前にたまたまユーチューブで観ました。もちろんディカプリオは知っていますが、特にファンではないし、映像の中でオバマ前大統領が何言ったとか、ローマ法王が何言ったとかそういう事ではなくて、この映像が良いなと思ったのは世界中の色んな地域の、いろんな場所で地球環境の問題が起こっているという事実を映像として伝えているなと思ったんですね。

多くの方に観て頂きたいなと思いまして調べたところ、この映像はナショナルジオグラフィックのアメリカ本社に著作権がありまして、英語版はアマゾンで売っていますが日本語版が売っていません。何とか手に入らないかと思って、10年以上前にナショナルジオグラフィック本社と共同でプロジェクトをやったので、その時のナショナルジオグラフィックの担当者にダメもとでメールを送って、何とか日本語版は手に入らないかと聞いたらやっぱり日本語版は無いと言われました。

何とか使える方法はないかということで私個人とナショナルジオグラフィック本社で協議して、契約書を作り2年間だけ上映権上げますと。もちろん僕はお金を払っていません。
その時の条件が2つありまして、1つがこの映像を日本人の方にお観せする時に営利目的ではないこと。つまり、例えばこの映像を映画館で上映して収入を得るとか、違法にDVDを作って売るとか、そういう事はやってはいけない。つまりは教育目的、情報普及の目的であることです。

もう1つが上映をする際に私自身が立ち会う事です。これは万が一他の人がコピーを作ったりすることを防ぐためという事です。その2つの条件なんですね。
ただ残念なことに僕は1年間のほとんどをアフリカにいるので、あんまり日本にいません。

1年の内3分の1くらいしか日本にいないのでなかなか上映会をするチャンスがありませんが、実はすでに上映権は1年経っています。残りあと1年あるので、日本にいるときに可能な限りあちこちに声をかけたり、あるいは1件話があるとまたそこから派生してうちでもやって欲しいという話がありました。今回も帰国して2カ月ぐらいですが既に10回くらいあちこちでやっていますね。

今日はアフリカの話はほとんどできませんが、例えばいま日本は暑いですよね。ところが僕がいるコンゴ共和国は赤道直下の国ですが、たいていの人は赤道直下だから暑いでしょと言われるんですね。それって先入観なんです。赤道直下だから地獄の灼熱かというと、全然そんなことなくてずっと過ごしやすいです。

実は今日の夜行便でマレーシアから帰ってきましたが、マレーシアも赤道直下ですけど東京より全然過ごしやすいです。
日中は今日の宮崎くらいですね。でも夕方から夜、朝はもっと涼しくなって、熱帯なのに熱帯夜が無いんですね。冷房・扇風機なしで寝ます。だから「熱帯夜」という言葉自体変えないといけないと思います。そういう言葉を使うと熱帯は暑いだろうという先入観を植え付けます。
実はそうではなくて、逆に言うと温帯地域にある日本がおかしいんです。その言葉1つだけでもなにか地球おかしくなっているんじゃないかという事です。




この映像を見て大事なことは先入観を取っ払うことです。最後の方で天体物理学者の方が「事実は起こっているんだ」と言っていました。それを見つめて先入観を取っ払う。
その後に同じ学者が言っていましたけど具体的にどう実践するか。形だけ温度2度まで限界と決めましたが、それはパリ協定で偉大な決議でしたけど、あくまで書類上のことです。書類上で講義して仮に提案が可決されたとしても、実践的に動かないと何も変わりません。

これから数分の映像を観てください。これは雨の映像ですけど実はアフリカの森林は年間降水量1500ミリです。日本より少ないんですね。この間の西日本豪雨は1日に500ミリ降りましたよね。いま日本は激しい豪雨が降ると1日にアフリカの年間降水量の3分の1が降っています。

基本的に我々が何をしているかというと、例えばアフリカのゴリラとかの生息数とかをk学的に調査して今どういう状況か、何が問題なのかという事を調べています。
現地の人たちは元々森の中で住んでいた先住民で、ピグミーと呼ばれています。森のことをよく知っているので、彼らはゴリラを追跡する能力を持っています。

我々はそのような能力は持っていないです。GPSを使えば我々も出来なくはないですけど、全然能力が違うのでピグミーがいないと調査が出来ません。
今日の映像ではアフリカの話は出ませんでしたが、熱帯林は地球上に大きく3か所あります。アフリカのコンゴ盆地、南米のアマゾン、東南アジアです。

何が最大の特徴かと言うと野生生物の多様性です。何千種類という植物、何万種類の動物、何十万種類の昆虫。プラスバクテリアなどの微生物です。それが複雑な生態系を作っているという事です。
ところがアマゾンも、東南アジアも、アフリカも今どんどん開発されて森林が無くなっている状況です。

その理由が主に3つありまして1つが熱帯材目的です。今もかもしれませんが、かつて日本は大々的に東南アジアの森に進出して、マホガニーとか木材を求めて東南アジアの森をかなり破壊しました。
似たような木がアフリカにもあるんですね。東南アジアの森林はもうほとんど残っていません。
その上で映像にもありましたがパームオイルの開発により森林がどんどん無くなっていて、アマゾンも映像にあったように放牧によりどんどん無くなっています。




世界中で残っている熱帯雨林はアフリカしかないです。そこに世界中の林業の企業が殺到して熱帯材を仕入れていますが、これは世界中で需要があるからです。
統計でみるとアフリカの熱帯材を輸入している国のトップクラスに日本は入っています。

もう1つが鉱物資源開発です。皆さん聞いたことあると思いますがレアメタルです。レアメタルは地球上の色んな所に分布していますが結構偏っていて、アフリカの森林地帯はその代表です。森林地帯の地下にあるのでそれを掘ろうと思ったら木を切らないといけません。
レアメタルは携帯電話やデジカメ、パソコン等ほとんどの電子機器に使われています。これは世界中に圧倒的に需要がありますので、この鉱物資源を売るために森を切っているんですね。

それとアフリカは現在人口が急増しており、人が増えれば居住区を作らなければいけないし、食べ物のための農地を作らないといけません。そのために森を切らないといけないので、森林がどんどん無くなっているという事情があります。
そのために先住民のピグミーが追われています。昔から森の中に住んでいて森の中で狩猟したり自給自足していたのが、森が無いから昔ながらの生活が出来ません。それが何を意味するかというと、彼らがずっと住んできて先祖から受け継がれてきた、森に関する知識とか技能をほとんど失いつつあります。

もう森にいることが出来ないわけですから、最初の映像でありましたが、親から子へ継承が出来ないことがもう始まっているんですね。
ピグミーの子供たちは森のこと知らないんです。例えばゴリラを追跡してお客さんに見せてツーリズムするとか、ここの子供たちはもう出来ないですね。
そのため我々の研究も出来なくなるかもしれません。ゴリラ何頭いますかと聞かれても、5年後10年後には答えられないかもしれないという事です。

しかしそういう事態を招いているのは、特に熱帯資源は先進国の人々が知らないうちに需要を持っていて、知らないうちに途上国の先住民に影響を及ぼしているという事があります。
今日の映像にはいろんなテーマがあったと思いますが、整理すると大事なことは温暖化とよく言っていますが温暖化が起こる要因は何なのかという事です。




それを示すのがまとめ①ですが、温暖化が起こることによってどういう現象が起こるのか、あるいは近い将来何が起きるのかという事です。
温暖化が起こる最大の原因は森林伐採です。森林が無くなれば二酸化炭素を吸収してくれる場所が無くなるからです。
アフリカの事例で観ましたが熱帯材とか鉱物資源開発の問題もありますし、化石燃料を開発するために、カナダの森とか森林を伐採するというのがありました。

それから東南アジアではアブラヤシのプランテーション。東南アジアでのプランテーションの土地が無いから、アフリカ大陸に進出してきてアフリカでも森林伐採が進んでいます。
それから特に南米と北米は放牧で森林伐採をしている。牛を飼うだけではなくて牛を飼うための肥料を作るための畑を作るんです。その結果二酸化炭素とメタンが過剰に放出されることになります。メタンという牛のゲップにも、温暖化が進む要因があるんですね。




まとめ②の方は温暖化の結果どういう影響が出ているかという事です。尋常じゃない速度で気温が上がり急速に何が起きているか、1番分かりやすいのが北極と南極の氷が溶けているという事です。

映像の中で科学者が言っていましたが、今のまま続くと2040年には北極の氷がすべて溶けてしまいます。
温暖化が進めば生態系にも影響を与えるわけで、例えば森林がどんどん無くなっているので生物多様性が無くなるのと、海面温度の上昇でサンゴ礁が死滅します。

これは基本的に温暖化によって生態系がどう変わるかです。
我々の日常生活にどう影響を及ぼすかですが、簡単なのは氷が溶ければ海水面が上昇します。これは実際に太平洋の島々が沈みつつあるという事ですね。今日の映像でありましたが氷が全部溶ければ海水面が4メートルから6メートル上がるわけです。東京や大阪は水没して居住地が無くなります。

海水の温度が上がればサンゴ礁が影響を受け、魚介類が採れなくなり、温度が上がれば農作物も採れなくなります。
大事な点は、映像で天体物理学者が言っていましたが温暖化だけではなくて、寒冷化も進むという事です。例えば今までは暖流が通っているから北の方でも暖かいですが、氷が溶けて冷たい空気が暖流に混ざることによって、元々の暖流が冷たくなってしまいます。だから極端に冬が寒くなってしまう。日本でもそういう事があると思います。東京が極端に寒くなったり北海道や東北は雪がすごく降ったりですね。

つまり温暖化とよく言っていますが実は寒冷化も起きているという事です。正確に言えば今までなかった極端な環境異変が起きています。極端に気温が高くなったり、寒くなったり、雪が降ったり大雨が降ったり。その一方でカラカラに乾いている場所もあります。
先ほどの先住民ピグミーは本来、森に依存していたわけですがそうするとあまりにも寒かったり暑かったり、雨が降ったり降らなかったり、極端になると森の中のピグミーが食べる果物とか植物とか昆虫とか採れなくなるので、彼らの元々の狩猟採集生活が出来なくなります。




映像の中では日本が含まれていないですが日本は責任重大です。何しろ日本は、木材以外は自然資源がほとんど採れないからです。例えばスイッチを押せばすぐ電気がつくので生活の中であまり意識しないんですね。
でもそのエネルギーはどこからきて、どういう仕組みなのか中々気づかない。資源が外から来ているから分かりづらいんです。日本こそ他人事じゃない。
日本人として考えてもらいたいのは、外から資源が来ることによって、例えばアフリカのピグミーのような先住民に我々の知らない所で影響を及ぼしているという事です。

しかし一方で日本人には他の国民にはない非常に良い国民性があるんですね。日本人は自然を大切にしようという、自然界のものを愛でる心を持っています。しかしそれは日本国内の自然に対してです。
国外の情報はほとんどないから、例えばアフリカの森林が減っていると知っている人はほとんどいません。学校でも習わないしメディアも何も伝えない。

良い心を持っているのに情報が普及されていない。それが日本人の特徴なのかなと思います。あと日本人の良いところは「もったいない」という言葉があることですね。ご飯は一粒残さず食べましょうとか、その延長上で再利用とかリサイクルしようという気持ちを持っています。しかし再利用できればいいですがそうでないものは外国から来ているので見えにくいところがあります。
アフリカの森林地帯は、地球で最後の資源の宝庫なのでそこに世界中の企業が殺到しています。そして先住民が我々の知らない所で影響を受けています。

こういう問題を話すとよく「じゃあ何をどうすればいいですか」「もっといい方法ないですか」と質問を受けますが、物事を考えるときはある程度分けて考えた方がいいと思います。これはあくまで一例で、私の考えですが、今日の映像でもありましたが大きく分けて3つのレベルで考えると分かりやすいと思います。




1つ目が国連とか政府、2つ目が民間企業やNGO、最後に一般市民です。国連とか政府はある物事が国連とか国内で決まると影響力があります。そういう意味では非常に重要です。
ただそれを具体的に誰がどのようにやっていくかが見えてこない。例えばパリ協定が決まった時に安倍総理は何か言いましたか。これから誰が何をどうしましょうとか。だから影響力はあるけど、具体的にどうするかという指針が無いのであてになりません。

次に民間企業と一般市民を分けましたがこの2つは強いリンクがありまして、企業に属しているが一方では消費もしている。国連や政府は影響力はあるが、すぐに何かするわけではないとなった時にこの2つで何か動けないか、具体的にどういうことが出来るかを考えていくことが出来るわけですね。

もう1つが消費者としてのこれからの生活スタイルです。消費生活を見直していくという事で、これは一人一人がやっていくべきです。するとやっぱり教育が重要だと思います。子どもたちに教えるべきだと。
確かに学校教育で教えていないですが、先生も教わってないので教えることも出来ない。
もちろん子供たちに教えることも重要ですが、実際お金を持って消費しているのは大人です。もっと大人への教育をしてそこから子供へ教えていくという事です。

それでは質問に入りたいと思います。お聞きしたい事や事や感想、環境問題に対して自分が思っていることや実行していること等、教えてくれるとありがたいです。



質疑応答




A氏:「地球が壊れる前に」というタイトルを知って、私の子供たちに話したら興味があるという事で今回参加しました。こういう事を子どもたちに早めに知らせるきっかけになって、すごく良かったと思いました。出来たら小学校や中学校でもこういう事が出来たらいいなと思いました。

西原氏:私もいろんな場所で上映会をやらせて頂いて、経験的には小学校高学年以上、中学、高校生は全く問題ないと思います。この間小学校高学年くらいの子供から「炭素税って何?」と立派な質問がありまして、私も以前は知らなかったんですが、その学ぶ姿勢が大事だと思います。

逆に大人の教育が大事だとさっき言いましたが実はお子さんに教えることも重要でお子さんが知る事で逆に親も学びますよね。例えば今色んな認証製品とかありますよね。パームオイルが入った洗剤とか石鹸とか化粧品とかの中でRSPOという認証があるんですが、その認証マークがついた商品があるんですね。
パームオイルの開発はしていますが環境配慮型で、先住民にも配慮して野生動物にも配慮するという認証制度があるので、そういうマークがあるという事を子どもに教えると、子供はそういうマークを探すの得意なんですね。そういう意味では効果があると思います。
※RSPOについて



B氏:日本で森林税を1人千円当たり徴収して森林を整備するという話が政府で進んでいますが、アフリカの政府なり国際的な協力で失われた森林を再生するという試みはあるんでしょうか。

西原氏:熱帯地域の森林は日本のように植林は上手くいかないので、切るとなると原生林を切るしかないです。しかし原生林を切った後再生しようとしても莫大な時間がかかるので、自然に再生するのを待つしかないです。
自然に再生するのを指くわえて待つんじゃなくて、再生のメカニズムが自然界には存在しているわけです。例えば大型動物のゴリラやゾウが果物を食べるときは丸飲みするので、種は消化されずにフンと一緒に出てきます。

フンというのはまさに肥やしですよね。フンの中というのは発芽率が高い。それが将来立派な大きい木になるんです。
しかも熱帯地帯は成長のサイクルが速くて、アフリカの樹木は直径2~3メートルになるのに100年くらいかかります。木を切った後でも動物が残っていれば種をまいてくれて、次の世代の植物が生えてきて自然再生が可能になるという事です。

つまり樹木を切るけども、動物への違法行為はさせないという事を、例えばコンゴ政府も外資系の企業に通達して、その上で伐採計画書を提示してもらってしっかり管理することで再生のメカニズムを作る。それをしないと植林が難しいので、結局森林が切られてそのままです。
もし再生すれば、それでもなお熱帯材を切らないといけないビジネスが必要なのであれば再生可能なので永続的に樹木を切っての経済発展も可能だし、森林環境への影響も最小限にするという事です。
その延長上にあるのが宮崎県の諸塚にありますFSC認証です。国際認証で、計画伐採や野生生物保全、周りの地域住民や先住民への配慮をする。

地域によって条件は違いますが主にこの3つの条件を満たすとFSC認証をもらえてその木材が商品になります。
なぜこれが重要かと言いますと日本は違法木材を最も輸入していた先進国です。日本が違法木材を輸入していたせいで、世界中の森林が破壊されてしまったという経緯があります。

その理由はごく数年前まで、林野庁は違法木材を取り締まる法律がありませんでした。数年前に自民党がそれに気づいて林野庁に怒って、それから違法木材を規制する法律をまだざる法ですが決めたんですね。違法木材は裏ルートで入ってくるので安いんです。
安いから日本の林業は廃れてしまいました。日本の国産材はちゃんと森林管理してきたからコストがかかるんですね。コストがかかるから安い違法木材には勝てないんです。

だから多くの国産林業は廃れてしまいましたが、国から林業に更に資本を投資して、自然が豊かで現生の森を作って職人を育てていくという地域を復活させることによって、地域の経済振興にもなるし雇用者も生まれる。その結果違法木材の輸入も止めることが出来ると思います。そういう方向に行けばいいなと思います。
※SFC認証とは




C氏:国連はSDGsを採択しまして、これ以上地球を壊すのはやめようと私たちは勉強して、いろんな方にSDGsを広めようとしているんですが、SDGsの目標は難しいですね。それでも私たちにできることは何だろうと絞り出すように考えているんですけど、消費行動を見直してなるべく古い商品を買うことによってロスをなくす。ということを考えて、整理することが出来ました。ありがとうございました。

西原氏:SDGsは2030年までに17の目標を達成しましょうというものです。環境保護や発展途上国の貧困問題、先住民を配慮しましょうとかですね。
それを同時に達成するのは非常に難しいんですね。例えば資源開発があったらその一方で環境保護や先住民に配慮するというのは難しいと思うんです。その時重要だと思うのは環境問題に理系も文系もない。教育を根本的に変えていかないといけない。両方考えていくような人たちを教育しないとといけないと思います。

※SDGsとは

D氏:トランプ大統領になってから逆行している感じがして今のアメリカを見ていると心配なんですが、今の世界を見ていて感じることは何ですか。

西原氏:トランプ大統領が言っている一方で民間消費者レベルで変われば政府も変わってくるだろうと思います。しかし全面的にトランプ大統領が悪いと思わず、あまり極端な考えは避けた方がいいと思います。アメリカ政府も経済再生のために、経済優先で色んな方針をトランプ大統領が打ち出しているわけですから当たり前と言えば当たり前ですよね。

例えばコンゴ共和国は産業もないし、特産品もないしツーリズムもインフラが整ってないから国家収入がありません。だから自然資源を売って国を成り立たせないといけない。だから地球環境のために森林伐採をやめなさいというのは、その国に死になさいと言っているようなものです。
極端に伐採をやめなさいと言っても全く解決策になりません。その時に開発もして経済的な発展もしながら、森林が永続的に保全されるような仕組みを考えましょうと。それが認証制度ですよね。

森林というのはいろんな自然資源の中でも、ちゃんと管理すれば永続的に再利用される唯一の資源です。ここが他の鉱物資源や石油資源とは違うところです。その意味で諸塚のようにSFC認証を持つという事が重要ですね。それがもっと世界中に広まることが重要だと思います。
コンゴ共和国政府は貧しいので不正・汚職も多いですけど、政府もFSC認証でやってくださいと言っているんですね。それに外資系の企業も乗らないといけないです。自分の会社の利益だけじゃなくて。




E氏:なるべく電気を使わない生活をしようと思い、電気を使わない掃除の仕方とかの講習会を開いたりしていますが、中々参加者は増えないです。
それと生ごみをなるべく土に返してあげるという地球環境にやさしい生活をしようという生活をしています。

西原氏:ありがとうございます。最後に参考までにですがさっき日本人の「もったいない」という話をしましたが日本人は節約する、物を大切にする心を持っていると思うんです。それをもっと活かせばいいと思うんですが、2011年の東日本大震災の時日本にいまして、原発事故の後に計画停電がありまして、私も電力の少ない生活をしましたが全然問題ありませんでした。
災害の時はみんなで協力して助け合うという気持ちが生まれます。そして実際そのレベルの電力でみんな生活できるわけだから、さらに原発をするとか火力発電を作るとか、私は不要だと思います。

原発は論外ですが、今ある二酸化炭素を排出している火力とか削減して、足りない分だけソーラーとか風力に移行すればいいと思うんです。これも極端な考えはやめて、今日の映像では全面的に自然エネルギーに移行した方がいいと主張していましたが、私は必ずしもそうではないと思います。
なぜかというとソーラーとか電気自動車とか風力はバッテリーに蓄電するんです。ではバッテリーは何で作られているか。銅とかアルミニウムとかレアメタルとか使っています。

という事はもし大々的にソーラーや風力や電気自動車を作りましょうとなった時に、レアメタルを取るために森林を切ることになるんです。
先進国はソーラーや風力で二酸化炭素の排出を頑張って抑えています、となりますがアフリカは森林が無くなるという矛盾が生まれます。長期的にトータルで考えないと、全部ソーラーや風力でやってしまうと世界中の森林が無くなってしまいます。
あとバッテリーの中身は硫酸を使っていますが、硫酸は生体を溶かします。問題はバッテリーの寿命は大体20年と言われていますがそのバッテリーの硫酸の塊をどこに捨てるんでしょうか。その議論を誰かしたのでしょうか。

長期的ビジョンでどうするのか、廃棄する時の技術はあるのか検討しながらやらないと、20年後30年後は逆に大変なことになります。硫酸が土壌に流れたらそこにあるバクテリアや微生物はもう死ぬので、そこには樹木が育たないから動物も住まない、農作物も育たないから人間が住めないという状況になります。
私は基本的には、今ある最小限の生活が出来るレベルの電力に抑えて、足りない部分はさらに新しい環境に良い技術が出来るまではソーラーなどの自然発電で補うと良いと思います。

①映画の概要と感想はこちらからhttp://ksc.miyachan.cc/e542799.html
②映画のセリフ編はこちらから http://ksc.miyachan.cc/e542797.html


  

Posted by みやざきNPO・協働支援センター at 15:53Comments(0)イベント報告

2018年09月29日

ヒムカレッジVol.1「地球が壊れる前に」上映会×西原智昭氏講演会 イベント報告 映画部分セリフ編

ヒムカレッジVol.1「地球が壊れる前に」登場人物の主なセリフ編


今回は映画の中から、主な方のセリフをピックアップしてご紹介いたします。

映画はヒエロニムス・ボスの「快楽の園」の描写から始まります。
ディカプリオ:左の絵はエデンの園のアダムとイブ。中央は人間の罪深さを表現、享楽の世界。右の絵は地獄。週末の世界で美しい世界は見る影もありません。

シエラクラブ執行役員:化石燃料とは石炭、石油、天然ガスのことで経済の土台です。企業はとても危険な方法で資源を確保しています。
その中でも特に危険な方法がオイルサンド発掘で、森林を伐採し、一帯の川は汚染し生物への影響が大きいです。

北極圏ガイド:昔の氷は固くて青かった。もっと深い青。氷の質も今の氷はアイスクリームのように柔らかく、溶けるスピードが速いです。
北極圏は北半球の氷のような役割を果たしています。北極圏の氷が無くなればひどい洪水や干ばつが起こるでしょう。

グリーンランドの気候学者:過去10年の平均気温が今後も続いたらグリーンランドの氷は溶けて無くなってしまうでしょう。

フロリダ市長:気候変動は紛れもない事実で、フロリダでは晴れた日に突然、通りに水があふれるという現象が起きています。原因は海面の上昇で、下水道から水があふれています。対策として排水ポンプを設置し、道路を高くしました。4億ドルかけて40年から50年は安心でしょう。議員や州知事は真剣に考えていません。

ディカプリオ:科学が否定される要因は何ですか?

フロリダ市長:政治ですよ。エネルギー会社との癒着です。

ペンシルベニア州立大学教授:97%の気候学者が、地球温暖化は化石燃料の燃焼など人間の活動が原因だと認めています。地球温暖化を認めない政治家が多くいるのは、資金を与え主導する黒幕が存在し、化石燃料の企業は気候変動の存在を否定する人々や政治家に資金を提供しています。

アメリカ温暖化否定派議員:地球温暖化は国民をだます嘘なんです、人間の影響で気候が変わるなんて馬鹿げています。人間は気候を変えることはできません。

中国公共環境研究センター:中国の国民は大気汚染がもたらす健康被害の理解が進めば進むほど、不安を募らせています。国民は説明を求めています。世論の後押しによって政府は環境対策を強化するようになりました。

インド科学環境センター:インドでは石炭が豊富に取れます。石炭は安価です。あなた方が過去に犯した罪を、我々も今後犯します。インドでは7億人がバイオマスを使っていますが、彼らが石炭を使うようになれば温暖化が進むでしょう。アメリカに行動で示してほしい。あなた方の消費がこの地球を破滅させるのです。アメリカ人の1人当たりの電力消費エネルギーは日本の2.2人分、インドの34人分、ナイジェリアの61人分です。

ディカプリオ:反論の余地は全くありません。でも生活スタイルを変えようとアメリカ人に提案することは簡単ではないでしょう。僕たちが出来ることは再生可能エネルギーへの投資となるでしょう。

インド科学環境センター:インドも中国も多額の資金を投資しています。アメリカは世界のリーダーです。化石燃料依存大国がそこから脱却する姿を見せてください。そうしたら私たちも政府に訴えることが出来ます。アメリカはやったのだから私たちも出来ると。

キリバス共和国大統領:温暖化の影響が起きています。島全体が沈んだわけではないが、その前触れの現象が起きています。ひどい洪水です。科学的見地では我が国はやがて水没します。問題はどうするかです。現在では海辺の集落を内陸部に移す対策を取っています。海外移住政策を取りフィジーに土地を購入しました。希望する国民はすぐに移住できます。選択は自由です。

海洋生態学者:海面の上昇に限りません。かつては多くの魚が生息していた沿岸生態系も破壊しました。過去30年でサンゴの50%が死滅しました。海には二酸化炭素を吸収するという働きがあります。人間が排出する二酸化炭素のおよそ3分の1を吸収する海は地球の気候を安定させる大きな役割を担っています。しかし海の力にも限界があります。二酸化炭素の排出量が多すぎると吸収が追い付かなくなる。いつまでも生命力溢れる環境を保ってくれるとは限りません。

レインフォレスト・アクション・ネットワーク事務局長:人類は気候を安定させる役目を持つ生態系を破壊しています。海と同じく森も大気中の二酸化炭素を吸収します。長年に渡って二酸化炭素を吸収し、その幹や花にため込んでいます。だから森林を燃やしてしまうと自然界のバランスが崩れてしまいます。いわば炭素爆弾です。木々にため込まれた二酸化炭素が一気に放出されますから。

ヤヤサン・ハカ代表:インドネシアでは近年広大な森林が焼かれています。安価なパーム油を取るためです。パーム油は食用油、加工食品、化粧品等に使われパーム油を使用した企業は多額の利益を手にしています。パーム油産業の拡大によりインドネシアの森林は8割失われました。政府は腐敗しています。賄賂を受け取って、森を焼く認可を企業に与えています。この状況が続けば影響を受けるのは人間だけではありません。森の動物たちも行き場が無くなります。森林破壊が進むのはパーム油を含む商品が売れるからです。食料や日用品を購入する時、自分の選択が生態系にどんな影響を及ぼすか考えて欲しいです。

バード大学教授:あなたにも出来ることがあります。食生活を変える事です。熱帯雨林の森林破壊を促進する理由のトップに挙げられるのが牛肉の生産です。何故なら牛を飼育するために地球の資源を無駄に使うためです。何よりも牛が排出するメタンは強力な温室効果ガスです。満腹になるまで干し草を食べながら、メタンを吐き出しています。メタンは二酸化炭素の23倍の温室効果を持ち大気中の大部分のメタンは家畜たちが排出したものです。
アメリカ全体の排出量の10~12%は牛肉の生産によるものです。驚くべき数字ですが、チョットした食生活の変更でいいのです。例えば牛肉じゃなく鶏肉に変えるとか。毎日豆腐を食べましょうと言っているわけではありません。たまには別の食材に変えることはできるでしょう。食生活を変えることはそれほど難しい事ではないでしょう。

ハーバード大学教授:(気候変動に対する解決策と言われる炭素税について)炭素を空気中に排出する行為全てに課税するものです。課税して価格が上がると消費が下がります。炭素税を導入しないのは政治家が望まないからです。炭素税を導入し、他の税を下げる方法もある。政治家は国民の声に敏感なので世論を変えるべきです。国民が変われば政治家は変わります。

ストックホルム大学環境科学教授:我々科学者が恐れているのは、あるポイントを超えると温暖化が止められなくなることです。この転換点を越えた例がグリーンランドです。史上初めて広い範囲で氷床が解け、色が白からグレーに変わりました。永久凍土の下に眠っていたメタンが放出されるのが一例です。
ドイツでは電力の3割を太陽光と風力で生み出しています。デンマークでは風力発電だけで、国の100%以上の電力を発電できる日もあります。全て再生可能エネルギーです。
スウェーデンでは若者や市民団体の声が首相に届き、遂に脱化石燃料国家を目指すと宣言しました。


オバマ前大統領:パリ協定は歴史的な合意に至りました。史上初めて、世界中の国や地域を巻き込んで具体的な目標を設定できたことです。しかし科学者たちの意見を聞くと、もっと踏み込んだ目標にするべきだと思います。

ディカプリオ:科学者たちは近い将来、南極の氷が解けると取り返しのつかない事態になると言っています。4メートルから6メートルの海面が上昇するのは間違いないと。大統領は極秘の情報にもアクセスできます。大統領が未来に恐れていることは?

オバマ前大統領:世界の人々の多くは海の近くで暮しています。もし彼らが内陸部へ大移動を始めたらあることに気づく。それは資源の乏しさです。そして奪い合いが始まるだろうと思います。国防総省は、これを環境問題ではなく安全保障の問題だと言っています。この先、世界が緊迫した状況になった時、我々は乗り越える力があるでしょうか。だから今行動を起こさなくてはならないと思います。

NASA博士:20基の人工衛星を使って地球を分析しています。極地の氷が実際に溶けて海面が上昇していることは間違いないです。
でも絶望感に浸るのではなく、問題視して解決を探すべきでしょう。望みはあります。化石燃料の使用をやめれば、地球の気温はしばらくして下がるはずです。今必要なのは霧の中をさまようような混迷から抜け出すこと。目の前にある脅威を正しく認識することです。人間は何が最善なのか認識すれば必ずやり遂げます。

ディカプリオ:世界を旅して、地球はもはや緑あふれるエデンの園ではないと実感した。現在はあの絵の2番目の絵だ。ボスはこれを洪水以前の人類と呼んだ。頭から離れないのは最後の絵だ。空は真っ黒な雲に覆われ地球は壊滅状態にある。僕たちは防げるのだろうか。僕たちにできるのは次にとる行動を選ぶこと。どのように暮らし、何を消費し、社会とどのように関わり、だれに投票するか。そして各国の首脳に気候変動の事実を訴えていかなければいけない。

ディカプリオ国連演説:21年も議論を尽くしてきました。もうこれ以上会議や言い訳、長期にわたる研究は必要ありません。このあたりで化石燃料業界には未来に影を落とす政治への介入をやめてもらいましょう。世界中が見ています。皆さんの行動が未来の世代の運命を決めます。みなさんは地球の最後の希望です。今行動しなければこの地球上に存在するすべての命が失われるのです。


①映画の概要と感想はこちらからhttp://ksc.miyachan.cc/e542799.html
③西原さんの講演の内容はこちらから http://ksc.miyachan.cc/e542794.html

   

Posted by みやざきNPO・協働支援センター at 09:46Comments(0)イベント報告

2018年09月22日

ヒムカレッジVol.1「地球が壊れる前に」上映会×西原智昭氏講演会 イベント報告 映画部分あらすじ感想編

ヒムカレッジVol.1「地球が壊れる前に」
映画部分 あらすじ感想


ヒムカレッジVol.1「地球が壊れる前に」上映会&西原智昭氏講演会が、去る7月28日に行われました。
3回シリーズで皆様に内容をお伝えいたします。

その第1回目の内容は映画のあらすじです。

ヒエロニムス・ボスの「快楽の楽園」の描写から始まります。
ディカプリオ:「左の絵はエデンの園のアダムとイブ。中央は人間の罪深さを表現した享楽の世界。右の絵は地獄、終末の世界で美しい世界は見る影もありません。」



この映画はハリウッド俳優であり国連平和大使のレオナルドディカプリオが2年間にわたって世界を旅し、環境破壊が進んでいる場所や、それによって影響を受けている場所に直接向かい、自分の目で現状を見ながら現地の大学教授や環境団体などの人と現状や対策について対談を行っています。その他に政治家や、オバマ前大統領やローマ法王など世界のVIPとも対談して意見を聞いています。

この映画で特に問題視されていたのが森林伐採による地球温暖化だと思います。この映画によると化石燃料を採掘するための伐採と、パームオイルという化粧品や食用油や加工品に使用されるオイルを採取するためのアブラヤシプランテーションの開発のための伐採と、牛肉の生産のための伐採等があげられていました。

私たちが便利な生活を求めた結果、森林が破壊され、二酸化炭素を吸収しきれず温室効果ガスによって地球が暖かくなり、氷河が溶け、海水面が上昇していくという事でした。
すでに太平洋の小さな島では洪水が頻発し、いつかは水没すると言われ、森林伐採とは関係のない国まで影響を受けているということが分かりました。この国では海外移住対策をとり、希望する国民はすぐに移住できるそうです。

また、地球温暖化対策が遅れている要因として、一部の政治家がエネルギー業界からの資金提供をうけており、そのため国レベルで対策が取れず対応が遅れているという事があるようです。
しかし映画の後半フランスでパリ協定が結ばれました。パリ協定は、最も二酸化炭素を排出しているアメリカと中国も批准し世界中の国や地域が加盟した歴史的な協定になったようです。
※この映画が製作された後アメリカはトランプ大統領が就任して、パリ協定から離脱することが発表されています。

そして最後にディカプリオの国連での演説がありました。「もう議論はいらない。今行動しなければこの地球上に存在するすべての命が失われる」と言いました。
他にも様々な環境問題を取り上げています。地球に対する考え方や自分の生活の在り方など、改めて考えさせられる映画でした。


②映画のセリフ編はこちらから http://ksc.miyachan.cc/e542797.html
③西原さんの講演の内容はこちらから http://ksc.miyachan.cc/e542794.html

  

Posted by みやざきNPO・協働支援センター at 17:45Comments(0)イベント報告

2018年04月28日

ヒムカレッジVol.5 「超えろヴィレヴァン、新しい公共施設の在り方」を開催しました。

2018年2月18日(日) 岐阜市立図書館 館長 吉成 信夫氏お招きして、ヒムカレッジVol.5 「超えろヴィレヴァン、新しい公共施設の在り方」を開催しました。休日の朝早い時間から多くの方にお越しいただき、あっという間の2時間半でした。

□講師紹介
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吉成 信夫氏(岐阜市立図書館 館長)

コンサルティング会社役員などを経て、家族で岩手に移住。石と賢治のミュージアム研究専門員を経て、「森と風のがっこう」を開校。2003 年、岩手県立児童館「いわて子どもの森」館長を兼任。2015 年、岐阜市立図書館館長に就任。
スナフキンとカフェと旅が好き。
著書に『ハコモノは変えられる!-子どものための公共施設改革-』(学文社)などがある。
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◆自己紹介
私は、岩手の人間の様な顔をしているんですけど、元々東京生まれで東京育ちです。30過ぎてコンサルタントをしていて、40歳になる時に小さな会社だったので後は社長になるしかなく、お金勘定するのも嫌だなと思って、どうしようかと思った時に、実は子どものころから宮澤賢治が好きだったので、39の大人が岩手にぽーんと飛んじゃったんですよ。なんとかなるわ、みたいな感じで。

岩手に行って最初の仕事は、石と賢治のミュージアムと言う公共施設を創る仕事をしました。詳しくは著書に書いています。
その次は岩手子どもの森と言う県立児童館があって、そのオープンの前の年から結局8年間初代の館長をやりました。
3つめが森と風の学校という私の私塾みたいなところで岩手にそういう場所を持っています。私が岐阜に来ちゃっているので、今3年間は休止中になっています。それまでは15年ずっと続いてきていますね。
そして今回の岐阜の仕事は四つ目ですね。本当は何を大事して来たのかというのを図書館に行き着く前に大事にしてきたことと図書館で大事にしたいことは変わっていません。

◆自分の居場所づくり
私がずっと大事にしてきている事っていうのは、子どもの頃の記憶とか子どもの頃の感覚とか子ども性というものが自分の中にあってそれを拠り所にしてやってきたんです。
それで皆さんに聞いてみたいのは皆さんが子どもだった時、小学生ぐらいまでと仮定してのんびりゆっくりぽけ~とできるような空間とかという様な場所を、どんなとこがあったかのか聞きたいんですが。


・一番好きだったのはちょっと危ないところで鉄城門があって、松林でそんなところでした。
・いつも山とか川とか行って、一人で行きました。
(子どもの時って一人でも行くんですよね。いつも一緒じゃないですよね一人の時間って結構ありました。)
・木の上に友達と作った、板を2、3枚くくりつけて基地にしたところがあって、そこに一人でいること
が。

今皆さんに質問したのは実は図書館作りと全部関連したことなんですね。居場所なんですね。居場所ということをどう考えて図書館の中に反映していたのかということを、その時に一番大事にしていました。その場所が非常に快適で気持ちがよく自分の居場所になっているかどうかということを公共施設であっても、一番に考えるという事をやってきたつもりです。
ヴィレッジヴァンガードの1号店というのは名古屋なんです。イオン展開をしてからヴィレッジヴァンガードさんは、雑貨屋さんみたいなイメージしかないですよね。元々は遊べる本屋さんというキャッチフレーズで1980代だったと思いますが急に出てきたところです。アメリカのポップカルチャーとか、それから精神世界的な流れだったり。僕は下北沢の方ヴィレッジヴァンガードが大好きで、東京に行くとあそこに埋もれると何時間も出てこれないという感じで。そういう場所ができないかなーと思っていました。

◆メディアコスモスという複合施設


市立図書館はメディアコスモスという複合施設の中にあります。メディアコスモスの三分の二は図書館です。図書館を中核とした複合施設と言ってもいいんじゃないかなと思います。他には市民活働交流センターが入っていたり、外国の人たちとの交流センターが入っていたり、美術展ができるようなギャラリーがあったり、ローソンが入っていたり、スターバックスが入っているそういうような場所です。
あと2年経つと私たちのメディアコスモス前に市役所が全部移転して来ますが、実は元々私が来た時に与えられた使命みたいなのは、まちづくりと関係させるというところから生まれた図書館であります。80m×90mと、とんでもない広さです。そういう広いところで僕もびっくりしました。

◆超えよう、ヴィレッジバンガード!
私が4月1日に図書館長になって、挨拶をした時に言ったのは、ヴィレッジヴァンガードを越えていこうと言ったんです。みんなヴィレッジヴァンガードを知っていると思ったんですが69人の全職員を見たところクスッと笑ったのが5人。あとは何を言ってるんだこのおっさん、そんな感じでした。何を言い出すのか非常に不安がられたと思います。例えが悪かったのかな、ヴィレッジヴァンガードと言ってわかんなかったら、例えを変えましょうかと言って、私は、ほぼ日手帳で行きますと言ったんです。その時にも、にこっと笑わってくれたのが5人位。なぜほぼ日が好きなのかというと余白があるということなんですね。余白があると安心しますよね、なんか。人間って余白から見ますよね。本文は読まない、基本的には。そっちで行くからねという話をしたと言う事を今でもよく覚えています。

◆年間来館目標100万人達成のために
通常多くの図書館の計画は機能別に空間を作りながら始まっていくわけです。けど実際に80m×90mの大きさで何が違うかというと、うちの場合はどこにも壁がないんです。全てが見える、そういう状態なんですね。そうなった時、何が起きるかというと想定がついたわけです。
旧市立図書館は、年間の来館者の推計が15万人ぐらいだったと思います。私が来た時は来館目標が100万人でした。15万人から100万人までは机上の空論で考えるのは簡単と思うのですが、その100万人をクリアしないと次の年に予算が増やせないということが現実的にはあるわけです。今まで想定できなかった人たちにどうやって振り向いてもらえるか。既存の顧客よりむしろ潜在顧客だったり、図書館にあまり目をくれなかった人達にどうやって振り向いてもらえるかということからもう1回図書館を作り直そうということを4月1日に決めました。だけど私に与えられた時間は3ヶ月しかなかった、だから職員は不安だったと思います。ヴィレッジヴァンガードと叫んでるし。一体どうなるんだろうここはみたいな。大丈夫なのかとか思われたと思うんですね。

その時に、大体一週間ぐらいの間にこういう図書館の方向性の角度と長さのベクトルはこういう風に持ってきたよというチャートを作りました。自分の中で気持ちいいと感じた瞬間、どこだったんだろう、どんな場所だったとなぜそうだったんだろうというものを図書館の中を歩いてみた時に感じる、それを基にして作りました。

3年経って広がっています。一番は図書館学校連携で、学校としっかりと学校の図書館を一緒になってやっていくということです。それで学校支援室と言うのをつくって、専任の司書をおいて、私とコンビで二人でタッグになって学校の中に読み聞かせに入って一緒になって学校の雰囲気を感じさせてもらいながら考えていくというものを今もやっているんです。

もう一つは図書館だからといって100万人来る人を待っているだけじゃしょうがないですね。ここに100万人来たから良かったじゃなくて、むしろこちらからアウトリーチで出ていくそういう考え方です。いろんな所に能動的にどんどんどんどん現場に出て行って、本を媒介にしてそこからコミュニケートが生まれるような場所というのを図書館はどんどんと作っていく、取材にも出て行くし1年目から、かなりいろんな形でやっているので、街と繋がるとか、人と繋がるとか、色々書いていました。

◆1年目の来館者実績123万人
開館1年で123万という 人が来まして、疲れ果てました。毎週日曜日と土曜日は5000人から6000人来ました。それを踏まえて大事にしなくちゃいけないことはこれだということを2年目の一番初めの日の朝礼で職員に話をしました。
「みんなの森 ぎふメディアコスモス」という名前がついているんですが、みんなとは誰のことをいうのか、1年目には、少なくとも名前と顔が200人は私でも、すぐにそらんじて言えるだろうと。でも現場のサービス、カウンターにいる人だったら、もっと会っていますよね。もっと言えますよね。それを74人職員がいましたので74×200にしたらどうなるかという話をしたんですね。全部違うかもしれない、人がダブっているかもしれない、そういうものの積み上げしかないですねこの123万人という数は。

◆市立図書館の来館者の構成比、県立図書館との差別化
以前の図書館は40歳以下の利用者の割合が3割ぐらいでした。残りの7割は40歳より上の世代が来ていたんですね。今は40歳以下の利用者は大体6割近くまで来ています。今までは40以下の子育て中の世代はほとんど来なかったんです。その世代の人たちが、今はどんどん来るようになったのでまったく構成比は逆転しました。
その世代を想定しながら子どもが来ている図書館というのは絶対元気が出るし、大人が見ているだけでも関わらなくても声をかけなくても元気をもらいますのでそういう図書館にしたいと思っていました。
私たちが大切にしたいこと「子どもの声は7未来の声」、カウンターの後ろに貼っています。「子どもの声は未来への声、私たちの図書館では本を通じて子どもたちの豊かな未来へと繋がる道を応援したいと考えています。就学前のお子様から小中学校、高校に至るまで長い子どもたちの育ちを見守る場所でありたいと思っています。ですから私たちが館内で小さなお子様が少しざわざわとしていたとしても、親御さん達と一緒に見守ります。来館された皆様もどうぞそのような考え方を持った図書館だと理解していただくとありがたいです。」って優しく書いています。

よく言われたのが、岐阜市に市立図書館を作ってどうすんだって。岐阜市には岐阜県図書館があり、そこに市立がまた同じような図書館を作ったら、お互い利用者が減るじゃないの。税金使ってそんなの作っていいのと?言われました。そこでポジショニングを全く変えようと思ったんです。そういう時って力入りますから要は市立図書館と県立図書館の役割を全く変えてしまえば用途によって使い分けられているわけですね市民は。つまり選択肢は2倍になるんですね。そういう場所になったら岐阜ってどっちも栄えると思っているんです。
うちは赤ちゃんが泣いても外に出てくださいって言わないと、はっきりとそれは明言しましょうと、だって壁がないんだもん。泣きますよ子どもは、この構造でできた以上うちはもうそこは許すと言うかそれは子どもの声が聞こえたら未来の声がいいじゃんという形に変えましょうと。ただ今までの市立図書館というのは本当に静寂オンリーの図書館でしたから多分そう簡単に事が運ばないと司書さん達は思ってたと思います。
始めた頃はやっぱり言われました。言われるのはわかっていたわけですよ、じゃあ言われてからこういう風にしますと言っても遅いじゃないですか、先手必勝ですよね。言われる前にやっておかないと「うちはこういうふうに考えていますが何か問題ありますか。」と、言いませんよ公立ですから。何度もマスコミからマイクを向けられて喋らされそうになりましたがそうは言いません。

先ほどの続きです。「そして小さなお子様のお父様お母様にもお願いです。ここは公共の場所です。遊び場運動場でありませんので公共の場所でのマナーをお子様に教えていただく場としても、ご活用いただければ幸いです。みんなでお互い様の気持ちを持ち寄る場所にしていきましょう、と言う風に決めました。」です。これ、東京では絶対言えません。遊び場でもそうですよね、公園の外側にいるお宅から、子どもの声がうるさいって訴訟になっているでしょう。

◆居場所づくり


電気の巨大な傘みたいなのが11もぶら下がっていまして、その傘ごとにいろいろエリアが分かれていまして、この場所を見た時に私が考えていたことができるかもしれないと思いました。なぜなら、僕が前にやった県立の大型児童館と空間の作り方、考え方が似ていたので。つまり何か、これはリビングルームのことです。特に北欧、スウェーデンとかデンマークとかフィンランドとか。図書館とか青少年のユースセンターとの人たちと話をすると必ず出てくる言葉はリビングルームという言葉です。公共の場所はリビングルームであるということです。ストックホルムに行った時に本当にそう思いました。くつろげる場所がなければお母さん達来ないですよね。乳母車乗せて来ないですよね。だからここで子どもと一緒に自分の家のリビングルームのように寝転がりながら本読んでていいじゃん、子どもがうとうと寝ちゃっていいじゃん、リビングルームなんだからという風に思います。そこに本があるということが大事です。本が人をつなぐかもしれない。本を通して人がお母さん同士が仲良くなるかもしれない、話がしやすくなるかもしれない。そういうことの方が僕は大事だというふうに思っていて、この場所を0歳児から2歳児の限定をして使ってもらっています。はじめはイオンかと言われましたけど公共施設なんで哲学はあります。

子どもが生まれる前のお母さんも来ていますけど要は子どもが産まれて0歳児から18歳になって市民権を得るまで、いつでも図書館に来ればその場所があるよという形でずっと付き合えるような形のものにしていきたいというのが私の考えです。これはうちの図書館の一番大きな柱なっている考えです。子ども支援だけを大事にしてやっているわけじゃないんです。その子たちが大人になるわけですから。その大人になる時まで図書館で育った子どもたちは大人になって今度また新しい家庭を築いて子どもと生活をするときにも図書館に通ってくれるかもしれないですよね。たぶん町の図書館てってそういうふうに作られてきたと思うんです。だから居心地のよさっていうのは、本当に大事なことだと思っているわけです。

◆三つのモットー
基本的な考えというのは市民に寄り添った身近な滞在型の図書館を目指します、という言葉でした。具体的な三つのモットーを作りました。「ここにいることが気持ちいい」、「何度でもここに来たくなる」、「いつまでもここにいたくなる」です。この言葉は利用者に向けてではなく職員にも言っている言葉です。職員74人がいれば74通りの方法で74 通りの感覚で、自分がここにいると気持ちいいと言うのはなんでそういう風に思えるのか、何度でもここに来たくなると自分がそういうふうに感じるのか、いつまでもここにいたくなる図書館にするためには自分は何をやってるのか、ということです。それを明快にクリアに言えなければ職員じゃないと私は思いましたので自分なりの言葉で自分の経験の中からそういう言葉を出してきてもらいたいと思いました。

◆開館までのトレーニング&ワークショップ


開館まであと3ヶ月ありましたのですぐに朝礼のスタイルを変えました。一つは私がその日思いついたキーワードをマジックで書いてそれ5分間、74人の職員の前で、なんで私はこの言葉を大事にして図書館を作ろうとしているのか、毎日オープンする前の日までずっとやりました。
それと朝のブックトークをやりました。皆で74人円になって、毎朝一人づつ5分間、73人の前に出てきて私はこの本が好きなんです、なぜならみたいな話を自分の言葉で5分間やりました。初めはやらされ感満載だったんですね。館長が言うからしょうがねえからやんなくちゃみたいな感じだったんですが、1ヶ月ぐらい経った時に噂が聞こえてきたんですよ、どうも楽しい、人の話を聞くのは面白いという言葉が聞こえてきたんです。司書さんというのは客観的なデータを客観的に扱うように訓練されてきてるわけですね。それは情報を扱う上で大事なことなんですが、主観はないのかという話です。主観がなければ、他の人を好きにならないよね、と僕はそう思うんですね。主観だけで押し切るのはいけないけど、気持ちも伝えてほしいと思いました。

1ヶ月経った時に全員でワークショップをやりました。この図書館をあなたが館長だったらどんな図書館にしたらワクワクドキドキする図書館になりますかって、ここで支離滅裂になったら、もうこの船は空中分解です。ワークショップをやったのは、職員全体の雰囲気がどこか、やらされ仕事をしてる感じがしたんですね。やってみたら、みんな楽しそうでした。壁に12枚の模造紙を全部張り出しました。Facebook でいうといいねマークのようなマークを一人三個持っていて、いいなと思う施策、アイデアに対して矢印シールを張っていってたんですね、私も貼りました。館長がどこに貼ったかもみなわかるわけです。重なったところは全部やろうというふうに決めたんです。

前年度に予算を計上するために準備していた図書館の事業の9割はやめました。もう1回自分たちで作り直すということを試しながらやっていったんですね。本当に大変だったんですけどでも手応えがすごくありました。一番大きな手ごたえは次の日の起きました。朝、それ以前は、誰も私におはようって言ってくれなかったんです本当に。でも次の日に次々とおはようとあいさつが私にかかりました。そこで一緒にもしかしてやれるかもしれないと私も思いましたし司書さん達もそう思ったと思います。うちがオープンするまでの3ヶ月のプロセスを展示エリアに全部展示しました。うち、こうだからって。全部見せるけど文句言う人誰もいなかったですね、それについて。よく読んでる人がいました、なので今も一部は掲示しています。

◆楽しい図書館
楽しい図書館にしないといけないなと思ったんです、ヴィレッジヴァンガードという以上は。本の背表紙だけ見える図書館のやり方を変えて本と本との間にある机の部分をディスプレイ台に変えました。児童係と一般の読書推進チームとリファレンスチームと3つチームごとに、自分たちがどんなディスプレイを作ればいいかということを一ヶ月の間に考えてみんなの前でプレゼンしてくださいって言って、やったんですね。これが本当に面白かったんです。
児童係のところでは商店街をつくり、そこに郵便局がありました。館長のお手紙が届くポストというのがありました。夏休みになるとすぐ1日5通とか10通とか来るんですね。全部返事書くって約束しているので毎日夜書いて次の日の朝壁に張り出すとみんな読んでいるみたいな、そういうことになったんですね。とにかくコミュニケートする機会を作りました。今まで館長が子どもと直接触れ合うなんてなかったわけですよ。館長だけじゃないですよ、司書さん達もそうです。

一番初めのアイデアは、児童係の人たちからのプレゼンでした。全員の前でけっちょんけっちょんに立ち上がれないぐらいよくないと言ったんです。でも、三日後にやり直したのを見た瞬間びっくりです。すげーな三日間でここまでやるって。司書の心に火がつくってこういうことなんだなと、もともと持っているわけなんですよ。みんなそういうことをやりたかったんですよ、でも誰かが止めているんですよ絶対に。もしくは雰囲気が止めている。役所のカルチャーが止めている、いろんなことがあると思うんですね。そこをちょっと外したらいや、上がもっとやっているので、じゃあいいよねってやりはじめたんですね。それが本当に大きなことだと思います。

◆開館後の仕掛け~子ども編~
普通絵本読んだり読み聞かせって一つの部屋でやりますよね。だけど、そこで暗幕閉めちゃったら、何やっているかわかんない。通りすがりで見られるってすごい大事ですよね。つまり読み聞かせにも別に行きたいわけじゃない、でもなんか楽しそうだぞ、子どもがゲラゲラ笑っていてすげー楽しそうだと思ったら、人吸いよせられるでしょ。そういう感じの場所もないとダメなんですよ。全部区切って機能別にやっちゃったら。今までのように、読み聞かせの部屋でやるものもやっていますし、こういうさっきの0歳から2歳までのリビングルームの場所でもやっていますね。両方の違いがあるからいいんですよ。つまり面白くなくなったら子どもいなくなりますから。その恐怖に耐えながらみんなやっているわけですよ司書さん達力つきますよね。


これはわんこの形をした車輪がついていて、どこでもいけるんですね。これで小学校行ってるんですね私は。もう大歓声ですよ。3年経っても、きららが来た館長も来たって言って。背中がパコッと開きまして、そこに50冊の絵本がつめるようになっているんですね。効果絶大ですよアウトリーチとしては。遂に2号が登場なんですよ、これから名前を募集するんですけど。猫も作ろうっていう感じでやっているんですけど。1ヶ月の間に1600通集まりました。もう楽しみにしていたんですね子ども達は。凄かったですね、その熱量が。

◆開館後の仕掛け~大人編~
この図書館の考え方は本を貸したり借りたりする場所だけじゃなく、街の大事な情報をどうやって外部に出してもらってそれをちゃんと言葉化するかということも私たちの大事な役割ですのでその情報を受け取ったらその場所に行ってもらいたい。そのための情報を作るために編集とマッピングをしているんです。そうすると行くんですよね。

うちの中の第1号のポップ。これは教育いじめとかそういう問題を扱っているコーナーに「その悩み一人だけじゃない」というポップを作ってくれた ヤングアダルト担当の若い司書がいました。私はこれを見たとき本当思いました、これこそヴィレッジヴァンガードだよねって言いました。図書館だから人の琴線に触れるような言葉をちゃんと自分なりに出して欲しいと、そうするとこれを一年中ポップを作ってますんで、どういう言葉を出すのかみんな常に考えているんで。そうするとやっぱり変わっていくわけですよね。自分の言葉の引き出しが、そう思っています。

展示エリアを手づくり展示で埋めるって大変なんですよ。イベント費が殆どなかったんですがかえってそれが良かったですね。お金がないと、近所のおじさんとか面白そうな人に、ただで来てもらいます。申し訳ないですけど。1年やってきました。この場所をどう生かしたかと言うと、公共図書館の中にマイクロライブラリーの場所を作っちゃえばいいと思ってそれを作りました。本がどんどん入れ替わっていくんですね。意外とそこから借りていくんですよ、面白いもので。やってみたら、もう3年もやってますけど、本当に面白いもんだなと小学生も、大人も出していますし。

そんなことしてるうちに本とまちづくりという、図書館長と一緒にトークをやるというイベントのをやったんですね。その時にこのチラシができた瞬間各部署からまちづくり関係の部署から、君、何なんだ、これはって!まちづくりの部署じゃないでしょってここは!って。よく見てください本を通じたまちづくりって書いてあるでしょうって、うちまちづくりしてないですからと。だから本というのは本当に強いですよ。全てのテーマ 包含できるんで、本とつけとけばいいんですよ、全部。


今うちで人気なのは、大人の夜学という講座をやっています。子どもは入れません。これがいま本当に看板事業で NPO といっしょに共同事業でやっています。実際にNPOに委託をして、企画については一緒に考えながらやっています。
幇間芸って、わかります?お座敷芸で、岐阜には日本で3人しかいな幇間芸をやる人がいるんです。幇間芸を図書館の中で、夜やってもらいました。そういう大衆文化的な側面とかいろんなものがあったり。

◆みんなのたからものMAP

市民の皆さんにこれから歩いて行ける、いい喫茶店はどこにあるかっていうコンテストやるからという事でかなり数が集まり、マックを操るデザイナーのような司書にお願いして作りました。図書館に来た方が、これ持ってそこに行くんですよ。お店の人にありがたがられています。これも情報、観光にならない観光ですよね。図書館は観光にならない観光も扱えばいいんです、私はそう思っています。それはなぜなら中心市街地の中にある図書館だから 回遊性を促すって、大事な役割を持っていますので、そこに歴史や民族学的な深さが加わればもっと新しい角度からその場所を発見してしまうことも可能となりますね。それが図書館としての味付けだと思うんです。とにかくありとあらゆるそういうテーマを創ったり、どんどんと出していくと、そういうことをやっています。

◆子ども司書
ちょっと自由な立場で学校で子どもの読書をどんどんどんどん先頭を切ってもらうような子どもを育成できないかと思っていたところ、岐阜市内にいるアンドリューデュアー先生という子ども司書制度を日本に普及させたいと思っていた方がいたので、意気投合して始めました。
読書って言うと日本では黙読なのですけど、学校の中では黙読をするだけではだけではなく、読んで自分の感情が動いたり考えが深まったりしたことを相手に伝える、歌にする、演劇にする、音楽にする、そういうところを表現するところまで含めて岐阜市では読書活動と言おうという規定に変えました。第二次岐阜市子ども読書推進計画には、岐阜ではそこの表現までを含めて読書ということにしました。
子どもの司書たちがFM ラジオ局で放送を毎月1回やっています。毎月2回集まって1回目は企画会議、2回目が本番。これは学校の勉強とは全然違うんですよ。初めは私が司会をしながら子どもと一緒にやってました1回目の時は台本全部作って棒読みでした。4ヶ月ぐらいたったら館長大丈夫だから自分たちでできるからと私はノーサンキューと言われました。彼らは自分達で台本創りました。今1年経って、2年経ってどうなったかかと言うと、台本はいらないです。キーワードだけ。ストーリーの進行があってそこにキーワードだけ書いてあって、阿吽の呼吸で、番組が作れちゃうんですよ。単に遊んでいるだけなんですよ。例えばある時のテーマで子どもから家出と言うテーマでやりたいと言ったんですね。もう職員はビビってました。内容としては、例えば、家出する時にどんな本を一冊持っていくと問いかけると。国語の辞書と言った児童がいました。野宿する時に枕になって、それから寒くなったら一枚ずつ 火に燃やせる。それから飽きたらずっと読んでいられる。なるほどそうだよねって思ったんだけどね。子どもたちが本で読んだことも語りますけど、本で読んだことがないことでも子ども達が日々感じていることを言葉にしていくっていうことをそれこそ、その言葉が社会的なものになりますので、リテラシーの力を養うことでもあるんですね。そういうことも大事にしたいなと思うことでこれも続けています。

◆本のお宝帳

これは本のお宝帳、全小学生に全部配りました。本は何で大事なのかと言う図書館論を私は、はみ出しスペースに書いています。全部暗記した子どもたちもいました。50冊の本の感想を書いてもらうんですよね、中には小学校の2年生の男の子が館長にどうしても見せたいとお母さんと一緒に見せに来てくれたんですけど、全部絵が書いてあるんです五十冊分、全天然色で。絵本ですよ完全に。そういう子もいます。15冊達成するとグランドマスター、マスターオブジュダイになるとカンチョーより偉いとか必ず持ち上げます、その子がいたら。でも冊数を読むことだけがいい訳じゃないんじゃないかなって言いながら。そこは言っとかないと冊数競争になっちゃうんで。

◆中学生、高校生向けの仕掛け
朝井リョウさんに毎年来てもらって、朝井リョウさんと市民がホールで観ているところで全部自分で自作の短編小説を朗読するという恐ろしい事やっています。200人以上入るホールでこんな怖いことやって誰が来るんだとか言いながらやってみたら60人以上の作品が集まりました。
中高生と司書ををつなぐ掲示板というのがあるので絶対ここだけは見て欲しいですね。昔生協の白石さん、ってベストセラーなったのあったでしょ、あれの中高生版です。つまりいろんな質問、悩みを質問箱に入れてくれたら司書が回答しますという風になってます、仮名で。初めの一週間は本に関する図書館に関する質問でした。それ以降は、全部生活相談に変わりました。恋愛の三角関係をどうやったら解消できるかとか、進学の相談とかなんでも来ます。緑色のペンで僕が読んでもほれぼれするような、ウィットに富んだ回答する女性の司書がいたんですけど、産休で休んで、あの緑色のペンのひとは、いつ戻ってくるんですかとか、寂しくていられません。緑のペンのひとロスという中高生が30人ぐらい生まれまして。そんなに愛されてんだと思って、逆に二度と戻すのはやめようと。次の人に変わらないといけないので、変えちゃいました。この文章の回答の文章は私を通ってからじゃないと絶対出さないとはなっています。

◆ビジネス対応◆

図書館はビジネス相談もやっています。県のよろず相談のコーディネーターの人が毎週一人入ってもらって1日そこでよろず相談を受けます。その隣にビジネス支援担当の選書をしている司書さんを配置します。2人一組でやります。ただ場所を棚貸しをしているわけじゃありません。でもそしたら県のよろず相談のコーナーに来る人の倍の数来ちゃったんですね。敷居が低いとあらゆるニーズが飛び込んできます。それをうちの司書さんたちが、どれだけレシーブするだけの感性を持っているかですね、勝負は。スピード感と。イスラム教徒さんでハラル食のパンをビジネスにしたいという祖方が来館しました。醸造用アルコールを使わないパンですね。いきなり店を出すのは難しい、お金を出すのは難しいので、じゃあうちのメディアコスモスの前で移動自動車でやってみたらと言ったら、すぐに実現して、すごい売れ行きになってしまって、今は岐阜大学でも売ってる。これ1日のこの借り代が170円。信じられない金額で貸しているんですね。うちに相談に来た人あそこでやってますけど、っていうのを、この前テレビの取材でその話をしたら大変なことになりました。そんなに安いんですかって。

◆展示コーナーの企画
司書さんたちの展示というのも相当力を入れてやっています。4ブロックありますので4ブロックを2ヶ月から3ヶ月に一回、全部変えて全ての司書がテーマに関わって展示の企画を考えて、2か月くらい前にまず私にプレゼンテーションをやってもらいその後最後に私ともう一回やるということで、私は全ての司書と展示の企画でよく話をしています。司書さんたちがどういう問題意識を持っているのか、館長がどういう問題意識で、この図書館で運営をしようと思っているのか。この時ほどわかる時はないんですよ。こういう切磋琢磨をやれているって言うのは嬉しいなと今でも思っています。

これ例えば村上春樹について、司書Sが偏見を拭い去る日々というこんな展示しないでしょ普通。正しいことしか言わないじゃないですか、そうじゃなくてなんか村上春樹読まなかったんですね、この司書女性なんだけれども。担当になったので読んでみようかと思って。半年かけて村上春樹をずーっと読んでいったら、意外に面白い、初めどんな人、村上春樹って67歳らしいとか、普通展示でこんなこと書かないでしょ。でもそういうふうにやって、心境が変わっていくという経過が見えると、今まで読んだことがない人も読みたいと思うじゃないですかもしかしたら。大事なのはそこなんですよね。そういうこと司書さん達がやってくれるのは嬉しいですね。

天体観測会を科学館といっしょにやっています。意外に天体望遠鏡で星を眺める事って理科系の人しかやらないと思っていたら、本を返したそのまま今まで天体望遠鏡を覗いたことがないファミリーがここでそのまま星を見て帰って来いくとかあって、本を読む人と星空を眺める人はどこかやっぱり繋がる世界があるんだっていうことをやってみて分かりましたね。

◆街中でのマイクロライブラリー&ぶらり ぎふまちライブラリー


図書館に120万人の人が来ているんだったら、うちの商店街にも来てくれないかなと一緒に考えて館長。と言われたんで、私の生活圏でいつもお世話になっているパン屋さんとか、おかしやさんとかいましたので、一緒に毎月夜考えようかという事をやりまして。彼らがマイクロライブラリーに目をつけて、自分のお店の庭先や軒先に共通の本棚を置いて、自分の本を並べて小学生が借りて行ってもいいみたいな感じにして8軒のお店とお寺さんが一昨年からこういうお店を作ってくれました。
私たちはお金を出しません、図書館がやっているのは何かというと、この8軒のへとつながる道ができるということですね、図書館から。じゃあそこにブラタモリのように図書館で人を集めて館長と行くぎふまちライブラリーの街歩きみたいな講座を創ったら40人ぐらい集まったんだよね。みんなでぞろぞろお店を巡って行くと、試食させてくれたりするじゃないですか。そうするとだんだん人が増えてくるんですが面白いもんで、小学生が帰りの小学生がなぜかいるんですね。いやー、食べられるかもしれないしって、くっついてきてそういう感じですよね、これは。本当に面白いなと思って、これを本当は私は、柳ケ瀬大商店街でやりたいです。ただ商店街があまりにも大きいので簡単にはいかないですね。先にこちらが走ってくれたんでここをショールームのようにして見せながら交渉しているんですけどね。今そうすると図書館に人が来ればいいんだけどじゃなくて、図書館以外のところでも本を人が身近に喋ったり繋がったりする場ができることだというのが大事だと思ってるんでそこを一緒に、図書館が支えはしようとそういうことをやっています。こういう市民が本と出合う、進めあう事やってきました。

◆婚活
婚活もやっていました。何かこれが意外にいいんですよね。いや~あなたは年収いくらですかとか普通に見合いってそういう現実的な話ではないですか。でもそうじゃないですね。この本が好きなんですけどと言いながらそういうのを隠してなんとなくゆるくつながることができますよね。それが大変面白いです。 

◆ボランティアについて
今何に一番力を入れているというと、ボランティアです。担い手をどうやって作りだすかということを図書館の事業がどんどん拡大してきていますんで、今後事業をどうとか こうなったら市民の人達に担ってなっていただくしかないと思います。市民のみなさんも自分たちで図書館っていうことをブランド化し、メディアコスモスというブランドを使いながら主体的に自分たちの好きなことやっていく。

先日生まれたのが、チェロを弾いているプロの人が地元にいるんですけど、その人が定期的にチェロを弾きたい、と図書館の中で。こないだ夜にやってみたらとてもいい雰囲気になりました。BGM としか思えないですね。いい感じなので。それが無料で味わえたらいいよねって。このぎふライブラリークラブっていうのはそういう形でやっています。
図書館ボランティアは今までの修理ボランティアとか、本棚の整理をしてもらったりとか読み聞かせに行ってもらったりとかそういう人たちですね。もう一つ作ったのはぎふまちライブラリーができちゃったんだったら、私たちの講座に二日間出席してくれた人たちはみんなまちライブラリアンになってもらいますという養成講座を11月からスタートしています。これはなかなか面白いです、来る人の中には元古本屋さんで10年店を閉じていた人が、もう1回商売ではなく、人に本を見てもらいたいという理由で講座に来た人もいましたね。介護施設の中に広場を作りたい、その広場の中に本棚を置きたいそれをまちライブラリとしてやりたいと言う人たちも来ましたね。どういうニーズが出てくるかわかんないですよ蓋を開けてみないと。でもそれは本当に私たちが考えもつかないニーズが出てくる可能性があると思っています。

これからの図書館に必要なのは実は今うちの図書館の嘱託司書さんの募集が始まったところなんですが、よくホームページをのぞいていただくと、このふたつの言葉が書いてあります。デザインできる司書とそれから、歌って踊れる司書、本当に書いてます。ご覧頂きたいと思います。昨年この言葉を募集要項に出したら、本当に私は歌って踊れる司書に惹かれてきました東京からと言う方もいらっしゃいました。その人大活躍していますね。誰がどんな反応するか分からないですね。言霊というのは、すごいなと思うんですけどね。こういう司書さんがいても いいですよね。そういうような形で私たちの図書館は今も進んでおります。

  

Posted by みやざきNPO・協働支援センター at 12:46Comments(0)イベント報告

2018年04月04日

ヒムカレッジ vol.4『油津応援団社長 黒田泰裕氏が語る 地域の活性化の秘訣とは。』開催しました

2018年1月24日(水)に油津応援団 代表取締役社長 黒田泰裕氏をお招きしてヒムカレッジ vol.4『油津商店街の今昔を知る仕掛け人 油津応援団社長 黒田泰裕氏が語る 地域の活性化の秘訣とは。』を開催しました。

□講師紹介
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黒田 泰裕氏(株式会社 油津応援団 代表取締役)

1953 年日南市出身。株式会社油津応援団代表取締役。日南市中心部の油津商店街を再生に導いた立役者の一人。
1978 年大学卒業後、日南商工会議所に入所。2012 年同所事務局長を経て、2014 年に油津の中心市街活性化事業のため、木藤亮太サポートマネージャーと村岡浩司氏3 人で(株) 油津応援団を組織。2016 年に同社代表取締役に就任。中小企業診断士保有。
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飫肥の食べ歩き・町歩きマップやカツオ炙り重の仕掛け人でもある黒田氏が、どういう思いで、そしてどのように油津商店街の活性化にどのように関わって来たか、そしてい今、地域で求められている商店街とはどんな商店街かを熱く語って頂きました。




◆日南市中心市街地活性化基本計画
 日南市は人口が徐々に減少し、油津商店街は、量販店が撤退する等衰退し、猫もあるかない商店街とも言われていてさびれていました。
 そんな中、日南に街の顔を作らなくてはと言う事で、日南市中心市街地活性化基本計画で油津が選ばれました。
52の事業の中で民間が取組む事業は2事業しかありませんでした。このテナントミックスサポート事業と、複合機能ビル立体駐車場整備事業です。この2つの事業のうちテナントミックスサポートいう事業を我々油津応援団が担ってきました。

◆月額90万の男をサポートする組織
月額90万円のテナントミックスサポートマネージャーに選ばれたのは福岡県の出身の木藤亮太さん。全国から333人の応募がありその中から9人が選ばれ、プレゼンで最終的に選ばれたのが木藤亮太さん。全国からも注目されており、みのもんたの番組では、衰退する日南市の商店街を活性化する請負人が選ばれたと紹介されましたが、揶揄するような表現で面白おかしく取り上げられていました。
そういう中で木藤君も頑張って来ました。四年間のうちに20店舗、商店街の中に誘致しなさいというのが彼のミッションでした。しかし見ていただいた通り商店街の中に借入をして店舗をオープンしようという人はなかなかいないわけです。困難なわけです。そのために彼を応援しようとする組織としてこの株式会社油津応援団というのができました。


◆油津応援団の立ち上げ
 油津応援団は、当初木藤君、村岡さん、そして私の3人で立ち上げました。村岡さんがなぜ、ここにいるのかといいますと、実はこのテナントミックスサポートマネージャーを募集して選ばれる時の審査委員の一人としてお願いをし快く引き受けていただき、油津応援団を作るときも村岡さんに頼んで一緒に会社をやってくれと、後で説明しますがカフェを運営するのが油津応援歌の一軒目の店だったんので、彼のタリーズとか色々やっているのでカフェ経営をされていらっしゃるので一緒にやってくれということになりました。

 あえて誰も歩いていない状況の中で記者会見をしました、私たちはこの時に、30万、30万、30万と合わせて90万円で会社を作りました。今から喫茶店をリノベーションしていくということでみんな非常に表情が暗いですね。今から将来に向けて街づくりをやるぞ!という明るさがなかったですね。これをインターネットで中継したものですからいろんなところで叩かれました。あの3人はおかしいんじゃないかとか、何を考えているんだとボロッカスに叩かれしまてしまいました。


油津応援団を立ち上げたのは2014年3月ですから、もうかれこれ4年前です。しかし90万で動き出したこの小さな会社が、今は44人が出資し1600万円を超える会社になっています。今1800万近くなりました。何でそんなになったかと言うとはっきり言って僕の顔ですね(笑)、商工会議所の事務局長していたと言うのが大きなバックボーンとなって、いろんなところを回って「今こそあなた私の出番ですと言って出資をして街づくりに貢献して下さい」と、そういう風にお願いしました。

ある会社の方が来まして、「黒田君とか木藤君がやっていることは最初胡散臭いと思っていたけど一生懸命やっているので、俺も応援するわ。どんな応援すればいいか」と言われたので「ここで飲んで食べてくれればそれで立派な応援になります。」「いや、俺はもっとなんかしたい。」「じゃあ、出資する、一口10万ですよ。10万する?」と言ったら「よしするわ」と。次の振り込まれたのを確認したら100万円でした。「あのちょっと間違っちゃないとか」と言ったら「いくらはいっちょった?」「ん~10万じゃった」と、実は100万円でしたけど。そういう人もいます。
今スタッフが3名、6名油津コーヒーは主婦とかいるんですけれども。この頃、非常に志だけは高くて「よりプロフェッショナル、より地域密着に、より継続的に的を絞れ、迅速に動き事業を仕掛けていく組織だ」と、たった90万しかない会社が言うことだけは大きかったですね。

最初は村岡さんに社長してもらって僕と木藤君が取締役でスタートしました。こういう3人の役員とこれがオニツカジュンゾウと言いますが設計士ですね。彼はこの後日南市の進出するITの会社の設計を殆どすることになりました。鈴木は公認会計士でヨッテンというオペレーションをしてくれています。加藤は農協の出身です。非常にそう言った関係が強くて、今コンテナとか油津食堂とかいろんな現場回りしています。今からが油津商店街の第一歩になります。


◆最初の一歩 アブラツコーヒー 
 こういう喫茶店がありました。麦わら帽子。古くはなっているけど、非常に趣のある昭和の名残を十分残した喫茶店です。15年間もクローズしていたので床も天井も厨房ずいぶん大変な状況でした。油津応援団としてこれを内装リノベーションしていくわけですが、見積もりが1000万を超えました。ここで悩むんですが1000万、そこまでやる必要があるかなと90万の会社が自ずといくら借りないかといけないかが分かります。出資を集めて800万借り入れすることになりました。
 
リノベーションの工事が始まります。飫肥杉をふんだんに使っていくデザインとなりました。アブラツコーヒーをデザインしたのは北九州の田村君という若い設計士です。設計デザインだけは凝るということ、これが油津のスタイルになるわけです。予算の都合、時間の都合もあっていろんな方に手伝っていただきました。壁塗りも子供達も来てくれて一生懸命皆で磨いてくれました。

そして2014年の4月30日、あの麦わら帽子はアブラツコーヒーという名前で再稼働をすることになりました。お客様は先にお金を払って注文し、お水もセルフでしていただく形にしたんですが、オープンした当初は、地域のおばちゃん達はえ~と思うわけですね。何で水運んでくれんと、こんな感じですだからずっと半年はトラブルトラブルでした。
しかしだんだんそういったことが定着をしてきます。座っていただくと分かるんですが隣があんまり見えないんで、非常に落ち着きます。パソコンで仕事もできます。若い家族にとっては九州パンケーキを食べながらくつろいで下さいと。リフォームではなくて新たな価値をリノベーション取り入れているということです。

オープン当初かなり話題性もあって売上が上がりました。しかし半年もすると売上が減少しています。この一年間は我々にとっては、非常に苦しい時代でした。油津のヨッテンがオープンすると同時に人の流れも増えてきての赤字だったのが利益をずっと出すようになってきました。
利益がでるとアブラツコーヒーが変わっていき、自分たちがメニューをどんどん作っていくようになりました。ランチのメニューを1ヶ月交代で作るようになりましたし、シフトも自分たちで考えるようになりました。つまり油津コーヒーはお店が新しくなっただけではなく、中で働く人たちも少しずつ進化していく、変わっていくそういう風になってきました。


◆2番目のお店 二代目湯浅豆腐店

そして2件目、アブラツコーヒーの隣に呉服屋さんがありました。数十年続いたお店ですけど、残念ながら衰退とともにここもお店を閉じられました。
豆腐屋さんがあそこでランチのお店をしたい、しかし自分達は全然経験がないので手伝ってほしいということ依頼が油津応援団にありました。油津応援団でデザイン、設計施工メニュー作りもお手伝いをすることになりました。高校の栄養士の先生にメニュー作りをお願いし、カロリー計算からできるだけ手作りの豆腐の良さを考えるメニューを考えていただきました。非常にヘルシーで女性には好まれる豆腐屋さんのランチになります。
ご主人は60になられましたが「なんで、湯浅さんは商店街のあんなところにお店を出したの」と、「やっぱりアブラツコーヒー、そして油津応援団が頑張ってる時に俺もなんかやっぱり手伝いたかった。人から見たら馬鹿に見えるかもしれんが俺は絶対成功して若い奴らが続くように頑張る」と言ってくれました。非常に涙が出るほど嬉しく思いました。

◆ヨッテンの立ち上げ
 ヨッテンの前身の量販店をどうするか、設計デザインを全国から募集し、応募数78点の中から選ばれたのが、福井県のミズカミテツヤ君と言う30歳の若い個人の設計事務所。量販店の屋根を取り中庭を作り、交流施設と屋台村を作るというアイデアはミズカミ君だけでした。「庭を作るの、商店街に?」と言う、彼のデザインは優れていたなと。
 金額は、1億5千万円。経産省のまちづくり交付金9000万円、日南市から3000万円、残りの3千万円は借入をしました。今もしています。100分の100はない。必ず自己負担が出る。できるだけそれを抑えるのにどうすればよいかと言うと、知恵を出さないとだめですよね、それと3千万円借り入れする覚悟があるのか、リスクを負うと言う気持ちがここで問われるんです。僕も、木藤も馬鹿なんで、とすぐやりました。そこが馬鹿な奴と利口な奴の分かれ目ですね。
 2015年5月起工式が行われました。僕は商工会議所にいたのでこういった建築物というのはできるだけ地元の業者を使いたいなと思います。ただデザインだけは、本当に良いデザインが欲しいので全国から公募をかけて選ばせていただきました。ただ仕事はきっちり地元の業者さんにお願いをするとこれも入札にしまして決めました。そして2015年11月にいよいよオープンしました。
 ヨッテンという交流施設は、セミナー、ファッションショー、セレモニー、会議、懇親会等々に使われています。日本青年会議所宮崎ブロック大会が300人規模で行われました。キンカンの初出荷に合わせてキンカンヌーボーも行われました。
それと油津カープ館。ここにはカープが日南で56年キャンプをしている歴史があります。黒田博樹15番のスパイクもあります。これは私と同じ苗字で私の長男がひろきで、黒田選手のお母さんがやすこ、私の妻がやすこというつながりで、球団の人が面白がって連れてきてご飯を食べに来るようになったのがきっかけで、わたしにプレゼントしてくれたものです。
そして商店街の空き地には、6つのコンテナを作りスイーツとか女性向けのお店が入っています。油津港には年には二十数回客船がはいり、そのお客様もこの商店街を利用されています。

◆今、街に必要なものとは?
 今、街に必要なものは何でしょうか。それは繋ぎ場、溜まり場ではないでしょうか。2011年の3.11、あれを起点にして日本人は何か変って来たんじゃないかと思います。若者は有名な大学を出て、大企業に入るそれだけではなくて、 やりがいのあるNPOで仕事をしたい、やりがいのあることをやりたいという人たちに変わっています。彼らをどうやって受け入れて一緒に手を携えて街づくりをやっていくことができるんだろうかということが一つ。
もう一つはカフェ化した街。カフェで仕事をしたり、読書をしたり、数時間いる人もいますが、家でもない会社でもない第三の場所、サードプレイス、溜まり場ではないかと思います。
油津商店街のたまり場は何か?ヨッテンというのがあってパーティーがある時には油津食堂から食べ物を取って食べるも事ができます。集まったり語ったり、飲んだりいろんなことをする溜まり場がそこにできています。溜まり場というところには人が集まるところに人が来ます。夢を見られる場所に人は来ます。いいものがある場所に人は集まります。安心で安全な快適な場所に人は集まります。自分のためになる場所に人集まります。自分を認める場所に人は集まります。つまりこうでないとないところには人は集まらないわけですね。こういうところを作れば人は集まります。今、町中に必要なものは溜まり場です。量販店が進出しても景気が悪くなると撤退する、そうなると、今の商店街がおかしくなっているのはまさにそのことなんです。今、商店街が必要なことは何かもう一回ちゃんと考えてみればわかるはずです。
日南市では、人口が一人減った場合だいたい124万支出が減ると言われています。日南市は今年間700人、人口が減っています。これが年間1000人単位で減っている地域にとっては年間1億から10億の消費額が消えていくわけです。商店街にスーパーできたから自分のお店の売り上げが下がって来たのではなく、スーパーが出てこなくても早かれ遅かれ、そのお店は売り上げが下がってくるのです。

◆ITの会社の進出~地元のゆかりの方の出店
ITの会社の受け入れを進めたのは田鹿マーケティング専門官。「東京では人事も集まらなくなっていて、地方に人材を求めているのに、何故宮崎ではなく、日南なのでしょうか」と進出してきた社長さんに聞くと、「なぜかと言うと対応が早いということです。他の自治体であれば1ヶ月かかるところが日南市では2、3日で済んでしまいます。トップが若くなったことによってまるでベンチャー 、IT会社みたいな感じです」と。IT会社の壁塗りも市民がみんな手伝ってやっています。IT企業と趣味の交流会も商店街でやっています。
 そして、鉄板焼きのタオ、雑貨店、たこ焼きビリケン、3Dプリンターの河宋本店、海鮮の店和さび等日南出身やゆかりのある方々が出店し、結果4年間で目標の20店舗を大きく上回り、29店舗を超えるお店がオープンしました。


◆油津商店街のアイドル

 日南には、ボニートボニートというアイドルグループがあります。日南ではカツオの産地で英語でカツオの事をボニーと言います。だからボニートボニートと言うネーミングになりました。もっと油津商店街を知ってほしい、油津の町が元気になってもらいたいと言う思いで発足しました。油津の応援団なんです。年間70ステージをこなし秋葉原にも行きました。ギャラは貰わずCDを買ってもらっています。またボニートボニートに入らない幼稚園の子供たちがマゴチ、男の子隊のグループがハニーブラザースというアイドルグループもあります。

◆大学生が無借金でゲストハウスを無借金で作る
 名古屋大学の奥田君がゲストハウスを作りました。1000万円を借入なしで。どういうふうに集めたかと言うと、まずは個人出資、そして銀行のキャピタル、銀行が出資してくれました。大手の出資、そして私も奥田君の事を信じて出資しました。ふつう借入なしで1000万円ってあり得ないですよね。それができるんですね。

◆持続可能な商店街づくり
 持続可能な商店街作りってなんだろうねというとこなんですけど、まず街の応援団を集めます。そして市民を巻き込む店作り、壁を塗っていただいたり出資をして頂いたりでまちをプロデュースする人材育成、僕らが今一番取り組もうと思っているのはコレですね。
今はもう油津商店街ではないねと言われています。なぜかと言うと食堂があったり保育園ができたり、ITが企業が出てきたり、ゲストハウスがあったり、そういう商店街て今までなかったと言われてます。いわゆるこれが商店街ではなくて町なかではないかと言われていますが、まだ分かりません。
これから5年先どう変わっていくかまだ分かりません。そのためには今、町をプロデュースする人材が必要です。あそこまで変わってきた街をもっと変えていく人が必要です。常に進化をしていていつもあの街は変わっているね、面白いね、と言われるような街にしていかなければいけません。

◆安倍首相の会見

去年の12月19日の共同通信社記者会見で安倍首相が油津商店街について言及しました。油津商店街は29の会社と店が出店してそしてきんかんヌーボーとか楽しいことをみんなやっている。そういうワクワクするような空気感が、そのワクワク感こそが地域創生の鍵であると私は考える。と時間にして結構喋っておられました。安倍首相は油津に来たことはないけれども、誰かから聞いてこれは地域創生の鍵だということをずっと語っていただきました。他にもビルができて病院が入ったりしてます。立体駐車場もできました。コトコトことという子育て支援センターもできました。今過去の常識が常識でなくなっている、今日南で起こっていることは数年後には常識になるのだろうと思います。

◆油津応援団の仕事
 油津応援団の仕事を初会します。アブラツコーヒーの運営、ヨッテンの管理、食堂とかコンテナの管理を行っています。店舗事務所の設計施工もします。北郷道の駅のコーディネーター、各自治体のコンサルもやっています。九州電力の宮崎支社1階ロビーの利活用についてもコンサルティングを行い、ベルエポックさんに委託して、カフェレストラン ビオカフェを運営していただいています。


◆今地域で求められている商店街とは

 今地域で求められている商店街とは何だろうと、地域性、社会性、貢献、一番大事なのは貢献だと思っています。その商店街というのは、例えば油津商店街というのは日南市の中ではどういう意味のある商店街なんだろうねと。意味がなければなくなるだけのことなんですからね。
商店街はお客様に来て頂いて買ってもらうだけでなくて何か貢献をしているのかとその街に対して、これが大事です。商店街のための商店街の時代はもう間違いなく終わっています。商店街、もっと考えないといけないことは地域、まちづくり。その地域の子どもたち、お年寄りにどう商店街が向き合ってやっていくかということだと思います。簡単なことではないでしょう。やはり商店街も生きていかなくちゃいけないし、売上を伸ばさなきゃいけないけど、自分のことだけを考えているのではなくて、街のためにとかいろんな人のために動く、だからこそ、そこに人はついてくる、応援団はついてくる。商店街を応援しようとしてくれる人たちをどうやれば作れるのか。奇跡というものがあればそれは必ず行われます。しかしそこに覚悟がないとできません。綺麗な言葉を並べて、あるいは、遠くから見てそのまちづくりを批判することはできます。じゃあやればいいじゃないと言ってもやらないですよね。言うだけですよね。当事者になることによって初めてリスクを負うことによって初めて物事は動くし、奇跡も起こせます。私も64歳になりました。しかし60を超えても、日々努力をしています。
僕が一番心がけているのは僕の Facebook のトップのとこに書いているんですか、挑戦を続ける人でありたいとなと。そして挑戦をする若者を応援する人でありたいなと思います。若者を応援する大人でありたいなと。油商店街というところはチャレンジする若者を応援する大人達がいるんです。がんばれって。アメリカのポートランドではないけれど、あそこは頑張る人間がいっぱいいることが素敵なんです。街並みが綺麗だからじゃなくて、そこにいる人たちが素晴らしい、そこが素敵なところです。若者を応援する若者を引っ張り上げる大人がいることが大事じゃないかなと思います。そして笑顔で来る時が来たら静かに去ってけばいいんですよ。年寄りは。チャレンジする30の若者を年寄りが応援すしなくて誰がするんですか。応援する年寄りが俺が俺がと言っていてはいけない、かっこいい年寄りでいなければなと思います。


当日の参加されたみなさんからは、
・挑戦をすること、一歩ずつ踏み出したい。何かやる時の覚悟が必要ですね。
・挑戦することの大切さを改めて学びました。チームを組んで挑戦していきたいです。頑張ります。
・これまでも油津の動きは取材で追いかけてきましたが、改めて黒田さんのお話を伺って、その覚悟とご苦労に想いを馳せることができました。
・覚悟を持ち、挑戦を続ける人でありたい。
・チャレンジすること、仲間を作る事、覚悟することなど、大切なことを学べました。ありがとうございました。
・いかに地域にある宝を見つけ、どう人をつなぐか、自分の目で見てきた日南市、油津の変化を黒田さんの言葉で改めて聞いて、自分も頑張ろうと改めて思いました。
・今、地域(街)に必要なものは、たまり場、つなぎ場、まさにそのとおりだと思う。
などと、いう感想を頂きました。

  

Posted by みやざきNPO・協働支援センター at 14:22Comments(0)イベント報告

2018年03月14日

ヒムカレッジ vol.3 『U理論を用いた関係構築講座』開催しました!

2017年11月25日(土)にヒムカレッジvol.3「U理論を用いた関係構築セミナー」を開催しました。
今回の研修は、ヒムカレッジでは初めての講師二人が進行する形の研修でした。

講師紹介
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講師:浦川孝雄氏 PICJ認定 関係コンディショニングトレーナー
長崎出身、山口在住。化学メーカー勤務の傍ら、東京にてU理論コーチ養成講座の開催や、地元山口の中学校・高校にて生徒さんを対象に「自分の真の思いや強みを見出す」ワークショップや「働くこと」についての講演など、年間10件程の講座や講演をこなす。関わる方へのコミットは、真の思いや強みを見出すサポート。
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講師:小野栄子 PICJ認定 関係コンディショニングトレーナー
香川県出身、東京在住。女性專用の電話サポート、「ボイスマルシェ」にてコーチ、カウンセラー。
少数精鋭企業のリーダー向けコーチング。身体・心・魂の開放と自己実現の水先案内Perfect Room主催
関わる方へのコミットは、「人生の可能性にYES」という為の1歩、「人生の真の成功」サポート。


 今回は休日の朝10時の開始にも関わらず、日向時間ではなく定刻通りの開始となりました。また研修時間が5時間という、今までのヒムカレッジの中では最長の時間ではあったのですが、会場のキャパいっぱいの参加者であふれ、参加される皆さんの意識の高さがうかがえる研修でした。

 今回のブログでは、進行内容に沿った形でのお二人の言葉を中心にお伝えしていきます。

◆イントロダクション


 まずは、少人数で自己紹介。その後、今の正直な気持ち等を話してもらい、そして最後に「チェックインします。」と一言発言してもらいます。
 このチェックインをすることにより、お互いをお互いの背景を理解し合い、相手をありのままに受容しやすくなり、この場が安全な場であることを確認する場にもなります。

 そして、小野さんから参加者の皆さんへの2つの問いかけがありました。
①人間関係を構築する上で大切なことはどんなことがあるか。
②そもそも人間関係を難しくさせてしまう根本原因があるとしたら、それはいったい何なのか。

二人一組でこの問いに対して考えてもらい、その内容をシェアしてもらいました。
①大切な事は
・受容と承認、寄り添う気持ち、同じ目標・目的を持つ

②難しくさせてしまう根本原因は
・境界線を超えて入ってしまう、期待と理想、

これらの問いを解き明かす内容を、今日は自分事として取り組んでいただき、「U理論を知識としてではなく体感的に理解できる」と言う事を目指して研修は進められました。


◆U理論の説明


U理論の中では人の意識レベルを4つの段階に分けています。
まず一つ目がダウンローディング。これは過去の自分の枠組みを再現している状態。「夫はこうあるべきだ。妻である私はこうあるべきだ。」、「上司はこういう感じだよね。」という状態。
次のレベルが「観る」ということ。自分の過去の枠組みや価値観、そういった固定概念を覆す状況に入ったときになる意識です。ここでは自分の意見とか言語を客観的に分析したり、状況を注目してみたり。自分の意識の中じゃなくて外界に意識が向いてるような感じになります。
三つ目が「感じ取る」。「あれ?私の上司ってこういう人だと思っていたけど家庭に帰るとこういう一面があるんだな」みたいなエピソードに触れて、「あれ?」って感じ。自分から相手を感じるというよりは、まさに相手の中から相手を感じるような。あるいは相手の中から自分の事を見るような、不思議な感覚になります。そこで普段とは違う、より深い共感が生まれたりとか、理解できたりとか、そういった状態になります。
レベル4はさらにもう一つ深くて、いわゆるスポーツの世界で言うゾーンとかフローの世界。凄く深い信念やインスピレーションや、恐れが消えたり緊張が消えたりして、場と一体となっているような状態。その状態で深い一体感があったりとか、パートナーシップが新たに構築されたりとか、不思議な感覚になります。


◆U理論的な対話のワーク
 「聞く」から「聴く」、そして「汲み取る」をU理論的にやるワーク。


二人一組で「これまでの人生のなかで、あの時が自分のターニングポイントだったなと思えるような場面」、あるいは「あの瞬間がこれまでの人生の中で最高の瞬間だった」、どちらか一つを選んでいただいて、映画のワンシーンを語るように、その時の場面、自分の表情、周りの人の表情、空気感だったり気温だったり季節だったり匂いだったり。それを丁寧に思い出して頂いて相手の方に5分間でゆっくりと話してもらいます。
聞き手は一言一句聞き漏らさずそれを書き出します。これをやることによって評価判断できないように。
その後3分ほどで、それを書き手が語り手に伝えます。微妙なニュアンスのずれとか違いを楽しみながら、話し手はそれを聞きます。

~ ワークを実施 ~

【一斉に沈黙の時間を取り、語り手の思い等を感じる。湧きあがった感情を捉えてそれを書き出す。】


~ 沈黙 ワークを実施 ~

【続いてもう一度沈黙の時間を一分。ここでは自分自身にとっての気付きだったり感情だったりをぼんやり感じてもらう時間。】

~ 沈黙 ~
【書きとった2つの事を相手に伝え、そこから自然発生する対話を数分間楽しむ。】

~ ワーク ~

【同様な内容を、役割を変えて行い、ワークの感想、気づきなどを4人でシェア。】


参加者感想、気づきのシェア
・普段から話してる時に、すごく自分の枠っていうのがあるんだなと感じました。ただ聴くということは非常に大切なことの第一歩なんだなということを感じました。

・書きながら聴いていたので、書くことに集中する、そうすると、自分の対話で特に親しい人ほど会話の途中に自分の意見を入れたりして、聴いてるんだけど聴いてないというか。それがないというのは、聴くってこういうことなんだろうなと思いました。

シェアした時に、私がハードな会話をしていて、相手はすごくほっこりする話をして。でももってる体験とかは意外と通じていて、何に目を向けるかとか何を思い出にダウンロードするかで言葉に出てくるものが違うのかなと思いました。

◆認知と行動のブラインドループの説明


私という人がしゃべっているという行動を見て、皆さんの認知は「この人がしゃべっているんだから、自分達は聞くんだな」ということで、静かになり、聞いていただいています。それをみた私は、そういった皆さんが聞いて頂いている状況を見て、「今聞いて下さっているんだな、そしたら私は伝えたいことをしゃべれるな」という、行動と認知ループが成り立って一つのコミュニケーションになります。

 仮にベースの4つを「自分の認知」と「自分の行動」、そして自分の行動を見ての「相手の認知」と「相手の行動」、この4つのパターンのうち、実は意外と見えていないのが「自分の行動」と「相手の認知」。相手の認知はまさに相手の内面なのでわからないのは当然ですが、実は自分にとって死角、ブラインド、見えていない領域が自分の行動であり、他人の認知。例えば不意に写真を撮られたときには、無防備の状態なので「こんな表情をしているのか!」と驚く場合もあるのではないでしょうか。

自分の行動も相手の認知も見えてなければ、相手にもそれと同じような事が起こっています。コミュニケーションがうまくいくのって奇跡だよねというところにも気づいていけるのが「認知と行動のブラインドループ」になります。関係悪化の一大要因となる「つもりの自分」と「傍の目の自分」のズレと問題に対する「認知のズレ」に対する自覚と対処がない限り、コミュニケーションの問題が根本的に解消されることはありません。
気づくことができれば対処のしようがありますが、気づくことができません。これが『認知のズレ』です。例えば、様々なトーンや雰囲気を自分が醸し出したとしても自分はそれを感じていません。
 そのトーンや雰囲気を醸し出しているのが「無意識下の思い込みやあきらめ」。例えば幼少期に、親御さんや身近な人から「お前って○○だよね」って言われたことが、心の奥深くにしみこんでいく感じです。それがにじみ出てトーンや雰囲気に現れます。だから自分では制御もできないし、相手も気づかないままにその影響を受けています。事実ではなくて思い込み。真実ではない、でもそれを無意識化で常に言っているから大きな影響を永続的に受けているに過ぎません。

午後は「無意識下の思い込みやあきらめ」を見出すワークを行いますが、触れ合うのは自分自身と向き合うので場合によってはきついこともあるので無理はしないようにしてください。
「無意識下の思い込みやあきらめ」に触れ得たくないと思うかもしれませんが、大切な事は自分にとってのゴールをちゃんと設定したうえで、悪化している関係性に対して取組んでみようという視点です。

デモセッションを受けてみたい方はご協力を。 ~Aさんが挙手~
では、午後からのデモセッションをお願いします。

~昼食~

◆リフレッシュワーク
 二人一組のペアになって、一人が目をつぶってもう一人の方が目を開けたまま連れて歩きます。その時に何を感じるかを体感してください。時間は1分間、時間になったら役割を交代して行ってください。


~参加者ワーク~

この後、Aさんのご協力でセッションを行い、その後にご自身のテーマで体験していただきます。

その前に、出来事から感情がおこるABC理論を説明いたします。A:Activating Event出来事がおこり、それをB:Beliefを通して反応がおこるという理論です。その際に関係性において問題になる関係の四毒素と言うのがあります、これは自分の価値観がプラスに働かない時に出るもので、1つ目が「避難」、2つ目が「侮辱・見下し」、3つ目が「自己弁護・自己防御」、4つ目が「逃避」です。
この4つは、たとえ行動、言葉に出さなくても伝わってしまうものになります。これが問題を起こして関係性が難しくなるものです。でもここが、深く内面に入っていき、本当の対話に入っていく入り口になります。

ではAさん今からセッションよろしくお願いします。

~Aさんのセッション~

◆関係コンディショニングワーク


 それでは、ただいまからご自身のテーマに基づき、このワークシートに記入しながら進めていきます。ワークシートに書けると言うのは、自分の中にあるものを意識化することができると言う事で大切な事。文字が出てこないと言うのは実は無意識化にある色々なものが表面化されていないだけで、この時間でたくさん書けば書くだけ顕在化していきます。四毒素と言われるような感情を、普段はその人との関係では感情と言うものはわきに置いて、より理性的に、よりできた人間として考えているけど、実はこの人に対してあるよね~と言う人を思い描いてもいいですし、敢えて自分ととらえてみてみたいでも大丈夫です。

まず「頭を悩ませている状況」をできるだけ具体的に記入し、その後に四毒素を「これ、言っちゃダメ」のレベルで書き出します。そしてその四毒素を自分の感情を乗せてつぶやいてみてください。このワークの大事な事は本当に健在意識で起こっていることも、普段出すこともないので、出し切ることが大切です。ここまでが健在意識領域です。

これからは潜在意識の領域です。相手の不足を受け入れて、丸ごと許すことができない根本的な理由を「だって、○○なんだもん」という言葉で出てくるものを書き出してみてください。そこで自分が何を大事にしているかと言う固定観念とか信念に気づくことができます。

そして、自分が信念と観念をかたくなに持ち続けていくとしたら、この先、どんな事が起こってくるだろうと言う事をワークシートに書き出します。例えば、女性は美しくなければいけないと思って、それにこだわり続けると、どのような悲惨な結末がおこるのか、その人生のまま、人生を終わるとして、そんな自分をみてどんな人生なんだろうかとか、自分て結局こんな人間だったんだと、そのような事を書いてください。

次に、相手がどのように感じているかをイメージしてください。



実は、これらはループになっているんですね。このループを閉じるにはどこかの領域に気づいて、それを自分がどうしていくかを選択することが意識すれば可能です。でも無意識だと思っている限りは気づけないので、そういうループが今まで皆さんの問題となっていた関係性のなかで起こっていたじゃないかと言うのが今回のコンディショニングワークの捉え方です。

◆全体の振り返り



全体のフィードバックですが、デモセッションでもありましたが「無意識下の思い込みやあきらめ」が自分らしくない状況を作るパターンと、関係性が悪くなっていてどうしても許せない相手とは、自分の「無意識下の思い込みやあきらめ」と同じだと気付き、反応してしまう、そんなパターンもあります。

では、これから今日の振り返りを4人ぐらいでシェアしましょう。



※参加者の気づき
 ・相談事などを書き出してみたら、最終的な解決方法は全部友達が言ってくれていたのに、気づいていなかった。最終的には友達が言った事を聞き入れてなくて、解決方法をみないようにしていた。
Q.気づいてどうしようと思いましたか。
A.友達を大事にしようと思いました。

・自分にとって、反応がつらいなと思った。自分が何に価値をおいて、何を大事にしようと思っているかを見つめる良い機会になった。
Q.ちなみに大切にしている価値観、信念は何ですか?
A.信念としては、価値が無ければならないです。無価値、反応がないのがすごく嫌だった。
Q.そこが価値観と繋がっているんですね。

・毒を吐くときに、自分はすごく逃避が多く、得意不得意があるんだなと言う事に気づきました。
Q. 「無意識下の思い込みやあきらめ」がわかったけれど、大事にしたいよね、このままでいいんだよねという事をご本人が楽しんでいらっしゃる様子がうかがえるので、あくまでも変化と言うのが自分がそうしたければそうしたらいいし、その場を楽しむと言う事もありなんですね。何が良いとか悪いとかを言っているわけではない。

 今回配布している自己開示補助シートですが、相手との悩みでやっていくセッションなので、その締めくくりはどうするのと言う時に、レベル4に行くためのシートです。メンタルモデルが出てきたと思いますが、「無意識下の思い込みやあきらめ」を相手に開示していく、その手順をこのシート通りにやっていくと、それができます。
 例えば、「私は何にもできない女だ」と言う、「無意識下の思い込みやあきらめ」があったとします。「私はいつもあなたとけんかやいざこざを起こしてきました。でもそれは自分が何にもできない女で何にもできない人生に気づくのが怖かった。それを見ているあなたは、何にもできない女として私を感じて、そういう状況を作り出したんだと思います。その後にそういう私に気づいたので、今までの自分ではなくて、そのようなところに陥らないよう自分として接していきたいと思います。」と言うようにしていけばできるようになっています。
自分が問題があると思っている関係性をもっていて、開示していくと言うのは恐怖があります。その恐怖を乗り越えていったときに、U理論で言うところの手放してみて、何が起こるかを見ていけるのではないかと思います。

 このシートの1,2,3,4,5のところで、1ではわだかまりの状況でぶっちゃけ話のレベル。2ではもう一つ深くなって「無意識下の思い込みやあきらめ」の状況。3が「無意識下の思い込みやあきらめ」をつかっての自己開示。自分の恐れを相手にぶつける状況。そうなると相手の自己開示の返報性が一気に意識レベルの3,4になります。

 今日は自己開示する相手がいなかったと思いますが、勇気を出して自己開示してみてください。自分の中にどんなギフトが下りてくるのかトライしていただき、その結果を事務局に報告していただければと思います。

 それでは、最後に5、6人の輪になってグループでの気づきのシェアをお願いします。そしてさいごに一言ずつ、チェックアウトしてもらいます。

~シェアタイム~

 以上で本日の研修はすべて終了です。



本日の参加者からは
・大盛り上がりでした。ありがとうございました。盛り上がって私の周辺は重力が軽くなっていました。(^_^)
・かなり良かった。また自分でもワークシートしたいと思います。ありがとうございました。

・自分への気づきの大切さを実感できました。残りの人生に活かしてきます。
・自分を掘り下げ気づかされることが多かった。認識できた。
・ループに気づけたのはよかったと思います。そこから抜け出す方法をさらに知りたいと思いました。
 という大きな気づきが得られたと言う感想も多かったのですが、逆に自分自身としっかりと向き合う時間も多かったので、
・朝の時点で夕方にこんな気持ちになると思いませんでした。正直疲れました。自分に気付く事、結局は自分の受け取り方&アンテナの立て方、アンテナがそこに向いている事に気付く。半年間、ずっと人生をふりかえっていて、それが間違いでない事に気が付きました。

・自分の内面を見つめ、ナイフで刺されるように苦しくも為になる時間でした。かなり深いセッションでした。このくらい時間が取れるとU理論とは何なのかが、伝わると思います。講座後のザワザワした感情をゆっくり掘り下げてみたいと思います。

と言うような、感想もいただきました。


ご参加いただいた皆様ありがとうございました。

  

Posted by みやざきNPO・協働支援センター at 14:13Comments(0)イベント報告

2017年11月27日

地域版ヒムカレッジ in 小林×宮崎こばやし熱中小学校 『明日の自分に胸がはれる今日でありたい』開催しました!

10月29日(日)に、梶並農園 代表 梶並達明さんをお招きし、今年度第一弾となる地域版ヒムカレッジ 『明日の自分に胸がはれる今日でありたい 東京の名店シェフが調達に来る野菜を作る男の哲学』を開催しました!




□講師紹介
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梶並 達明 氏(梶並農園代表)

1957年岡山県生まれ。1995年、阪神淡路大震災をきっかけに大手食品メーカーを辞め、小林市にIターンして就農。妻 和枝さんの両親と4人で農業を営む。生のままでも安心して食べられる、おいしい野菜を探していたが、見つからなかったのが農業を始めるきっかけに。ひょんなきっかけで、東京の名店シェフが梶並さんの野菜を手に入れ、あまりのおいしさに感動して、梶並さんの作った野菜を利用するようになり、今ではイタリアンやフレンチ、ドイツ料理や中華料理などのシェフも顧客に多い。

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今回は宮崎こばやし熱中小学校とのコラボ企画。熱中小学校への参加者の方を始め、地域づくりに関心の高い方々がご参加くださいました!




大手食品メーカーサラリーマン、阪神大震災を経て農業へ
梶並さんの実家も農業をされていたそうですが、子どもの頃は農家が大嫌いで、親の職業に農業と書くのにすごく抵抗があったという梶並さん。反抗心も手伝い、実家は継がず大手食品メーカーに就職しました。
当時の仕事が大好きだった梶並さんは、休日でも職場に出向き先輩のやっている仕事を覚え、1年半で全ての部署の仕事を覚えて重宝されました。そんな仕事を辞めるきっかけになったのが阪神・淡路大震災でした。
震災時でも被災地に配給するために、梶並さん達従業員は休みなく働いていたそうです。そんな中聞こえてきた、課長の「明日も休み。どこにゴルフに行こうか。」という言葉に激怒。課長を怒鳴りつけてしまいました。2か月後に課長昇格試験をひかえながらも、自分の行動に責任を感じ辞職。当時の行動を人事の方に怒られたそうですが、辞めて23年経った今も会社の方々とは繋がりがあり、交流を大切にされているそうです。



「美味しい野菜をつくること」へのこだわり

・初めての農業
会社を辞め、小林に移った梶並さんが農業を始めた理由はシンプルで、小林で食べた野菜で美味しいものが見つからなかったから、自分で作ってみようというものでした。それまで梶並さんは全く農業をしたことがありませんでした。初めてねぎの種を蒔き、芽が出た時はⅤ字のクリップのような芽を見て「種を蒔くのが深すぎただろうか?」とすごく不安になるぐらいでした。しかし毎日様子を見に行っていたら、今度はピッと立ちだしたねぎを見て、「あっ、ねぎだ!」と感動したのを忘れられないそうです。自分で作ったねぎはすごく甘くてあくがないものでした。

・舌癌をきっかけに気づいたこと
 梶並さんが農薬を使わない農業を意識するようになったのは、ご自身が舌癌にかかった時でした。癌を取り除くため舌を切った際に、虫よけのための農薬をかけたら、外に皮膚が出ないようにマスクを二重にしていたにも関わらず5分もしないうちに舌がビリビリするように感じました。その時初めて、こんなに体に悪いものを使ってたんだと気づいたそうです。今でもその時のトラウマがあり、農薬はかけない、かけても必要最小限を心がけていらっしゃいます。
 今までと同じ作り方をしていてはだめだと考えた梶並さんは、小林のおじいちゃん・おばあちゃんに昔ながらの野菜の種まきの旬の見極め方を聞いて回りました。「スイートコーンは、柿木の新芽に、種が密をもったら蒔き時だよ。」、「ほうれん草は体育の日だ。10月10日運動会の日に植えてから運動会に行っていた。」といった昔ながらの教えを守って植えた野菜は、本当に根の張り方が強く他の作物よりも強かったり、あくやえぐみの少ないものになりました。堆肥も昔のやり方に習い、少量で薄くを心がけ、肥料が作物が成長した段階で切れてくれるやり方を一生懸命試行錯誤したそうです。そんな風に自分の中で「種を蒔く時期」を凄く大事にするようになっていったそうです。

・新しい野菜への挑戦
梶並さんは新しい野菜作りへも積極的です。十数年前、NHKで放送されていた「ほんまもん」というドラマの中で、沖縄の市場が出てくるシーンがありました。その市場にぶら下がっていた黄色い野菜が気になった梶並さんは、すぐに沖縄の観光協会に電話し、その正体である「ちゅらにんじん」の種を送ってもらいました。早速育ててみると、色はきれいですがにんじん臭が強いものだったそうです。それを機にいろんなところから黄色いにんじんを探し、美味しく育つ種を見つけることが出来ました。その他赤い大根、紫の大根などカラフルな大根を小林で始めて作ったのも梶並さん。色のはえる野菜はよく売れるそうです。
成功ばかりではなく、うまくいかないこともあります。フランス産のオイスターリーフは栽培が難しく今のところ断念しています。しかしまだまだ世界中のいろんな野菜に挑戦しつつ、日本にしかない既存の野菜も掘り起こしていきたいとのことでした。
また、毎年同じものを作るのではなく、レストランのからの要望も取り入れながら野菜を作られています。今年から来年は、要望の多かった菊芋の量を増やすそうです。今回はこの菊芋を参加者の皆さんに試食していただきました。



東京の名店シェフとのつながり

・「地産地消」の前に東京へ
梶並さんには、東国原知事の時代から、「地産地消じゃないだろう。オリンピックが東京であるとしたら、東京に野菜を売り込むのはオリンピックが決まってからじゃない、その前だ。」という思いがありました。ひょんなことから知り合いになった大堂津のねこやという魚屋さん(東京の一流レストランに魚を卸しています)からの紹介もあり、最初は銀座のエスキスという店にサンプルの野菜を送りました。すると予想以上の反響があり、エスキスのシェフがテレビ局を連れてやってきたそうです。また、放送された番組を見て別の店から連絡が入り、東京とのやり取りが始まりました。
 東京のシェフが宮崎でイベントをする時に、「梶並くんの野菜を取り寄せたい」と言われるそうです。「イベント会場は梶並さんも知らないしどんな野菜を作っているかも知らない。けれど東京の一流シェフが来て、梶並の野菜を使いたいという。逆に東京に先に出してよかったのかなと。地産地消は後からシェフたちが広めてくれたので。」と語られていました。

・小林と東京の仲介役
「美味しい物って地元の人って知らないんですよ。生まれた時からそこの水飲んで、そこの空気吸ってそこの米食って。よそから来た人間からすると、小林の水は抜群に美味いです。空気も抜群に美味い。野菜も抜群に美味いですよ。だけどそれって普通なんですね。だけどよそから来た人にはこんないい景色があって、こんないい野菜があって、こんないい水があって、こんないい肉があって、というのをボンボン見つけていけるわけですよ。」梶並さんとよそから来たシェフが繋がりを持つことで、今まであったのに気づかれていなかった作物の使い道があらたに見つかることもあるそうです。「へべずってあるじゃないですか。薄く皮を彫刻刀のようなものでむくんですよ。それをウォッカにつける。それを3日置いて飲むと香りが抜群にいい。うちや、うちの近所で作っているへべずは農薬を使っていないから皮を付けた時に上に膜ができない。それを使ってくれだしてから今度は近くの農家さんもうちから販売が出来るようになってきました。」
また、梶並さんが野菜を送る店に、お酒など小林の商品を紹介することもしています。少しずつですがお店のラインに小林の物を乗せられるようになってきたそうです。今後も東京、大阪、名古屋などに太いラインを作っていきたいとのことでした。


野菜づくりのモチベーション

・失敗はない
梶並さんにとって、野菜作りに失敗はないそうです。その時点でやめてしまえば失敗だけど、それを糧に工夫をし、改善していくことが出来る。特に小林は年間を通して何度も同じ作物をそだてることができます。別の場所だったら年に一度限りの作物を農薬をかけて守らなくてはならないところを、農薬をかけないことにこだわったり自分の美味しいと思うものだけ出荷することにこだわれるのも、小林だから出来ることです。

・自分の武器をもつこと
梶並さん自慢のスイートコーンが、「あそこのスイートコーンは抜群にうまいぞ」と言ってもらえるまでに6、7年かかったそうです。今ではこだわりのスイートコーンは梶並さんの武器になっています。しかし今の小林の農家さんには家の自慢の味が無く、みな同じ味。自分のところの最高の味を見つけることで、子どもたちが農業を引き継ぎ、親を超えようとしてくれるのではないかと語られていました。




明日の自分に胸をはれる今日でありたい

今回の講演のテーマ「明日の自分に胸をはれる今日でありたい」への想いを語っていただきました。
「凄いかっこいい言葉だけど、要は明日自分が楽したい。それだけなんですね。もう少しで今日草取り終わるんだけど、足だるいから止めようじゃなくて、ここまでしとけば明日が楽になる。自分を楽させる為には今日を頑張るしかないんですよ。
ここに居られる方は知らない方も多いと思いますが、ブッシュキャビアという柑橘類があります。細長いうりなみたいなミカンなんですね。今それを植えてて3年目なんですけども、来年には何とか実をつけさせたいなぁと思っています。これから体力がどうしても落ちてくるだろう、そしたらそのブッシュキャビアを次の自分の基幹作物にしてみたい、ということを考えています。1年後、2年後、3年後、4年後って楽しみがいっぱいあります。だから今日しとかないと明日に胸がはれないという部分があるんです。」

梶並さんのお話からは、美味しく育ってほしいという野菜にかける愛情を感じることができました。また、大事に育てた作物でも納得いかなければ廃棄し、何度でも挑戦するこだわりを貫かれていました。その姿勢が名店シェフたちからも認められたのではないかと思います。また、その姿勢を支えているのは小林という土地なのだということを考えさせられる講演でした。




ご参加頂いた皆様からは、

「地元生まれ、地元育ちの私は地域の良さが分かってない部分が多い。小林の良さを自分で探さないといけないと思った。自分の事業で、自分の力で登っていかれた梶並さんに頭が下がります。」
「生き方に共鳴し、感動し、農業についても凄く学ぶことの多い時間をありがとうございました。」
「野菜作りにかける思い、野菜に対する愛情が伝わる温かい講演でした。梶並さん輝いてますね。」
「達人の話に感動しました。」


といったご感想をいただきました!


参加していただいた皆様、そして講師の梶並さん、本当にありがとうございました!

  

Posted by みやざきNPO・協働支援センター at 18:02Comments(0)イベント報告

2017年11月11日

ヒムカレッジ2017 vol.2 『千年 生きる村を。~ 西都市 銀鏡の挑戦 ~』を 開催しました!

9月12日(火)に、農業生産法人株式会社かぐらの里 濵砂修司さんをお招きし、今年度第二弾となるヒムカレッジ2017 vol.2 『千年 生きる村を。~西都市銀鏡の挑戦~』を開催いたしました!



□講師紹介
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濵砂 修司 氏(農業生産法人 株式会社かぐらの里 代表取締役社長)

宮崎県西都市の銀鏡生まれ。3人兄弟の長男。小学校3年から剣道一筋で、学生時代は1日も欠かさず竹刀の素振りをするほどの負けず嫌いの性格。卒業後、JA入社。山間部を1軒1軒回り、地域に根付いた仕事を行った。10年後、「集落存続のためには働く場所は絶対である」との決意で、父の事業を継ぐことを決める。過疎化に揺れながらも、豊かな自然、歴史、文化をもつ「銀鏡」という村を残すための会社を目指している。今後は、村の中で生きるための衣・食・住の総合的な会社にし、これからの千年を生きる村づくりの夢をもっている。
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当日は大学生から、地域づくり活動ベテランの方まで、幅広い年代の方にご参加いただきました。これからの時代に愛する地域を残すにはどんな戦略が必要か?濵砂さんのこれまでの取組み、これからの展望を熱く語っていただきました!



〇親子二代で作りあげた「千年生きる村を」というフレーズ
濵砂さんが現社長を務められるかぐらの里の始まりは、お父さんの代から。昭和30年代に東米良の林業が衰退し始め、「このままでは銀鏡がなくなってしまうのではないか」という危機感をもった濵砂さんのお父さんは、柚子の栽培を始め、加工商品の開発、山村留学の受入など、村を残すための様々な取り組みをされました。しかし、地域の為の活動は家計を圧迫し、気づけば1億の借金。濵砂さんはお父さんに反発しながらも、志を受け継ぎ、「かぐらの里」を地域を支える企業に成長させていきました。



銀鏡活性化のポイント
「経済(柚子)」「学校(山村留学)」「文化(神楽)」

●銀鏡と経済(柚子)



・柚子生産の始まり
林業の衰退と同時に、昭和46年に銀鏡で柚子の生産がスタートしました。濵砂さんのお父さんが残された手記には、栽培を始めたばかりの頃の苦労がつづられていました。農業は殆ど初心者だったお父さんは、指導者からの厳しいアドバイスを受けながら地域の先駆けとして柚子を栽培し、更には不良果実を商品にする為の加工会社を設立。借金を負いながらも地域の為の活動を続けられました。

・世代交代へ
当時農協に勤めていた濵砂さんは、20代半ばで負債が増えた実家を継ぐという一大決心をします。年中無休で働いても楽にならない暮らしに嫌気がさしたことも多かったそうです。そんな中でもお父さんから受けた影響は大きく、「商売というのを全く知らなかったので、まず最初に東京に行ったんです。父親はその前に東京とか行ってましたから、あの年齢で東京に行くんですからたいした父親ですね。東京日本橋高島屋さんに、ゆずの木を丸ごともっていくんです。ありえない、地下足袋ですね。作業着でそこでゆずを搾って見せる。もう人だかりです。父親のすがたを見て、あのエネルギーにはまいりました。」と振り返られていました。

・将来の仕事
苦しい生活が続く中、濵砂さんが衝撃を受ける出来頃が起こりました。
「とにかく金、金、金、金さえあれば世の中どうにかなるんだと思っていたから、27~29位の頃、この時に徐々に借金が返せるようになっていくんですけど、報われないんです。いやでいやでたまらんわけです。そういう考え方自体が。そういう時に、こんなことがありました。ある友人を遊びに誘うのですが、土日は一緒に遊ばないんです。用事があるからと、そういうのが頻繁にあったんですね。つき合い悪いな~と思ったんです。で、分かったんです。その友人の兄弟が障害者で、小さいころからずっと病院に入院していて、この兄弟のために自分の遊ぶ時間をつぶしていたんですよ。それを聞いたときに物凄くショックで、ショックと同時に自分が恥ずかしい。もう一つ、ようやく探し求めていたものが見つかったと感じた。ずっと探してたんですよ、将来の仕事を。家の仕事は自分の仕事とは思っていなかったので。そんなときに見つけたのがボランティア。「ために働く」ということを見つけたんです。29歳のときから絶対これを生涯まっとうすると決めて未だに一度もぶれたことはありません。この村がつぶれるかもしれない。仕事が無くなる。神楽の後継者がいなくなる学校が無くなるかもしれない。もしかしたらプラスに転じて村のためになるような会社を作ったら、これほど凄いボランティアはないじゃないか、と思ったのが29歳のとき。それからずっとそのことだけを目指して走ってきました。」



・「かぐらの里」の成長
かぐらの里のロゴはしめ縄と柚子、神に誓ってまじめなものをつくるという誓いのロゴです。
社員は現在、37名(パート含む)。最終目標は100名。「100名いれば村がなくならない自信がある」という濵砂さん。社員の中には家族で移住してきた方、Uターン、Iターンの方もいます。何よりうれしいのは、地域で結婚する人たちが現れ、地元出身の子どもが生まれていること。銀鏡出身の赤ちゃんは、濵砂さんのお子さん以来で、「自分のやってきたことは間違っていなかった」と思えたそうです。


・商品を世界へ
かぐらの里では20年以上前から商品を世界へ輸出しています。1998年のアメリカへの輸出から始まったそうですが、これには面白いきっかけがありました。「想像もしていなかったのですが、アメリカから電話がかかってきました。東京の物産展に出品していて、アメリカ在住神奈川出身の日本人の方が帰国されていて、たまたま神奈川に帰ってきたときにたまたま商品を手にとって面白いねと買っていただいた。アメリカから電話がかかってきて、信用も出来ないし、送り方もわからない。最終的にはこの方の実家のほうにお邪魔して保証人の印鑑までもらいに行きました。」
現在はアメリカを始め、台湾、シンガポール、オーストラリア、ブラジルなどに輸出しています。輸出の売り上げは全体の15%ほど。海外事業は売り上げよりも、若い人に向けたPRとしての意味が大きいそうです。



●銀鏡と学校(山村留学)

・山村留学受け入れ開始
銀鏡には学校は1校だけ。5年ほど前に銀上小、銀鏡中を統合し、小中一貫校になった銀鏡学園だけです。山村留学が始まったのは、平成6年。宮崎県第一号の長期留学制度として始まりました。小学生の留学生を預かるのは別の場所でもよくあるのですが、中学生を長期1年間受け入れるところは今でもなかなかないようで、全国的にも珍しいようです。
当時から15名から20名の留学生を毎年受け入れています。中学生に関しては、銀鏡の学校を卒業する時に、高校受験に落ちた子は一人もいないそうです。
山村留学制度を始めたのも濵砂さんのお父さんでした。留学生の受入も簡単なことではなかったそうです。「当時、家の中は大反対です。自分の子どもが三人もいるわけですから。比較してはいけないから自分の子を甘えさせることもできない、平等に扱わんといかん。そのジレンマの中で子どもを十何年間育てました。自分の子どもがおかしくなった時期もありました。それでも、そのことは色んな形で経験になって、子どもの為にも大人になってからプラスになったのかなという気はしています。それまでは本当につらい思いをさせてきました。時には親父を殴ってケンカしました。今こうしてお話していますが、うちの父親は私よりもはるかはるか山のような存在でした。山村留学制度を取りいれたことが銀鏡の今に繋がっている訳ですけども。」





・これからの山村留学制度
濵砂さんは、10年後も子ども達が山や川で遊ぶことができるような、山村留学制度の維持を今から考えられています。今年、かぐらの里の社員で竹を切ってきて、延岡のプロの方に教わっていかだ作りをし、子どもたちに体験してもらいました。子どもがこれ以上ないほど喜び、来ていた親も喜んでくれたそうです。ほとんどが留学生です。「あと10年したら、私は子どもをつれて山や川に行くことが出来ません。山川に遊びに行けなかったら何の為に留学してきたのか分からないですよね。それを何とかカバーできる仕組みを作らなければということで山学校しろかみという組織を立ち上げ寸前です。年が明けたら正式に設立になります。」学校が合併したことにより廃校になった小学校も何かに利用できないかとアイデアを出し合っているところだそうです。



●銀鏡と文化(神楽)



・神楽の継承とこれから
銀鏡神楽は、昭和52年に宮崎県第1号の重要無形文化財に指定されました。銀鏡神楽は神様に奉仕するものであって、一年間の豊穣であったり願をこめてお礼として奉納いたします、という考え方。たくさんの人に見てもらうことを重視するのではなく、住民が神様に奉仕するという形が今でも守られています。どこまで開放して神楽を観光に繋げたらいいかというのは非常に悩むところだそうです。
2015年のミラノ万博では、初めて祭り以外で神楽が披露されました。反対する長老方との内部での葛藤など、障害もあったそうですが、万博では素晴らしいという評価をいただき、行った甲斐があったと感じたそうです。今後は神楽を通しての村おこしも、若い世代の方々と考えていかれたいとのことでした。



・残したい景観
銀鏡ののどかな景観を残したいと語る濵砂さん。「衣食住すべてそろって一つの村として生き残らなければ。こういう風景を頭に描きながら今後何を考えているかというと、子どもの体験活動。注連縄やお初穂を農家さんの提供だったのを体験で作ったり出来ないか。または、社員の特典。社員の人が自分で作ったお米を自分で食べられたら、こんなにうれしいことは無いと思うんですよ。農薬を使わない最高級のお米。それを特典にすることが出来れば。景観を守ることも視野に入れてこれからは活動しようと思っています。」
また、現在は別団体のiさいとと協力し、滝行の体験も民泊とリンクさせながらやっているそうです。


これからの銀鏡
濵砂さんがこれから、柚子の事業と並行して力を入れていきたいと考えているのは、教育ビジネス。「田舎には価値のある教育があるということを知って頂きたい。我々銀鏡だけではなく、宮崎県中にあると思うんです。日本中にあります。極端にいうと日本中の田舎が人を育てる地域であったり村だったりという考え方ですべてが繋がるような組織が出来上がったら日本人はもっともっと立派に成長できるのではないかと思います。見本になるようなことが出来ればなと。」という言葉で講演を締められました。




質疑応答

Q:神楽での村おこしを、今の段階では具体的にどう考えていらっしゃいますか?
A:若い人で古風な考え方を嫌がる人はそんなにいないんですよ、不思議と。いやじゃないからうちの村に来てるんだろうとも思いますが。昨年銀鏡の歴史で初めて、氏子で無い人が氏子になって神楽の踊り手になった例が出来ました。いいきっかけになったんですが、昨年東京から、7名の女性が来ました。何をしに来たかというと、神楽を教えてくれと。そこで年配の方とけっこうトラブったんですが、いいじゃないですか教えるだけはと。そしたらその女性方がものすごくファンになってしまって、その後2回来ました。最近電話があって、今年は一週間ぐらいいるのかな。我々はよそに向けて神楽をしないのが誇りですが、練習は一年を通してするんですよ。練習の風景を見ていただくのは可能性があるねと今踏んでいます。若者にとって練習の風景でも見に来てもらうとうれしいわけですよ、男ですから(笑)
それに若干レクチャーする時間も作りましょうかと。時間を書ければできるんじゃないかと考えています。それと廃校の問題を一つの人の教育としてつなげられればと思っています。


Q:西米良から来ました。地域のまとまり、巻き込むコツがあれば詳しく教えてください。
A:コツを考えたことは無くて、先輩たちの言うことを100パーセント聞いて忠実にやってきました。真摯に受け止めて、先輩をないがしろにすることは絶対にしません。彼だったら、古老の言うことも理解しながらやってくれると、喧嘩にならないように勤めてきたから今があるのかなと。具体的なコツではありませんが、これしかないのかなと思っています。

Q:人が来る銀鏡の魅力、今後の発信の仕方を教えてください。
A:発信の仕方は、自分のやり方と、若い世代が増えていますのでなるだけ彼らにも発信の仕方をゆだねています。私はパソコンが苦手なので、彼らの能力を生かそうと預けると、結構勝手にやり始める。インスタだったりも勝手に始めたり。ではそこと、自分のアナログの発信の仕方は上手くリンクできないのかという話をするんですよ。あと私の場合はいろんなところに首を突っ込んでいるのはある意味戦略です。最終的に経済活動が出来ないと難しいので、神楽や学校を経由して経済活動に繋がるというふうな形を考えている。お金にならないことと、お金になる食品会社が繋がってどうやって事業展開をしていくのかという。これが上手く繋がっていくと、それこそ千年というレベルの事業体になるのかなと今思いながら。発信が大事だというのは事実分かっているので、昔は発信が苦手だったがマスコミ等にも声をかけるようにしています。

Q:濱砂さんのあきらめない気持ちや周りを巻き込む熱意を凄いと思ったという感想が多かったのですが、頑張れたきっかけや熱意を持てた理由を教えてください。
A:もともと中学2年のときに青年実業家になるという夢をもっていました。父の姿をみてかっこいいと思ったんですよね。社会人になってもその思いがずっとあったんです。へこたれない、負けないというのは部活動(剣道)をやっていた積み重ねだと思います。小学校三年から中学3年までうさぎ跳びなどのトレーニングを盆も正月もずっとやっていました。結果も残しました。頑張ったら身になると。高校のときに入院して挫折し、人に救ってもらった経験。どろどろの借金地獄のときにもう一つ地獄をみて、交通事故で人を殺しかけたんですよ。その人の償いに二年ぐらいかかった。最後に被害者のお父さんが、「あなたなら一億円の借金は返せる。がんばってね。もういいからね。」といっていただいたんですよ。そういうこまごましたことですけど辛い目にあって頑張って成功してほめてもらう、落ちてあがってを繰り返すうちに強くなってしまいました。



ご参加頂いた皆様からは、

「濵砂さんの真摯さに魅かれました。お人柄の力、大きいと思います。地元にあるものをいかに売っていくか?お金に変えるか?を軸に世代や地域を繋ぎ、まき込み熱をもたせていく姿、ぜひモデルにさせていただきます」

「‘村を支えることを考える’、とても難しく大変なことを親子2代通して続けることに感動しました。山村留学は厳しくもあるかと思われますが、子どもにとっても親にとってもすばらしい体験になると思う。」

「やはりストーリーがあるのは素敵だなと思いました。銀鏡やかぐらの里に対する見方が変わりました。」


といったご感想をいただきました!


伝統を大切にしている、けれども新しいものもその中に入れていくというような、芯がありながらも柔軟であるというのが銀鏡を支えているんだなと思います。千年先というと、人世代30年とすると、30世代先。全く分かりません。けれどもそこをイメージしてそのために何が出来るかと考えることが集落を生き残らせるのではないかと感じる講演でした。


参加していただいた皆様、そして講師の濵砂さん、本当にありがとうございました!

  

Posted by みやざきNPO・協働支援センター at 10:03Comments(0)イベント報告

2017年09月11日

ヒムカレッジ2017 vol.1 『クラウドファンディング成功事例&目標達成のための問題解決方法』を 開催しました!

8月5日(土)に、株式会社すごい会議どすえ 石田一眞さんをお招きし、今年度第一弾となるヒムカレッジ2017 vol.1 世界一暑い国「ジブチ」でダウンジャケットを100着売る!?『クラウドファンディング成功事例』&一見不可能に見えることを可能にする『目標達成のための問題解決方法』を開催いたしました!



□講師紹介
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 石田一眞 氏 (株式会社すごい会議どすえ) 

宮崎西高校理数科卒業し、京都大学法学部卒業後、株式会社すごい会議どすえに就職。
学生時代カンボジアに学校を建設するためにクラウドファンディングで123万円のプロジェクト成功。
2017年には世界一暑い国でダウンジャケットを100着売るというプロジェクトで218万円のプロジェクト成功。
学生時代に宮崎の広告代理店の売り上げを1年間で2倍にするなどの実績を残す。

現在上場企業をはじめとする様々な企業の経営に関わり一見不可能にみえることを可能にするサポートをしている。
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当日は定員を超える多くの方々にご参加いただきました!
今回は石田さんが実際に行った“クラウドファンディングの成功事例”と、“一見不可能に見える目標を達成した問題解決方法の事例”の二つのテーマでお話いただきました。



石田さんの所属されている「すごい会議どすえ」のミッションは、
「お客様の一見不可能に見えることを可能にする」です。

また「自分たちが出来ることしかやっていないのはうそになる」という理念もあり、とにかくチャレンジし続けようという文化があるそうです。
そんな中、一見不可能に思われる挑戦として、世界一暑い国「ジブチ」でダウンジャケットを売ろうという企画が上がり、クラウドファンディングでの資金調達の挑戦を行いました。


●クラウドファンディング10日間で218万円集めました!



まずはクラウドファンディングについての講座からスタート。

【クラウドファンディングって?】
群集・大衆と、資金調達を組み合わせて出来た造語。日本中の人からネット上で資金を集める仕組み。資金調達としてだけでなく、広報として使う人もいる。また、新規事業を立ち上げる際のニーズの把握に使われることもある。

【クラウドファンディングの仕組み】
・購入型…商品があり、出資してくれた人にはこれをプレゼントします、というもの。
・寄付型…募金のような考え方。国際協力やボランティア系の企画に多い。
・金融型…投資。上手くいけばリターンが返ってくるし、いかなければ返ってこない。

【クラウドファンディングの主なサイト】
様々なサイトがあり、それぞれ手数料も違うし、得意な領域も違う。
Readyfor…国際協力系が多い。ボランティアや貧困国の支援など。
Makuake…IT系、テクニカル系の新規事業が多い。
CAMPFIRE…一番自由で企画系が人気。

【資金の入り方】
・オールオアナッシング…目標金額に達成しなかったら一円も入ってこない。
・オールイン…未達成でも資金が入る。


○石田さんが始めに取り掛かったこと
石田さんはCAMPFIREというサイトで
現地ジブチのお土産と、どうやってダウンジャケットを売ってきたのか?をまとめた報告書をリターンの品物として資金調達を行いました。

そんな石田さんがまず行ったことは、クラウドファンディングで200万以上の資金調達に成功した人5人に話を聞くことでした。
5人に会って「どんな工夫をされましたか?何が大変でしたか?」と質問攻めにしたそうです。
そこで分かったことは、公開前の下準備の大切さで、
「サイトに公開される前にしっかり準備をしておく。公開3日前に、400人ぐらいに個人的にメッセージを送る。」ということは全員に共通していたそうです。

【クラウドファンディングのポイント】
★準備が9割
・自分の人脈で8割集まる自信がなければ成功しない。
・公開日初日に40%達成するとプロジェクト成功率が非常に高い。
★成功者の話を聞く
・成功者の話を聞く。徹底的にパクる!


●目標達成のための問題解決方法の共有


続いて目標達成のための問題解決方法について、
ワークショップ形式で石田さんが提案する問題解決の方法を
下記の流れで参加者の皆さんに体感していただきました。


1】自分自身の目標を書く

1.5】書いた目標に二つの要素を付け足す
・期日…いつまでに達成したい目標なのか明確にすることで行動が具体的になる。
・成果指標…達成したのか、出来なかったのか判断できる指標。
例)「6月29日までに、ダウンジャケットを100着黒字完売する」
★目標には期日と成果指標の二つの要素を付け足すことで、より明確な目標にできるということでした。

2】目標を達成するための問題を書く
例)「ダウンジャケットが100着ない」、「何度現地に行ってもいらないと言われ続ける」、「言葉が分からない」

2.5】問題を疑問文「どのようにすれば、○○○だろうか?」に変換する。
例)「どのようにすればダウンジャケットが100着集まるだろうか」
★例文のような疑問文にすることで、問題の解決策を考えやすくなり、また自分自身が勝手に解決方法を考え始めるきっかけに繋がるということでした。

3】疑問文に「こんなことが起きたら最高だな」というキーワードを付け足す
例)「どのようにすればお金をかけずにダウンジャケットが100着集まるだろうか」
★さらにキーワードを付けたすことで、問題に対するアプローチに変化を加えることができ、解決策を考えやすくなるということでした。


そして更に問題解決のポイントについて石田さんは、
「どうやったら」と問いかけることを一つ目のポイントとして挙げられました。

例として、遅刻してしまった時に、「なぜ遅刻したのか」という問いにすると、
「電車が遅れて…」などの言い訳になってしまいます。
そこで「どうやったら遅刻しませんか?」という問いに変えることで、
「目覚まし時計を増やす…」などの解決策が自然と答えになるため、
効果的な問題解決のポイントになるとのことでした。


二つ目に『事実』と『解釈』を区別するということがポイントだそうです。

まずは言葉の意味を理解するところから、

事実…今起こっていること。唯一無二で客観的。
例)○○さんの売り上げ200万円。トップセールスマンは1000万円。
解釈…今起こっていることの捉え方。人によって違う。
例)○○さんのセールス力が無い

例文を元に「解釈」で考えると、
○○さんのセールス力が無い(解釈)⇒どうやったら○○さんのセールス力が付くか。
という思考になりますが、

これを「事実」で考えると、
○○さんの売り上げ200万円。トップセールスマンは1000万円。(事実)⇒どうやったら○○さんが1000万円売上げられるか。
という、より具体的な思考になるということでした。

このように具体的な解決策を出すためには「事実」で問題をとらえるようにすることが重要だということが分かります。



実際に石田さんはジブチで3日間でダウンジャケットを売りきる為に、様々な「事実」をひたすらかき集めたそうです。そうすると隣国のエチオピアとジブチは仲がよく、行き来が多いことが分り、さらにエチオピアの高地は結構寒いということ事実を集めました。この事実により「エチオピアに行く人にはニーズがあるのでは?」という思考が生まれ、エチオピアに関連のある人達を探し見事に30着ほど売れたということでした。

それでもあと70着売らなければいけない…そこで考えたのが、少ないながら「街中にビルがあったこと」と、「タクシードライバーは英語が話せた」という事実から、タクシードライバーに協力してもらい、法人開拓をしようという策を考えたそうです。早速タクシードライバーを雇い、現地の法人に片っ端から営業をかけ、6社目ぐらいで見事ダウンジャケットをまとめて買ってくれるところが見つかり、ついに完売することが出来たということでした。

このように難しいと思った時には、事実が何か整理すると前進しやすくなるとのことでした。
苦しい時はつい問題を解釈でとらえてしまい、出来ない言い訳を探してしまいがちですが、問題を事実でとらえることで「何が可能か?何が出来るのか?」という思考がもたらされるということを実感したと石田さんは話されました。


●学びのシェアと質疑応答タイム
最後には参加者の皆さんにグループを作っていただき、石田さんのお話を受けての学びの共有と、質疑応答の時間となりました。



○質疑応答
Q: これまで失敗したことはありますか?また、どう乗り越えてこられましたか?

A: 大学時代に、当時ヨーロッパで流行っていたバルーンサッカーを、日本では売って無かったので中国から輸入してビジネスにしようとしたことがありました。三回イベントを開催すれば元手が取れる計算でやっていたのですが、一回目のイベントで全部割れまして…絶望でした(笑)
  結局そこでお金に困って、稼がなければということで、京都大学は会社からすれば取りたい学生が沢山いたので「会社と学生を繋いで企業からお金をもらおう」と考え、単発でイベントを企画し、何とかお金を稼いで解決しました。
  持論で恐縮なのですが、得たい目標がある時、「どうせできる」と思っています。主人公が敵を倒し続ける映画はつまらないじゃないですか。負けるからこそ面白い。どうせできるので、失敗したらこれはネタになるなと思っています。



Q: ダウンジャケットを70着売った際、具体的にどのように売ったのですか?

A: 社長が出てこられた時に、「自分達はダウンジャケットを売りたい」と話したらあっさり断られました。そこで一旦ダウンジャケットは置いておいて、改めて「何に困っているんですか?」という質問   
をし続けました。そしたら、「アジアの製品をアフリカで販売したいが、アジアとのつながりが全くない」という話がでました。詳しく聞いていくと、「プリンターを輸入して販売したい」ということが分かり、「日本の企業とのつながりを提供します。僕たちがして欲しいのはダウンジャケットを買ってもらう事だけです」という提案をしました(笑)
 結構皆さんが事実と解釈の話をされていたのが聞こえたのですが、決して解釈が悪いわけではありません。事実だけでもつまらないじゃないですか。「今日は何度ですね」とか、「今日は何月何日ですね」とか。大切なのは事実と解釈を区別する事です。未来を創るのは「こんなことをしたい」とかいった解釈なので。





Q:会議のまわし方のコツは何ですか?

A: 会議でどんな問題が起きていますか?(参加者:つまらない、疲れる)
雰囲気というのは非常に大事です。雰囲気が悪ければ今日は止めますと最初に言ったりします。最初に、最近上手くいった事を発表します。会議って、多くの会社が問題を扱っていますが、うまく行っている事の共有をしている所はあまりありません。両方扱う事は大事なことです。よく宗教臭いと言われるのですが、誰かが発表したら、僕らは「よっ」と合いの手を入れます。「よっ」というとリズム感が生まれるんですよ。雰囲気が明るくなって主張しやすくなります。会議は主張してもらう場なので、主張しやすい場をどれだけ作れるか。必ず意見は承認するということは決定しています。細かい事は「すごい会議」の本に書いてあります。僕はその本で人生が変わったので、よかったら読んでみて下さい。



Q:石田さんがこれからどうされたいのかが知りたいです。

A: 挑戦だけで社会をつくるということがすごくやりたいことです。大学1年の時にカンボジアを旅しまして、そこで転機がありました。カンボジアで、日本の経営者に会ったんですよ。70歳手前のおじいさんで、お酒を飲みながらその人が、「人生で今が一番楽しいんだよね」とぽろっと言っていて、18歳の僕からすると、この人すげえなと。こんな、70歳手前の人に出会ったことがない、こんな人になりたいと思いました。話を聞いていたら20代、30代事業を失敗しまくって何億という借金を抱え、40歳ぐらいからいろいろ上手くいって、今色んな事業を展開していて次はこういう事をしたいという話をされる方で、こんな人が周りにいたら楽しいだろうなと思いました。
  旅がすごく好きなので、僕は一旦32歳で仕事を辞めると決めています。仕事を辞めて旅をするか、旅をしながら教育活動をしていきたいと思っています。



Q:石田一眞という人間がどうやって成り立っているかということが知りたいです。

A: 前向きな考え方が僕の一番の強みだと思っています。悩むことはありますが、落ち込むことが無いんですよね。高校3年生の受験の時に、自分が変わったなというのがあるんですが、西高の理数科にいて、クラスで3人京都大学を目指していました。僕は模試でE判定とD判定しかとったことが無くて、二人は常にA判定かB判定でした。明らかに自分は落ちるという未来が見えまして、これはやばいなと。2人より努力している自信はあったのですが一向に成績が上がらず、その時は志望校を変えた方がいいのかなと悩みました。そんな時に担任の先生が、「模試の結果が悪いというのはチャンスだ。わかんない問題に出会えているんだから出来るようになればいい」と言われ、そこから模試の結果が悪かったら、ラッキーと思うようになりました。センター試験もめちゃくちゃ悪かったんですが、センターで出来た人たちは後期でも受かるという余裕が生まれると。僕は後期は無いから他人よりターボがかかっていると思って、結果それで現役で受かりました。結局上手くいくんだなと。それから一切落ち込まなくなりました。



ご参加頂いた皆様からは、
「前向きな考え方に刺激を受けました!」

「なぜ?という考え方ではなく、次どうすればいいかを考えて行きたいと思った。」

「石田さんの生き方、若いのにすごいなーと思いました。何が石田さんを動かすのか最後に聞く事が出来、色々と参考にしていきたいと思いました。」

「会議のやり方、試してみたいと思います!」


といったご感想をいただきました!


クラウドファンディングを使った資金調達、そして目標を達成するための問題解決について様々なポイントをご紹介頂きましたが、ちょっとした思考の変化で、問題を解決に導くことに繋がるのだということが実感できた今回のヒムカレッジ。
参加された皆さんにとっても職場や団体、家庭や学校での活動を行う上でチャレンジするきっかけになったのではないでしょうか?

参加していただいた皆様、そして講師の石田さん、本当にありがとうございました!
  

Posted by みやざきNPO・協働支援センター at 19:14Comments(0)イベント報告

2017年04月16日

ヒムカレッジvol.4 『限界集落を蘇らせたスーパー公務員は、なぜローマ法王にお米を贈ったのか?』開催しました!

3月24日(金)に、氷見市地方創生アドバイザー、日蓮宗 本證山 妙法寺 第四十一世住職の高野 誠鮮さんをお招きし、ヒムカレッジvol.4『限界集落を蘇らせたスーパー公務員は、なぜローマ法王にお米を贈ったのか?』を開催いたしました!




□講師紹介
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高野 誠鮮(たかの じょうせん) 氏

氷見市地方創生アドバイザー、日蓮宗 本證山 妙法寺 第四十一世住職 

1955年 石川県羽咋市太田町生まれ。元地方公務員(羽咋市文化財室長 室長H28.3定年退職)
(経歴)
大学在学中から科学雑誌ライターとなり、テレビ番組の構成をてがける。実家の寺院を継ぐために能登半島に帰省し住職となる。
昭和59年4月~羽咋市勤務(臨時職員) 平成3年、任用委員会で吏員採用。
昭和59年「UFOでまちづくり」を羽咋市で勝手に開始
平成13年2月2日付 毎日新聞コラムで「スーパー公務員」と立川志の輔師匠が紹介。
平成14年「Time誌」で活動が特集される。宇宙とUFO国際会議の開催や公立宇宙科学博物館の建設にこぎつける。青年活動から地域社会活動に展開した。(神子原の取り組みが2005年毎日・地方自治大賞特別賞受賞となる。
平成20年6月25日、増田総務大臣委嘱による総務省地域創造アドバイザーとなる。
(主著等)
各種科学雑誌をはじめ、『ローマ法王に米を食べさせた男』(講談社)、『頭を下げない仕事術』(宝島社)、『日本農業再生論』(講談社)等。
(職歴・役職等)
フリーランス・科学ジャーナリスト (ペンネーム「飛島竜一」Ryuichi Tobishima)
NTV(日本テレビ) 11PM 第11弾~16弾 (水曜班11PM 企画・番組構成作家等)
平成27年TBS系列 連続ドラマ「ナポレオンの村」(主演 唐沢寿明 原案「ローマ法王に米を食べさせた男」)
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今回はみやざきアートセンター4Fアートスペース1を会場に、何と100名以上の方々にご参加頂きました!

限界集落を蘇らせ、地元のお米「神子原米(みこはらまい)」をローマ法王に食べてもらい、米のブランド化を成功させるなど、様々なまちづくりを行ってきた伝説のスーパー公務員、高野誠鮮さんをお迎えし、ご講演頂きました!

石川県羽咋市の神子原地区。昭和40年の初頭には1000人が暮らしていたといいますが、平成17年には500人以下になっていました。
そんな集落にある実家の寺院に後継ぎのために帰ってきた高野さんは、僧侶だけでは食べていけないと感じ、羽咋市役所の臨時職員としても働くようになり、高野さんの限界集落でのまちづくりが始まりました。



〇思考の方向性


高野さんはまちづくりを行う上での思考の方向性として、次の5つのポイントを上げれました。

・できない理由を考えない。
・条件を外に出さない。
・原因をリサーチする。(中途半端は言い訳)
本当に調べたのかソースにたどり着いたのか?
・Proactive Coping・・・ゴールに近づくための積極的で前向きな対処法を実施してみる。
・駄目もとで、とにかくやってみる。



〇課題をつきつけられどうするか?


また課題を突き付けられた時の考え方については以下のポイントを上げられました。

・改善できる可能性を模索(できない理由を挙げない)
・現状、状況を構造的に見る(直線的に考えない)
・根本的な原因に対して対応する(表面的な対策をしない)
 (例:大会・委員会・会議開催だけで終わる)
・従来のルールを無視してみる(何故?従前の方法で解決できた?)
・構成する基本単位で考えて見る(例:集落-人)
・活性化ドラマとして考えてストーリーを考えてみる
・自分以外を「条件」にしない(例:予算・住民・上司)
・立場を変えて考えてみる(例:医者・プロデューサー他)
・全て関係していると考える(地球規模で考える)



〇なくてはならない公務員


「公務員には3種類しかいません。いてもいなくても良い公務員。いては困る公務員。なくてはならない公務員。」そう話す高野さん。
疲弊した集落には「なくてはならない職員」が必要であり、その「なくてはならない職員」には深い経験と深い知識が必要だということです。

「失敗した数だけ職員を褒めるような制度を作ってくださいよ」
当時、高野さんはそんな言葉を上司に言ったことがあるといいます。

失敗をしても周りがしっかりとバックアップするような環境や上司がいることこそが、「なくてはならない公務員」を増やすためには必要であり、自分自身も地域にとってなくてはならい存在になろうと意識しながらこれまでの活動を続けてきたということでした。


〇3つの基本戦略

高野さんのこれまでのまちづくり活動はしっかりとした戦略のもと実施してきたと高野さんは話されます。特に以下の4つの戦略を元に活動してきたということでした。

・多くの人を動かす「メディア戦略」(集団的意識)
・(購買意欲をかきたてる「ブランド化戦略」
・多くの人が訪ねる「交流戦略」
・(オーナー制度、直売所、農家レストランなど)




〇治療方法とやる気


これまでまちづくりを行う中で様々な課題と向き合ってきた高野さん。その課題の解決策として、「ここまで役所がするのか!」というやる気療法を行うということでした。

そして具体的には農業産物の流通形態を直売に(希望小売価格を生産者が設定する)するなどの根本治療を行ったり、空き家対策には「空き農家・農地情報バンク」、高齢化対策には若者の移住政策などを行い、下記の成果につながっていたということでした。

①高齢化率の改善54%⇒47.5%(平成21年)
②所得の向上 月額30万円超の農家
③年間8000万円超が集落に
④UIJターン現象(8名Uターン、若者移住)
⑤農家カフェの誕生(30代のUIJターン)
⑥夏と冬に大学生が集落合宿
⑦12家族35名が他県から移住












「地域にあるのもすべてを活かす。否定ではなく、活かす。」



講演の中での高野さんの言葉です。

まちづくりを行う時や地域と向き合う時に、何かとその地域の問題や課題にばかり、目が行きがちです。
もちろん課題や問題点を把握することも必要なことですが、それ以上に地域の良い所、魅力になり地域に活かせることを考えていくことこそが重要だと高野さんのお話から強く感じました。
そして、実は自分たちが課題や問題だと思っていたことが、地域の魅力につながることもあり、高野さんの言葉の通り「否定するのではなく、活かす。」ことこそが、
まちづくりには大切なことなのだと感じた今回のヒムカレッジでした。





ご参加頂いた皆様からは、
「今後の自身の考え方、生き方の参考になった。」

「本気で地域と向き合っているというのが凄く伝わってきて、やはり何をやるにも覚悟が必要だなと感じた。」

「自分が正しいと思ったことは、どのような批判や反対があってもやりぬくという気概は感銘しました。私も普段の生活で実践していきたいと思います。」

「以前高野さんの話を聞いて勇気付けられた。一度話を聞いてみてはと言われて今回参加しました。村人が自立・持続していけるプロデュースが大切だと感じました。」


といったご感想をいただきました。




参加していただいた皆様、講師の高野さん、本当にありがとうございました!
  

Posted by みやざきNPO・協働支援センター at 19:09Comments(0)イベント報告

2017年04月09日

ヒムカレッジvol.3「災害ボランティアから考える~熊本復興支援ボランティアに学んだこと~」開催しました!

1月23日(月)に、被災地NGO恊働センター スタッフ・東禅寺(武雄市)副住職の鈴木 隆太さんをお招きし、ヒムカレッジvol.3「災害ボランティアから考える~熊本復興支援ボランティアに学んだこと~」を開催いたしました!



□講師紹介
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鈴木 隆太 氏
被災地NGO恊働センター スタッフ・東禅寺(武雄市)副住職

愛知県名古屋市生まれ。19歳の時に阪神淡路大震災をニュースで触れ、そこから神戸でのボランティア活動を始める。その後、「被災地NGO恊働センター」立ち上げに関わり、国内外の災害救援に携わる。
 2004年の中越地震の後、新潟県長岡市に移り住み、現地の復興支援を「中越復興市民会議(現・中越防災安全推進機構)」に所属して行う。
2005年の宮崎県の台風被害に際して、宮崎での支援活動をきっかけに、宮崎の皆さんと繋がりを持つ縁に恵まれた。
 その後佐賀県に移住し、僧侶としての暮らしが始まるが、2016年の熊本地震後、4月14日から活動を始める。
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平成28年4月14日に熊本県益城町で震度7の前震、同月16日に熊本県益城町と西原村で震度7の本震が発生し、甚大な被害が熊本を襲いました。

 こうした中、宮崎県では行政やNPOといった官民協働による被災地支援の取組方針が打ち出され、みやざきNPO・協働支援センターは、熊本の西原村の被災地支援を実施するために必要な調整等を担うことになり、5月は毎週土曜日、日曜日の1泊2日、6月以降は毎週土曜日、日帰りで被災地支援を行ってきました。

これまでの宮崎―熊本支援ネットワークが行ってきた熊本地震被災地支援ボランティアの様子を記録動画として作成しておりますので、是非ともご覧ください。



 今回のヒムカレッジでは、その時に西原村で活動の調整をしていただいたコーディネーターの鈴木隆太さんを講師にお迎えし、ご講演いただきました。


オープニングは鈴木さんの活動を記録した動画を皆さんにご覧いただきました。




〇熊本での活動の経緯

4月14日、前震が発生した時、佐賀の自宅にいた鈴木さん。
佐賀にいても大きな揺れを感じたそうです。そして車で熊本へ向かい夜中の2時に益城へ向かい、作業を行い15日の夜には佐賀に戻りましたが、16日に熊本県益城町と西原村で震度7の本震が発生しました。


熊本市内から阿蘇に行く入り口の所にある西原村。
斜面になった地形に家が集中しているため、宅地への被害が大きかったということが特徴としてあったということでした。

一方でサツマイモの名産地として有名な西原村は、
4月~5月にかけては植え付けの時期でもあるということから農家宅の被害が多くあったということです。

また報道では益城町などの被害状況が流れる事が多く、西原村には支援の手が行き届いていない状況が地震発生当初はあったといいます。そんな中、鈴木さんは被災地NGO恊働センターの他のスタッフさんと様々な地域を見て回り、西原村の被害状況や社協の人手不足などの問題を知り、西原村での活動を開始しました。


〇見えにくい被害

中越地震の時にも鈴木さんは現地で支援活動を行っていました。
その時にも車中泊をする方が多いということでしたが今回の熊本地震の時も車中泊をする方が多く、小さいお子さんがいる家族やペットを飼っている人は避難所に泊まらず車中泊を選択される方が多かったということでした。それが原因でエコノミー症候群になる方も多っかたということでしたが、西原村の場合はどの地域にどんな家族が住んでいいたのかをしっかりと把握していたこともあり、フォローは出来ていたということでした。

大分も一部損壊が5,000件にも昇るなどの被害が出ていましたが、激甚災害指定されていない地域では、高齢者や子供のいる家庭は夜は不安で公民館などで自主避難をする所も多かったそうです。自主避難のため、支援が行き届かない状況があったといいます。

見えない部分で支援を必要とされている方が多い状況はどの地域で災害が起きても出てくる問題なのだと鈴木さんは話されました。


〇応急危険度判定の混乱


余震などによる二次災害発生の危険の程度を判定する応急危険度判定の張り紙。程度によって赤・黄・緑(危険:赤/その建築物に立ち入ることは危険です。要注意:黄/立ち入りには十分注意してください。調査済:緑/その建築物は、使用可能です。)の色紙が建築物の見やすい場所に掲示されます。
しかしこの応急危険度判定で間違ってはいけないのが、これは罹災証明のための被害調査ではなく、建築物が使用できるか否かを応急的に判定するものだったため、「赤紙」が貼られると、イコール全壊という誤解が生じたり、ボランティア活動を行う上でも大きな混乱をもたらしていたといいます。

そのため応急危険度判定や罹災証明についての詳細を記した文書を建築士の方に作成してもらい、全戸に対して配布するなどの対応をしていったということでした。

活動するうえでも、場合によっては建築士の方などの専門家に見てもらいながらどのような活動が出来るか判断してもらったり、場合によってはその専門家の方に作業をお願いするなどの対応もしていたということでした。

「出来ないことを出来るようにしていく」
という意識をボランティアセンターの活動を行う上でとても大切にしていたそうです。

またこのような対応が出来たということは西原村の社会福祉協議会の方や役場の方をはじめ、何より、外から来た支援者を受け入れてくれた地元の方のおかげだったと鈴木さんは話します。


〇移転の課題

「どのような時期・場所で災害が起きたのか」
通り一辺倒の支援ではなく、被災地の状況をしっかりと見て支援を行うことが必要だと語る鈴木さん。


熊本地震では移転に関しても大きな課題がありました。
2004年に起きた中越地震では集団移転が行われる際、集落に残る人たちに対して、残せる宅地がある状況だったため、ほとんど支援をすることはなく、主に移転者に対して防災集団移転促進事業を使いながら、平場に造成した土地を提供し家を建てるなどの支援が行われました。
そのため、集落に残ることを選んだ人たちに対して土地の整備などの支援をする必要がほとんどなかったそうです。

しかし、熊本の場合は集落の宅地を整備しないといけないという状況と、一方で移転を希望する人たちにも支援が必要な状況が出ていました。
そしてこの2者に対して補助事業で支援を行おうとすると、補助事業が2重になってしまうため、集落に残る人は移転者に対して出る補助事業は使えないということが起きていました。各家庭の事情で残る人・移転する人がいるため、住民の間でも軋轢が生まれ、今でも難しい状況があるといいます。


〇玄海島の視察


平成17年3月20日に10時53分に発生した福岡県西方沖地震で大きな被害をうけた玄海島。
昨年10月に鈴木さんは、その復興への取り組みを知るため視察に向かいました。

熊本と同様に斜面に建てられた家が多く、宅地への被害が大きかったといいます。
復興への取り組みとしては被災住宅が密集している地区の住環境改善と災害防止を図るため、小規模住宅改良事業の手法により、土地の買収や建物の除却を行った後、改良住宅の建築や戸建て用地の造成、道路・公園等の公共基盤設備を行いました。
公営住宅に入ることを選択した方は、115世帯、戸建ての住宅再建をされる方は50世帯あります。
特に公営住宅に入られる方は10年先を見据えて選択したということでしたが、土地を手放すということは財産を手放すということでもあり、次の世代に引き継げるものが何もなくなってしまうという課題があるということでした。

視察中、地元の方と交流する中で色んな方に言われたのが「とにかく、とことん話し合うべきだ」という言葉だったと鈴木さんは話します。

これから地域をどうしていくのか、
悩んでる部分も腹を割って話していくことが大切だということを改めて感じたということでした。


〇人口推移からみる支援活動
実は西原村は九州地方の中でも人口が増加している地域で、
田舎暮らしが再評価された状況などがあり、住む人が増えてきたということです。

地震直前までは7000人を超えていましたが、別の地域の仮説に住むことになった人がいたりするなどして、
今では減少していっている状況があるということでした。

そんな中、昔から西原村に住んでいる方、地震が起きて西原に移り住んできた方など、
それぞれで復興に向けての動きが出てきているといいます。

元々住んでいた人の中ではこれからの復興を考える組織が区長さんなどを中心に出来ていたり、
新しく西原に住み始めるようになった人の中では炊き出しを行ったり、地域のイベントに積極的に参加したりする動きも生まれてきているということでした。
また地元の方やボランティアの方たちと一緒に地域に出て、瓦礫ばっかりの村を少しでもきれいにしようと花を植えるプロジェクトを始めた方がいるなどの動きも西原村では起きているそうです。

このような復興に向けた取り組みが相互作用で良くなるように動かしていくことが必要だということでした。


〇中間支援の必要性
新潟では中越復興市民会議という中間支援組織を立ち上げ活動してきた鈴木さん。
熊本でもそういった組織を立ち上げていく動きがあるということですが、熊本では地域によって被災の度合いが違うため、熊本市ではあてはまるものが西原村ではあてはまらないという状況があり、地域の実情に合った支援メニューが必要だということでした。
宅地の支援や記録集を残す活動、神社を修繕するといった支援、地域でのイベントの開催など、現在、役場と連携をしながら動いているということでした。

また集落によっては集落に残る人・移転する人、それぞれの中で、
経済状況・安全の面・地元を離れたくないという想いなど様々な要因があり、折り合いのつかない気持ちを抱えた方々もいるということでした。そんな人々に寄り添っていけるような支援を続けていくことが必要だと鈴木さんは話します。

〇地域をこえた交流
鈴木さんが活動していた新潟の山古志村。今でも交流は続いており、最近そんな山古志村の方々からのメッセージ動画を撮影し、熊本の人へ届けたエピソードも。
その後山古志村の方に西原村へ実際に来ていただき、中越地震の時の心境や状況を話しに来てもらったりもしたそうです。
大きな災害を経験した人々同士だからこそ、励みになったり通じ合うような部分があり、こういった交流もこれからも続けていきたいということでした。


〇「受援」のチカラ


最後に鈴木さんは災害ボランティアをする上で、「『受援』力」が大切だ話されました。

今も西原村で活動させて頂いているとうことは、西原村の人が自分たちの活動を受け入れてくださる土壌があるからこそだということでした。

これまで様々な地域で支援活動を行ってきた鈴木さん。
地域によっては活動を中に入っていくことが難しい所もあったといいます。

しかし西原村の人は、活動を始めた当初から被災状況を語ってくれたり、外から来た人間を温かく受け入れて頂けたそうです。

自分の家が災害で被害を受けている状況の中で、ボランティアの活動を受け入れるということにも力が必要で、
西原村の人にはそんな「受援」力があり、そんな西原村の人たちだったからこそ鈴木さんもこれまで活動を続けてこれたのだということでした。




講演の後は、鈴木さんと特定非営利活動法人 宮崎文化本舗の石田代表理事と、参加者の皆さんを交えながらのトークセッションが行われました。




熊本での宮崎-熊本支援ネットワークの支援活動の経緯や支援体制について語られる中、
参加者の方から出た「震災による影響や労働力の低下・高齢化による担い手不足が進む中で、農業に関する支援や呼びかけが西原村では出てきているのか?」という質問に対して、
鈴木さんは「萌の里という物産館があり、そこにかなりの数の農家さんが出品している。熊本地震の影響で休業が続いていたが仮店舗で営業が再開された。現時点では売り上げも少ない状況があるが本格的に営業が再開されれば農家さんにとって大きな力になっていくと思う。またこれまでやってきた農業ボランティアを地元の農家を中心としたグループにして、特産品の開発や高齢者の生きがいとなるような活動をしていく動きもある」とコメントされていました。


またトークセッションの中で鈴木さんは、西原村のボランティアセンターは、
全国からのボランティアを受け入れる支援体制で活動してきたと話されました。

そのことについて、これからの復興を考えると地域を限定せず全国の方からの支援を受けていた方が、支援活動のつながりの中から、次につながる展開や復興が前進する力になっていくという想いがあったからだということでした。
全国からボランティアを受け入れるということは、それだけの労力が必要になるということでもあり、反発する声もあったといいますが、
長期的な復興の取り組みや将来的な西原村の活性化のことを考えると必要なことだということでした。

また鈴木さんの「地域との繋がりを強く意識して活動していた」という言葉が印象的でした。
支援活動を行う時には地元の区長さんを始めとする、地元の方々が地域とボランティアをつなげていただけたということがあり、
そのおかげでニーズの発見や支援活動の進行がスムーズに出来ていたということでした。
この「地域とのつながり」は今後、起こりえる災害の時に、どの地域においても必要であり大切なことなのだと強く感じました。


ご参加頂いた皆様からは、
「西原村のボランティア活動が、受け手側からの状況として聞けたので良かった。また、鈴木さんの活動が非常に幅広い事が分かりました」

「大変ためになりました。宮崎で災害が発生した時に、少しでも役に立てるようにがんばりたいと思います。」

「興味深く大変有意義な話を聞かせていただきました。単にボランティアだけの話ではなく、人との地域とのつながりの在り方について感銘を受けました。これからも、自分にできるボランティアを行っていきたいと思います。」

「自分が被災者になった視点で支援のあり方を考える。受援力について宮崎も考えていく必要がある。」


といったご感想をいただきました。


間もなく熊本地震から一年が過ぎようとしています。
鈴木さんのお話にもあったように、支援する側だけではなく、
「受援」する側の視点を考えた上での災害ボランティアのあり方や、
地域とのつながりや関係性をいかに作っていけるかが,
これからの支援活動には大切なことなのだなと強く感じました。

またどの地域で災害が起きても、決して他人事にせず、いかに自分ごととして考えられるか、
鈴木さんのこれまでの活動や姿勢に学ぶことがとても多かった今回のヒムカレッジだったのではないでしょうか。

参加していただいた皆様、講師の鈴木さん、本当にありがとうございました!
  

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2017年04月05日

【動画でみる!ヒムカレッジ!】ヒムカレッジ2016 vol.2 デザインを見える化するワークショップ

12月11日(日)に、ホップステップアヤウェブ代表 ヒダカ アヤさんをお招きし開催した、

ヒムカレッジ2016 vol.2
「 デザインを見える化するワークショップ チラシづくり 「課題」発見 「悩み」解決 ワークショップ」


こちらの講座を3分間にまとめたダイジェスト動画を公開しております!

当日の講座の流れや会場の雰囲気が感じられるかと思いますので、是非ともご覧ください!




この講座についてもっと詳しく知りたい方は下記URLから活動レポートをご覧ください♪
http://ksc.miyachan.cc/e507952.html
  

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2017年01月31日

ヒムカレッジ2016 vol.2 デザインを見える化するワークショップ 開催しました!

12月11日(日)に、ホップステップアヤウェブ代表 ヒダカ アヤさんをお招きし、ヒムカレッジ2016 vol.2「 デザインを見える化するワークショップ チラシづくり 「課題」発見 「悩み」解決 ワークショップ」を開催いたしました!





□講師紹介
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ヒダカアヤ 氏 (ホップステップアヤウェブ代表) 

自然と宇宙に一番近い農業者さんをこよなく愛しています。
2015年、6次産業化サポーターに認定していただきました。

新潟県生まれ 宮崎市在住
バンタンデザイン研究所 illustration科(中退)
共立女子短期大学英語専攻
大阪芸術大学映像学科


(制作歴)
http://ayaweb.jp/works/

(受賞歴)
2007 47th ACC CM FESTIVAL ACCファイナリスト賞受賞
東京国際アニメフェア2007 アニメアワード優秀賞受賞
インディーズアニメフェスタ2007八巻審査員賞受賞
NHKデジタルスタジアム真島セレクション(2009.Jan)
NHKデジタルスタジアムMAYA MAXXセレクション(2007.Feb.)

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今回も様々な職種・年代の方々にご参加いただきました!

前半はどのように伝えれば重要な事が伝わるか、その思考のプロセスを体感するグループワークを行い、後半は実際にヒダカさんに即興でチラシを作って頂きながらチラシ作りのコツについてお話頂きました。



「いくらテクニックを学んでも、本当に伝えたいことや魅力を理解できていないと効果が出ないので、その大元の部分をしっかりと学ぶことが大切です」自己紹介に合わせて今回の研修の内容に至った経緯をヒダカさんにお話いただき、研修はスタートしました。


そして前半のグループワークを行うにあたっては宮崎産業経営大学の宮崎ダイアログカフェの皆さんにグループファシリテーターとして入っていただきグループ内の進行をして頂きました!

●デザインを見える化するワークショップ

初めに趣旨説明・グランドルール・自己紹介を行い実際のワークへ。





【STEP1】

まずは今回のワークのキーポイントとなるワークシートに団体名、お名前、どんな活動をしている団体か、自分は何をしているか、
そして下記の1)~6)の問いに対して記入して頂きました。

1)何を伝えたいですか?

2)何が課題ですか?

3)伝えたい人が抱えている悩みは何だと思いますか?

4)伝えたい人にどんな風に感じてほしいですか

5)伝えたい事が伝わったら、相手はどんな良いことがありますか?

6)伝えたことが伝わったら、自分にはどんな良いことがありますか?


【STEP2】
つづいて課題に対しての問を考えて頂きました。
自分が記入したワークシートを左側に回し、自分に回ってきた他の参加者のシートの課題を読んで、
その課題を深堀りする質問を付箋紙に記入して頂き直接ワークシートに貼っていってもらいました。

1つの課題について、最低1つの質問を記入することを条件に、
同様な作業を自分の元に自分のシートが戻って来るまで繰り返し行いました。



【STEP3】

そして戻ってきた自分のシートに書いてある問に対して、
自分はどのようなことを考えたのか、感じたのかを書き留めたり頭の中でまとめる熟成の時間へ。


【STEP4】

いよいよ最後のステップへ。

グループファシリテーターに進行して頂きながら
皆さんから頂いた質問に対して、自分の回答をグループ内で4分間話していただきました。

そして発表後には発表者に“気づき”を促す質問を1人1回以上問いかけていただきました。

またそれ以外の人は、質問や発表者の言葉(キーワード)を正方形の付箋に書きだして、プレゼントしていただきました。



問を考えるステップでは他の人の課題であってもそれを深める質問を考えることで、
自分自身の課題や伝えたいことを引き出す考え方にもつながります。

また今回のようにグループで行い他の人の考え方にも触れることで、
自分の中にはなかった新たな気づきや視点が得られたのではないしょうか。

また参加者の皆さんで実際に自分が作ったチラシを持ち寄りながら、
話し合っている場面も見受けられ、課題や悩みの共有や意見交換も出来たワークショップとなりました。


★見やすいチラシをつくるヒント
後半はヒダカアヤさんによる「見やすいチラシをつくるヒント」についての講座が行われました!



その中で紹介されたチラシづくりのポイントを何点かご紹介いたします。

◇情報の整理



まずはじめに「情報の整理」が大切だと話すヒダカさん。
見やすいレイアウトや情報が伝わりやすくするためにも以下のような点に注意するといいということでした。


(揃える) 
・文字の位置・見出し
・文章の端が揃うことで文頭が見つけやすくなり、文章が読みやすくなる。
・画像の大きさを揃えると紙面のバランスが良くなる。

(まとめる)
項目名と説明、写真と写真のタイトルなど、関連のある項目同士を近づけて配置関連のあるものを同じ揃え方で近くに配置することで、内容を直感的に理解しやすくなります。

(区別する)
揃えてまとめた情報グループを離して配置。情報グループの周りに余白ができることで、グループが強調され、情報を素早く見つけることができ、正確に伝えることができます。罫線を引く、色分けをするなど。文章を枠内に入れる場合は、上下左右に一文字分ぐらい余白を確保する。


◇フォント(書体)を多用しすぎない


今ではPCの中にデフォルトで多くのフォントが入っていたりして、ついつい色々な種類のフォントを使ってしまうことがあるかと思いますが、
そうすると統一性がなくなり逆に見づらくなってしまうということでした。
以下の点に注意してフォントは使いましょう。


タイトルや見出し・・・視認性の高い「太いゴシック体」
長い文章・・・可読性の良い「細い明朝体」が向いています。プレゼンテーションのスライドは、読みやすさよりも見やすさが重視されます。全体を通じてゴシック体を用いるのが良いでしょう。

一つの紙面で使うフォントは3種類ぐらいがベスト。
POPなどは、デザインフォントを使う場合は、見出しのみ、商品名のみ、
といったルールを作る事でしっかりと引き立ちます。


◇色を使いすぎない


フォント同様、色も使いすぎないようにすることが大切です。

1つの紙面に使用する色は3~5色にして、この内一番目立たせるメインカラーは1色(5色使用の場合は2色)にすること。
残りの色は、彩度を抑え、メインカラーをサポートする色にすると効果的だそうです。

またどうしても多くの色を使う場合は、
1色をグレーやベージュにすると、色同士の衝突を和らげる効果があるそうです。


◇ジャンプ率 大きさのメリハリ


大きさのメリハリをつける「ジャンプ率」
左上の画像だと同じサイズの画像が並べられており、印象がぼやけてしまっていますが、
右の方はこの学校の雰囲気が一目で分かるように画像の大きさにメリハリがあります。


チラシやポスターなど瞬間的に判断してもらいたいものほど、このジャンプ率を高くすることで
見やすく印象に残るものになるということでした。




そして最後には実際に今回の講座のチラシで使用した素材で、
講座で紹介されたポイントを踏まえつつ、チラシづくりの作業を実演して頂きました!


今回はイラストレーターなどの専門的なソフトではなく、なんとofficeのパワーポイントを使用して作っていただきました。


画像の切り取り方(トリミング)や印象に残るようなタイトルのデザインなど、
1つ1つの作業を、見やすく分かりやすく、同時に思いや感情が伝わるように考えながら作業するヒダカさん。

本当にちょっとした部分の工夫で、見やすく伝わりやすくなるので驚きの連続でした。



出来上がったチラシはとても短時間でさらにパワーポイントで作業したとは思えないクオリティで、
参加者の皆さんも感心していたご様子でした!







□質疑応答

質疑応答では、
「面白いと感じてもらえる広報物を作るために工夫していることは?」という質問に対して、
ヒダカさんは「直線の枠で囲ったり幾何学的なデザインが多くなったら、フリーハンドで作ったゆるい図形や曲線を使ったレイアウトなどに変えてみるとちょっとした遊び心が出ていい。またキャッチコピーも伝えたい人に一番近い言葉、普段感じて課題や悩みを想像して作ると親しみやすく伝わりやすくなる。」とコメントされていました。





ご参加頂いた皆様からは、

「デザイン(広義から狭義まで)についてごく身近かつ具体的に学び、感じ、考えることができた。自分たちの活動を他者視点から見て、話して提案していただくことで、自分たちの課題や強みを照らし返して多くのヒントをいただいた。産経大の学生さんたちのファシリテートも心強かった。ありがとうございました。」

「チラシのテクニックもこれまで知りたかったことばかりで、わからなかったところが納得できて、実行しやすくなった。ありがとうございました。」

「いつも自分の中で「これ良いんじゃないかな?」と思って情報を発信していたが、伝えたい人を絞ること、伝えたい人が何に悩んでいるかと相手の方を含めて考えなければ届かないのかなと思いました。」


といったご感想をいただきました!



参加していただいた皆様、そして講師のヒダカさん、ファシリテーターとしてご参加いただいた宮崎ダイアログカフェの皆さん、
本当にありがとうございました!


また今回の講座を3分間にまとめたダイジェスト動画を公開しております!
当日の講座の流れや会場の雰囲気が感じられるかと思いますので、是非ともご覧ください!

  

Posted by みやざきNPO・協働支援センター at 22:27Comments(0)イベント報告

2017年01月04日

ヒムカレッジ2016 vol.1 アンガーマネジメント講座 開催しました!

10月18日(火)に、組織デザイン・ラボ 代表 原口 祐佳さんをお招きし、ヒムカレッジ2016 vol.1「怒りをコントロールして、より良い人間関係を構築する アンガーマネジメント講座」を開催いたしました!




□講師紹介
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原口 祐佳 氏  組織デザイン・ラボ 代表 

提携会社:ANAビジネスソリューション氏,アニメートエンタープライズ,株式会社イースト

長崎県佐世保市生まれ。短大卒業後、ANA(全日本空輸株式会社)入社。グランドスタッフとして福岡空港に勤務、その後営業支店へ異動し、教育、企画、セールス等、幅広く業務に携わると共に人材開発・教育研修業務を担い、延べ40,000 人のANAグループ社員の育成に携わる。また、教育プログラム開発、人材育成の体系化も手掛け、現在の基礎となる。
 2012年に、“社員全員で成果を上げる組織作りを支援する”を理念とし独立。研修講師、組織デザイン・コンサルタントとして141社の企業の人材育成支援を実施。特に現在は、「リーダー育成」と「人事評価制度作成」に力を入れ支援を行っている。また現在までに延べ120人、1015時間以上のコーチングの経験を持つ。

◆資格◆ ICF国際コーチ連盟プロフェッショナルコーチ、日本アンガーマネジメント協会ファシリテーター

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今回も様々な職種・年代の多くの方々にご参加いただきました!
実際のワークを交えながら「アンガーマネジメント」について学ぶ研修会となりました!




●アンーマネジメントとは

初めにアンガーマネジメントという言葉について。

アンーマネジメントとは「怒り」(アンガー)とうまく付き合うこと(マネジメント)=後悔しないこと(「言い過ぎた」「言えばよかった」などとならないように)


ここで重要なのが、決して怒らないということではなく怒る必要のあることは上手に怒り、怒る必要のないことは怒らないようにすること
だということでした。

また仕事に限らず家族や友人などとのコミュニケーションにも用いることも出来るということでした。



●怒りとは

そもそも怒りという感情には「感情表現」「伝達手段」「機能・役割」という3つがあるといいます。

「感情表現」
・人間にとってごくごく自然な感情のひとつ
・怒りがない人はいないし、なくすこともできない

「伝達手段」
・怒ることで伝わることがある 怒ることで伝わりにくくなることがある

「機能・役割」
・身を守るための感情(防衛感情)


そして怒ることはダメな事ではなく、怒っても構わないが、

怒るものか、怒らないものか“区別できていないこと”こそが問題なのだと原口さんは話されました。


そして、ここで参加者の皆さんにはワークシートに、自分が「怒った出来事」を書いて頂きました。
参加者の皆さん同士で共有しながら、またその時の「感情を表す言葉・発した言葉」についても書いて頂きました。

このようにまずは自分の感情をちゃんと「言葉」に表すことが、
怒りとうまく付き合っていくことにつながるのだということでした。



さて実際に怒りとうまく付き合うためにはどうしたらいいのでしょうか?




●6秒

怒りとうまく付き合うためのポイントとして、
1つ目に大切なことは「6秒」待つということでした。


人は怒りの感情が起きて、その怒りのピークが続く時間が6秒だといわれています。

ここで何か言葉を発したり、感情に任せた行動をとってしまうと前述した「後悔」につながってしまうということでした。

そうならないためにもとりあえず6秒待つことで冷静な判断が出来るのだということでした。


実際に6秒を計ってみると長いと感じてしまう方が多いかもしれませんが、
その間に深呼吸をしたり、「人はひと、、人はひと、、」といった自分なりの呪文を唱えたりするなどを試してみるといいということでした。


●べき


続いて二つ目のポイントは「べき」です。


そもそも私たちを怒らせるものは一体何なのでしょうか?
人や出来事、色々と考えられますが、実は「べき」ということが正体なのです。

「べき」とはつまり、「〇〇であるべき」だとか「〇〇すべき」などといった

“自分が長年慣れ親しんでいること 絶対だと信じていること”

この「べき」が自分の中にあることで、何か怒りにつながる出来事が起きたときに、実際の出来事と自分の中にある「べき」の感情とのギャップが生じてしまい、怒りにつながってしまうということでした。


この「べき」という原因を減らすためには、
自分の中にある「べき」を許容できるレベルごとに分け境界線をはっきりとさせることがまず大切だということでした。


ここで参加者の皆さんには先ほどのワークシートに自分の中の「べき」を書き出してもらいました。


そして「べき」を明確にしたら他の人の「べき」を許容する努力をし、また他人と自分の「べき」を見せたり伝え合ったりして他人の「べき」と比較しながら考えることも効果的なのだということでした。



●分かれ道



3つ目にアンガーマネジメントに大切なこととして、怒りの行動を起こすか、起こさないか?の「分かれ道」を意識するということがあります。

そのためには何か怒りにつながる出来事が起きたときに、

“変えられる=コントロール出来る”こと と “変えられない=コントロール出来ない”ことに分けて考えることが必要です。

例えば電車の中で騒いでいる人を見た時に、
自分が注意したりして静かになるとすれば「変えられる」こと、として、
いつ・どうやって・どのように・どの程度変えるのかを考え行動に移します。

ここで実際の「変えられる」行動(叱る・怒る・注意するなど)に移す時は、
タイミングや場所、どのくらい変えることがいいのかを考えてから行動に移すことが重要です。


そして何か言っても静かにならない「変えられない」ことと判断すれば、
自分がその場から離れたりするなどの具体的で現実的な対策を考える必要だということでした。




また怒りには、
・家族や友人などの身近な対象に強くなる←コントロールできるという思い込み
・高いところ(上司・先輩・兄、姉)から低いところ(部下・後輩・弟、妹)へ流れる←怒りの連鎖
・伝染しやすい←情動伝染
といった性質があるといいます。


しかし同時に怒りは、
行動を起こすモチベーションにもなり、

“エネルギーになる”

性質も兼ね備えています。



今回の講座で出てきた対処法を一日一日、生活の中で意識しながら実践し、
自分の感情に責任をもつことで、怒りとうまく付き合う術が身についていくのだと原口さんは話されました。

また会社などの組織では生産性を生むようなパフォーマンスにつながったり、
家庭や学校などでは日々の活力となるようなエネルギーにもなるということでした。




□質疑応答



質疑応答では、
「6秒我慢できないような怒りっぽい人とはどう付き合えっていけばいいですjか?」という質問に対して、
原口さんは「怒りそうな場面に遭遇した時に、お茶を持って行ったりお菓子を持っていくなど自分が6秒の間で出来るようなことをやってみるのもいい。またお部屋の中にアロマを焚くなどして落ち着きやすくなる空間にすることも効果的です。」とコメントされていました。





ご参加頂いた皆様からは、

「怒りのコントロールの方法が分かりとても参考になった。」

「自分の中の理想が高かったことに気づきました。あまり怒ったりする方ではないと思っていましたが、自分でも忘れているような小さな怒りがあるのだと気づきました。」

「怒りについての考え方が変わりました。うまく付き合っていく為にも教えて頂いたことを心がけていきたいと思います。」


といったご感想をいただきました!




「怒り」という誰しもが持つであろう感情と上手く付き合っていくために、
その本質や対処法などを学ぶことが出来た今回のヒムカレッジ。

自分の身の回りのことから意識し・実践出来ることばかりでしたので、
参加者の皆様にとって、様々な場面で役立つスキルを学ぶ場になって頂けたのではないでしょうか。



参加していただいた皆様、そして講師の原口さん、本当にありがとうございました!
  

Posted by みやざきNPO・協働支援センター at 18:14Comments(0)イベント報告

2016年11月10日

地域版ヒムカレッジ in 日南 開催しました!

9月30日(金)に、北海道国際交流センターの事務局長 池田誠さんをお招きし、
地域版ヒムカレッジ in 日南「地域づくりのコーディネート力~連携・協働で地域を元気に!」を開催いたしました!




□講師紹介
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池田 誠 氏
(財団法人北海道国際交流センター(HIF)事務局長)
函館生まれ。1984年小樽商科大学卒業後JTBにて11年間勤務。95年に退職、1年間、ニュージーランドでグリーンツーリズムや、パーマカルチャー、バイオダイナミックなどを学ぶ。帰国後、共働学舎新得農場にて有機農業、ナチュラルチーズづくりなどを担当し、自給自足の共同生活をする。2001年5月より現職。現在、外務省NGO相談員、DIGネットワーク函館事務局長、大沼ラムサール協議会会長など多数。七飯町大沼在住。

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今回は日南の地域づくりに携わっている方や行政職員など幅広い年齢層の多くの方々にご参加いただきました!

ホームステイプログラムを中心とした国際交流事業をはじめ、様々な事業に取り組む池田さんにご講演いただきました。



●自治体と連携し、ホストファミリー開拓


北海道国際交流センターで取組むホームステイプログラム。
きっかけは1979年夏、北海道七飯長の農家に16名の留学生が2週間ホームステイを行ったことでした。
それから現在に至るまでの37年間、100の国と地域、10,000名以上の留学生が北海道を第2の故郷として交流をつづけています。

こうした北海道でのホームステイプログラムが始まりとなり九州でもホームステイプログラムが行われるようになり、北と南から草の根の国際交流が盛んになっていたということでした。
また海外の大学と連携した日本語教育のプログラムも行っており、毎年多数の応募がくるほど人気があるそうです。


●国の行政機関などとの連携

池田さんは外務省(JICA)や環境省、内閣府と連携した事業も行っています。
最近では厚生労働省と連携し、若者の就労支援を行う「はこだて若者サポートステーション」を始めたり、生活困窮者の自立支援や学習支援も行っています。
その他にも農林水産省と連携した事業や防災活動などの取組み、環境保護活動やクルーズ船のインフォメーションデスクなど、その活動は多岐に渡ります。


●多様な主体と連携するメリット

このように様々な事業を展開する池田さんですが、そんな中では「何で国際交流の団体なのに別の分野に出て行くの?」という声が上がることも少なくはないそうです。

しかし、池田さんは「様々な事業を展開しているからこそ見えてくるものがある。福祉と環境の事業が結びついたり、国際交流と地域づくりが繋がり、より事業が進みやすくなったりすることがある」と語ります。

多様な主体との連携による地域づくりの取り組み、また性別や世代を問わず様々な人々を巻き込んだ活動を行うことにより、ネットワークが更に拡がり、円滑な組織運営にも繋がっているということを強く感じました。


●共働学舎での生活


最後には池田さんが2年間生活していたという共同学舎のお話に。

共働学舎は1978年、集落全体の高齢化などによって廃村となった後の集落で、共働学舎の創設者宮嶋眞一郎と数人の同士が生活を始めスタートしました。

現在は20代~60代の男女十数人が犬や猫、ヤギ、鶏などの動物たちとともに暮し、村の先人達が代々使ってきた田畑や数軒の古民家をそのまま受け継ぎ、農業中心の生活を続けてきました。

住人たちは、とても個性豊かで年齢層も幅広く、また身体的・精神的・境遇上などでのさまざまな差異を持つ人たちですが、1人1人が持つ個性を尊重し、お互いに支えあいながら共同生活を送り、一般的な地域コミュニティでは成り立ちにくいような生活を送っています。


そこで池田さんは有機農業とナチュラルチーズづくりをしながら自給自足で暮らしていたそうです。

共働学舎での生活を通して、多様な人々や多様な考え方に触れ
「異なる価値観やそれぞれに得意・不得意のある人々が支え合いながら社会を作っていくことが大切だ」
と感じた池田さん。

様々な分野での事業を展開している現在の活動を行う上で、
共働学舎での生活はとても大きな経験になったということでした。



□質疑応答

質疑応答では、
「どのように地域の人を巻き込んでいるのか?」という質問に対して、
池田さんは「地域の人と関わる時には、とにかく低姿勢で接すること。あとは飲みの席で打ち解けていく。また女性スタッフがいると打ち合わせなどがスムーズに進行できるのでなるべく同行してもらうようにしている。」とコメントされていました。






ご参加頂いた皆様からは、

「今まで私自身が抱いていた「地域づくりのコーディネート」に対しての概念を変えれました。エリアではない広域連携の重要性を認識しました。」

「様々な活動をされていて大変驚きました。「協働学舎」の話が興味深かったです。障害等その人の個性としてあたり前に生活していける社会を目指したいです。ありがとうございました。」

「多様性はこれからの社会のキーワードのひとつだと思います。どうすればそれを実現できるのかということを考えました。」


といったご感想をいただきました!


とても多くの事業を手掛ける池田さんですが、
講演内でも話されたように多様性を受け入れ活かす姿勢が、
事業を動かす原動力になり、人や地域と連携していく力にもなっているのだと感じた今回のヒムカレッジでした。


参加していただいた皆様、そして講師の池田さん、本当にありがとうございました!
  

Posted by みやざきNPO・協働支援センター at 17:27Comments(0)イベント報告

2016年10月25日

資金調達サポート研修会「志を実現するための新しい資金獲得の方法とは」開催しました!

9月11日(日)に、(公財)佐賀未来創造基金 理事長の山田健一郎さんと認定特定非営利活動法人 日本IDDMネットワークの事務局長 岩永幸三さんをお招きし、資金調達サポート研修会を開催いたしました!



□講師紹介
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山田 健一郎 氏
( (公財)佐賀未来創造基金 理事長)
1977年佐賀県生まれ、早稲田大学卒。教育系NPOを経て、地元中学・高校へ勤務。その後、中間支援組織職員・役員、佐賀県庁県民協働課へ勤務後、NPO法人さが市民活動サポートセンター理事長に就任。国連公共サービス部門で世界一になった「協働化テスト」では事務局長として携わりドバイ世界政府サミットに登壇。約3年前から佐賀未来創造基金の設立・運営を行い、現在も代表理事を務める。地域福祉ネットワーク事務局。地元商店街振興組合副理事長等も務める。



岩永 幸三 氏
(認定特定非営利活動法人 日本IDDMネットワーク)
佐賀県庁の初代県民協働推進担当官。協働化テスト(協働の提案制度)、プロボノ、マッチングギフト方式による市民コミュニティ財団への補助、ふるさと納税のNPO等指定、NPO/NGOの誘致等に携わる。この他、「新しい公共」推進会議の専門調査会委員、地域に飛び出す公務員を応援する首長連合の初代事務局長を務めた。公務外では認定NPO法人日本IDDMネットワークで“資格無”のファンドレイザーとして16年目の活動中。
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今回はなんと定員を超える47名と、職種も年齢も幅広い多くの方々にご参加いただきました!
今回は、講演1でファンドレイジングについての基礎知識を、そして講演2では実践的な内容をお話いただきました。また講演終了後は個別相談を行い、宮崎の地域づくり団体やNPOでの新しい資金調達の実践方法を学ぶ研修会となりました。


講演1:資金調達~ファンドレイジング~の基礎知識


山田さんの講演では資金調達~ファンドレイジング~の基礎的な知識についてご講演いただきました。


●社会情勢の変化
全国的に人口(産業人口)減少・高齢化が進む中、それぞれの地域によって課題も増えている。そんな現状で生き残っていくには寄付や財源などによる資金循環が大きな役割を果たしていると話す山田さん。

内閣府の調査によると、
「社会のニーズや課題に対して市民の自主的な取り組みが大切である」と考えている人は9割を超え、社会貢献や課題解決への意識は高まっているそうです。

その反面でNPO法人に寄附したいと思う割合は23%となっており、寄附したくない理由として「寄附した後の効果が見えにくいこと」や、「経済的な余裕がないこと」を挙げる人が多いということでした。

寄附する際に重視する点としては「目的や活動内容が共感できること」や「寄附金が有効に使ってもらえること」を挙げる人が多いということでした。


●ファンドレイジングとは


ファンドレイジングとは単なる資金調達にとどまらず、共感をマネジメントしながら組織と財源を成長させる力であり、人々に社会課題の解決に参加してもらうためのプロセス。
寄付から社会的投資まで含み、活動のための資金を個人、法人、政府などから集める行為の総称のことを指すということでした。
そしてファンドレイジングを効果的に使っていくためのポイントは・・・

ポイント1:多様な資金源の獲得で支援者拡大!!
寄付・会費、助成、事業など支援車窓の輪を広げていき多様な資金源をバランスよくもつ。

ポイント2:資金源の相乗効果を図る!!
ふるさと納税が増えると通常の寄付が増えいったり、自分たちの事業にファンが増えれば事業収入が増えたりと相乗効果を狙いながら活動を行う。

ポイント3:事業、組織、財源の一体的成長戦略!!
事業、組織、財源は、一つでも欠けたら上手く回っていかないので一体的に成長させることを意識しながら活動を行う。


●ひと・もの・かね=志金調達・じょうほう ファン度レイジング
ファンドレイジングに必要なのはファンの度合いを上げていくことが重要だと話す山田さん。
自分たちの活動や思いを支援者となる人に効果的に伝えファンを増やしていく。
そのためには情報発信や組織基盤を整えることなど、そもそも団体の円滑な運営に必要なことを着実に行うことが大切だということでした。
また「たとえお金は集まらなくても寄附を募る為に自分たちの活動を発信し訴えていき、共感を得ていくことが社会を変えていく課題解決のための一歩目になる。寄附を集めるための行動にこそ意味がある」と、山田さんは話されました。


●寄付・会費を集める為に
ポイント1:寄付者の気持ちになる!!

課題解決の共感+解決策への賛同×信頼=寄付しよう 
寄付者は「自分たちの活動や団体の理念や目的」と「寄付したお金がちゃんと有効に使ってもらえること」を重視して寄付先を選ぶそうです。
上の方程式を意識し、寄付者の気持ちになることが重要だということでした。

ポイント2:多彩なメニューを用意

オンラインで気軽に寄付が出来るものから、財団の助成など、様々な年代や趣向をもった方にアプローチをかけられるように多彩なメニューを用意すること。

ポイント3:受け入れ体制の整備
領収書の発行やお礼状を出すこと、寄付者の管理システムなど、受け入れ体制の整備を「必ずを行うこと。


●会員を拡大するためには
・共感・実利感・仲間感 
活動に共感させることと、ふるさと納税の返礼品など寄付者に実益を感じてもらう実利感、そしてコミュニティの仲間にしていくという仲間感が必要だということでした。またそういった寄付の継続率を上げるためにしっかりと寄付者にリマインドしていくこと。

・会員は団体のファンクラブ
ファン心理を大事に、きかっけとなる生理的な欲求から、仲間になった・感謝された⇒仲間として認められている、功績が認められている⇒団体を育ててきた、社会を変えられた、という様に会員の欲求を満たすように意識することも大切だということです。


最後には「まずはチャレンジして下さい。スタートすることで、自分たちの出来てる点・出来ていない点に気付けます。そして自分たちの活動を訴え顧客を獲得していく行為そのものが社会を変えようとし、意味のあるものになります」という、何よりもはじめの一歩を踏み出すことが資金調達には大切なことなのだという山田さんの言葉で講演は締めくくられました。



講演2:不可能を可能にするファンドレイジングとは?~不治の病を治る病にするアプローチから~



岩永さんが事務局長を務めるNPO法人日本IDDMネットワークは、1型糖尿病(インスリン依存型糖尿病、IDDM、小児期に発症することが多いため小児糖尿病とも呼ばれます)の患者や家族、医療機関、企業、行政等との連携を図りながら、患者や家族の心のケア等の活動を行っています。

1型糖尿病は、毎日数回のインスリン注射またはポンプ注入を生涯必要とする病気で、糖尿病患者の99%を占める2型(成人型)糖尿病とは原因も治療法も異なります。日本での年間発症率は10万人あたり1~2人と少なく、治療法の研究推進や病気の存在自体を知ってもらうことも大切な難病の一つです。

“インスリン補充が必須な患者とその家族一人ひとりが希望を持って生きられる社会を実現する。”
最終ゴールは“1型糖尿病を「治らない」病気から「治る」病気にする。”


というミッションを掲げ、「救う」「つなぐ」「解決する」の観点から精力的な活動を続けているということでした。



●「救う」
・発症直後の患者・家族へ“希望のバッグ”配布
究極の「救う」 プロジェクトとして、国内で毎年発症する患者(1000~2000人)へ発症初期に必要な情報を詰め込んだ「希望のバッグ」 無料で配布。
金銭的な負担はあるが、企業の協賛などを頂きながら継続しているということです。
また一般的な寄付よりも企業の方も理解しやすく協力がしやすいということもあったそうです。

・療養、生活に必要な本等を発行
 「救う」ための情報提供として「1型糖尿病 お役立ちマニュアル」シリーズを発行しました。現在ではピーク時からは売り上げも減少していることから、徐々に世間に1型糖尿病のことが浸透していっていることを実感しているということでした。


●「つなぐ」・・・患者・家族と企業、医療者、行政等をつなぐ
企業とNPOとの協働でカバヤ食品株式会社と当法人との協働事業”1型糖尿病の患者のためのジューC 事業”を実施し、第11回 日本パートナーシップ大賞 “グランプリ” を受賞されました。

その他にも岩永さんのご家族の体験談を元に一般社会への認知に向け絵本の発行も行っており、収益はすべて研究費の助成に当てています。
そして読み終えた本は全国の小児科・図書館等へ贈ってもらうように呼びかけ、更なる啓発に役立てているということでした。

また患者・家族(患者会)が主体となって寄付を集めて研究費助成を行うことは日本では極めて珍しいということでした。
そして、とにかく様々な主体(企業、医療者、行政等)を巻き込んで、互いの特性を活かした活動を展開していくことが大切なのだと岩永さんは話されました。


●「解決する」
・1型糖尿病を「治る病気」にするために研究費を助成
2005年8月に1型糖尿病の根治に向けた研究開発の促進・支援を目的に、1型糖尿病研究基金を設立。これまでに26件の課題に研究助成し合計8,500万円 の助成を行っています。(うち、6,500万円をH27年度に助成)
また研究助成した後、どのような成果を残したのか、専門用語や難しい言葉を使わずに、寄付者や患者家族に分かりやすく伝えるかということが課題だということでした。
上手く伝わらなければ次の資金の循環にも繋がらないということもあり、重要な課題なのだと実感しました。
日本IDDMネットワークの活動に限らず、どの団体の活動にも当てはまる課題なのではないでしょうか。


●佐賀県のふるさと納税の特徴
佐賀県では、「ふるさと納税」として寄付をする人が使途を指定することができます。その指定先は県の事業に限らずNPOでもいいという仕組みがあります。
注)指定されたNPO等の活動内容によっては、ご指定どおりに活用できない場合があります。

NPO指定の手順としては、
①佐賀県県民協働課に相談&申請
②指定される⇒寄付額の95%がNPOへ
という流れになっているということでした。

ただし、指定されれば自動的にお金が集まって来るのかと言えば決してそうではないと言います。
佐賀県が目指す「自発の地域づくり」を念頭に、自分たちの力で寄付を集める活動力や意識がないような団体には中々集まって来ないと岩永さんは話します。


●1型糖尿病根絶のための“ふるさと納税”チャレンジ
近年注目を集めている“ふるさと納税”。

今ではWEB上で全国の情報を確認出来て申込・決済も同時に行えるポータルサイトなどの普及により、更なる盛り上がりを見せています。
そんな中、平成26年度に日本IDDMネットワークでも、ふるさと納税ポータルサイト「ふるさとチョイス」に掲載を行った所、72日間で、422人の寄付者から10,252,500円、年間で、458件13,000,600円もの寄付を集めました。

27年度も別の研究支援で掲載を行ったところ、なんと年間で、2600件109,046,500円もの寄付を集めました。
ここでも岩永さんは、とにかく分かりやすく簡潔に、病気のこと・自分たちの活動のことを全く知らない人にも届きやすい説明文にすることを意識したということでした。事実、支援者の9割が病気の患者や患者家族ではない方々だったといいます。


●日本IDDMネットワークのお礼の品
お礼品は患者・家族とその知り合いなどの病気を理解して応援してくださる関わりのある人からの品物にこだわっているそうです。
寄付支援が成功していくに連れて提供者の皆さんのモチベーションも上がってきているということを実感しているそうで、またお礼品は地場産品なので地域振興にも繋がっているのだと岩永さんは話されました。

(27年度お礼品)
1型糖尿病の絵本(3巻セット)に加えて
○1万円以上のご寄付の場合
  ・1型糖尿病患者の患者・家族に関わる方々の佐賀の特産品(佐賀牛加工品等)11品
○3万円以上のご寄付の場合
  ・1型糖尿病患者の患者・家族に関わる方々の佐賀の特産品(伊万里の梨、ブドウ等)12品
○5万円以上のご寄付の場合
  ・1型糖尿病患者の患者・家族に関わる方々の佐賀の特産品(伊万里の農産物セット等)10品
○10万円以上のご寄付の場合
  ・1型糖尿病患者の患者・家族に関わる方々の佐賀の特産品(有田焼、農産物セット等)11品
○30万円以上のご寄付の場合
 ・1型糖尿病患者の患者・家族に関わる方々の佐賀の特産品(有田焼、名尾和紙)6品
○50万円以上のご寄付の場合
 ・1型糖尿病患者の患者・家族に関わる方々の佐賀の特産品(有田焼、名尾和紙)6品
 ・1型糖尿病「治らない」から「治る」-”不可能を可能にする”-を応援する100人委員に
○100万円以上のご寄付の場合
  ・1型糖尿病患者の患者・家族に関わる方々の佐賀の特産品(有田焼)4品+100人委員
○200万円以上のご寄付の場合
  ・1型糖尿病患者の患者・家族に関わる方々の佐賀の特産品(有田焼)7品※実績無+100人委員



●よせられた寄付者の声
寄付者の方からの声は活動を行う上ではとても励みになると岩永さんは話します。

「病気の子のお役に立てる機会を与えていただき、ありがとうございます。」
「このような支援に参加できるきっかけを作られているのが素晴らしいと思いました。」


上記の様に、寄付を頂いてお礼を返す立場でありながら逆に寄付の機会やきっかけに寄付者の方から感謝のお言葉を頂くこともあるそうです。

「佐賀県の素晴らしい取り組みを心から応援します。」
「貴県の取り組みに心から賛同します。未来のために知恵と汗を絞られる佐賀県をこれからも応援していきたいと思います。」

といった佐賀県の取り組みとして激励の言葉を頂くこともあり、県職員のモチベーションアップにも繋がっているのだということでした。


●認定NPO法人にとってふるさと納税は劇薬か?
日本IDDMネットワーク研究基金の平成27年度の寄付実績は下記の通りとなっています。

 ・平成27年度(2015年7月~2016年6月)の
  認定NPO法人日本IDDMネットワーク研究基金への寄付実績
     45,405,058円 = 過去最高(前年度比3.9倍)

 ・佐賀県への「日本IDDMネットワーク」指定ふるさと納税(寄付)
  平成27年度(2015年4月~2016年3月)109,046,500円

ふるさと納税を始める前、これまでの寄付実績が減るのではないかと懸念する声が多かったといいます。
しかし、結果としては前年度比3.9倍もの実績に繋がったことから、日本の寄付市場がまだまだ伸びていく市場なのだということを岩永さんは実感しているということでした。


●ふるさと納税(寄付)挑戦して気づいたこと


“ふるさとチョイス”に掲載し、ファンドレイジング(資金調達)が出来た事により、1型糖尿病の認知や啓発につながり、前述したように地場産業(有田焼、有明海産ノリ等)の振興にも繋がったのだと岩永さんは話します。
特に月間のPV数が1億PVにまで登るサイトに掲載したことにより、これまで1型糖尿病のことを知らなかった人へ向けた認知・啓発に大きな効果をもたらしたということでした。


●その他のファンドレイジング
その他にも日本IDDMネットワークでは様々なファンドレイジングを行っています。
中には失敗したものもあったということですが、掲載を開始したらとにかく徹底して周知することが大切だと岩永さんは話されました。

〇クラウドファンディング  
  ・寄付型クラウドファンディング“READYFOR Charity” 
    「注射を打つ毎日を変えたい。全ての糖尿病患者に移植のチャンスを」
    2016年4月26日~6月25日
  目標:2000万円⇒678万円(171人)決済に至らず!

〇不要なものを役立てる
  ・希望の本プロジェクト 
  ・書き損じハガキプロジェクト   

〇周りに働きかける
  ・希望の自動販売機プロジェクト 

〇サポーター企業と一緒に応援する
 ・gooddo(グッドゥ)で「応援する」&サポーター企業に 「いいね!」 
 ・研究推進寄付つき商品を購入

〇寄付をする
ノーモア注射マンスリーサポーター(1口1,000円、継続寄付)

3,000円以上の寄付(認定NPO法人であり続けるために)

オンライン寄付サイトGive One(ギブワン)

”かざして募金”(ソフトバンク社、携帯で寄付)

・遺贈によるご寄付
遺言によりご自身の財産を寄付することができます。日本IDDMネットワークでも1型糖尿病を ”治る”病気にするための研究費助成に活用するために遺贈によるご寄付を承っております。

また現在は、いま最も可能性が高い根治手法“バイオ人工膵島移植”などのプロジェクトを重視したファンドレイジングも進行しています。

今後は5年以内に10億円規模のNPOへと成長させることが目標だと話す岩永さん。
そして、2025年には1型糖尿病の“根治”を実現するためにこれからも活動を行っていくということでした。

★認定特定非営利活動法人日本IDDMネットワークのファンドレイジングメニューは下記URLからもご覧いただけます。
Web上で簡単に出来るものもありますので是非ともご参加下さい。
http://japan-iddm.net/giving-a/ 




ご参加頂いた皆様からは、

「資金調達の全体像がわかり、良かったです。」

「資金を調達する←自分自身何か漠然とした気持ちで参加させて頂きましたが、何かをやる為の人づくりがいかに大事かといった事が認識させられました。」

「寄付の可能性の大きさを知ることができました。自団体の情報発信の重要性、お礼の仕組み構築をすることの大切さなどを理解することができました。」


といったご感想をいただきました!


山田さんのファンドレイジングの基礎知識に関する講演と、岩永さんの日本IDDMネットワークの実践事例を通した講演、そして佐賀県ならではの取り組みについてもお話し頂きましたが、
やり方や大切にしているポイントなどは、場所や内容、民間や行政などに関係なく実践できることが多く、参加者の皆様にとっても学びの多い研修会になったのではないかと感じました。


参加していただいた皆様、そして講師の山田さん、岩永さん本当にありがとうございました!
  

Posted by みやざきNPO・協働支援センター at 19:33Comments(0)イベント報告

2016年03月13日

「ヒムカレッジ2015 vol.6 やもりが地域を元気にする!」開催しました!


2月13日(土)に、都城市中心市街地タウンマネージャーの二宮啓市さんをお招きし、
今年度最後となるヒムカレッジを開催いたしました!



□講師紹介
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二宮 啓市(ニノミヤ ケイイチ)
都城市中心市街地タウンマネージャー

約 17 年間、総合建設会社に勤め営業職として大規模再開発等に従事し、不動産管理や地 権者の対応、事務手続き等を行う。その後、商業施設の管理運営・都市開発コンサル業にて新規創業し、商業ビルの管理や販売促進イベントに取り組む。また、北九州街づくり応援団㈱にて、エリアマネージャーとして、低未利用地や空きビルの有効活用について相談・提案業務を担当し、約5年間で7件の空きビル再生を行う。一方で、リノベーションまちづくり(北九州で積極的な取り組みが進む、既存ストックを活用した民間主導のまちづくりの手法)を学ぶ「リノベーションスクール」のスタッフとしても活動している。
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当日は、地域づくりに関わる方・社会人の方や学生の方など幅広い年代層の19名の方々にご参加いただきました。
人口推移から見るまちが抱える問題や空き家問題の話から、江戸時代の町人自治からはじまる家守という職能についてのお話、
そして宮崎で家守をソーシャルサービス/ビジネスとして活用する事業の提案などをご講演いただきました!



○今ある建物や、今空いているお店は空間資源
北九州で様々な空きビルの再生を手掛けてきた二宮さん。
小倉の商店街にあり元々は証券会社だったビルは、天井が高い特性を活かしてボルダリングのジムを作りました。2店目のオープンも決まり売り上げも好調だそうです。
また別の4階建ての空きビルでは、「一棟まるごとでしか貸さない」という条件があった為、自分たちでビルの管理会社を作って各フロアにテナントを入れる工夫を施して空きビル再生につなげました。
不動産屋が管理に手が回っていないビルが多い中、このようにビルの管理を行っていくことが現代版の家守の役割だということでした。



○人口問題
全国的に駐車場と空き家だらけになってしまった商店街が増えています。
その原因として人口構成が変化したという事があるといいます。
人口が減り今まで必要だった施設が要らなくなり、中心市街地が衰退し、公共施設が遊休化したことなどにより空き家や空きビルが増えたということでした。
その街の特性や地域性に合ったまちづくりが行われてこなかったという問題もあると二宮さんは話されました。

○全住宅の15%は空き家
年間90万戸の家が新たに建てられる一方で、年間に63万戸もの空き家が増えている現状があるといいます。また独居老人が増えている現状などもあり、更に空き家の数は増えていくということでした。
商店街でも後継者不足などもあり空き店舗も更に増えていくということでした。


○空き家の問題
家屋全体の傾きや屋根・外壁の剥離、設備・門・塀の老朽化などで倒壊や飛散による被害や、不法投棄や景観上の悪影響など空き家には多くの問題があるということでした。

このような空き家の増加には、前述した人口減少の問題をはじめ、核家族化の進行(高齢者の単身世帯の増加)、介護施設の利用者の増加や新築ニーズの高さ、建物があると固定資産税が安い、解体費用の負担、自分の育った/買った家を壊したくないという心情的な理由などが原因だと二宮さんは話されました。


○江戸時代の町人自治
50万人の武士と50万人の町人が住んでいた江戸。町人は土地の私有が認められており長屋を建てその中に住んでいたといいます。その長屋を管理していたのが家守でした。

江戸時代の町人自治を行っていた町年寄、名主、地主、そして家守。
約二万人いたという家守は地主に雇われ不在の地主に代わって土地を管理していたそうです。今で言うインフラの整備も家守が段取りして行っていたそうです。


○家守で空き家対策を
空き家をビジネスに変えている事例は全国的にも増えてきているといいます。

「一般財団法人世田谷トラストまちづくり」では「地域共生のいえ」として空き家やビルの一部をタダで借り、市民の集会所や学童保育の場所にするなどの活用を行っています。
参考URL:http://www.setagayatm.or.jp/trust/support/akiya/index.html

奈良にある「特定非営利活動法人 空き家コンシェルジュ」では空き家や空き物件の定期的な巡回を行い維持管理をし建物所有者と行政や地域自治体との橋渡しなどを行っています。
参考URL:http://www.akiyaconcierge.com/

また北九州の「つわぶき会」は「放置されている空き家を減らし、高齢者の生きがいにつながるような取り組みができないか」という発想から始まりました。60~70代の会員は、ルートを変えながら毎日欠かさず散歩を続け、空き家を見つけると、不動産屋に連絡し、空き家バンクに登録する活動が行われています。
そしてこのコミュニティを活用した空き家の見守り活動は現代版の家守として、
宮崎でもソーシャルビジネスとして成り立つのではないかと二宮さんは話されました。

※空き家バンクとは?
空き家をお持ちの方が売却・賃貸を希望する物件の情報を登録し、空き家の購入・賃借を希望する方へ提供する制度のこと。


○宮崎で家守事業を
県内では、日南市・日向市・串間市・西都市・えびの市・木城町・日之影町・五ヶ瀬町・小林市・高原町・国富町に空き家バンクがあり、全体で7万3千戸の空き家が存在するということでした。
そして総住宅戸数に占める空き家戸数も13.9%と全国的にも高い(全国平均13.5%)ということでした。

このような数値の高さからも宮崎での空き家事業は成り立ちやすいのではないかと二宮さんは話します。
また来年から相談窓口が出来るということもあり今まさに求められている事業だと感じました。

そして宮崎でも、空き家の多い中産間地域に高齢者が集中しているという問題も、
地元の事を良く知る高齢者が家守事業に参加することで、大手の企業が行うよりも決め細やかなサービスが提供でき、
ビジネスとしての利点に転換することが出来るのだということでした。

★ワークショップ
ワークショップでは、グループ内での自己紹介から始まり、「講演会で、どんな学びや気づきがありましたか?」というテーマで話し合って頂き、二宮さんへの質問を考えていただきました。



質疑応答では、
「2020年の東京五輪、2026年の宮崎国体に合わせた空き家を活用した事業などを行う為のヒントを知りたい」質問に対して二宮さんは
「まず観光として50km間隔で自転車のコースを整備して民泊体験出来る様なツアーを組む。そういいった宿泊施設に空き家を利用する。また外国人観光客向けのゲストハウスとして利用していくのもいいのでは」とコメントされていました。




ご参加頂いた皆様からは、
「空き家の抱える課題を感じました。将来の宮崎の為にも何か役立てるヒントを得られました。」
「首都圏から宮崎にUターンして仕事を自営でしています。旧い民家が好きで探していますが、適当な家がなく困ってました。今回こんなに沢山の空き家があるのを知り、有効活用の為ビジネス化できるのではと再認識しました。」
「貴重なお話やプロジェクトの詳細をお聞きできて良かったです。志だけでなくちゃんと事業化するという点がすごく響きました。ありがとうございました。」

といったご感想をいただきました!


質疑応答の中では最後に「考現学」についてのお話しが。
はるか昔の土器などを見て古を考えるのが考古学に対して、現在を見てまちの変わりようを見て未来を考えるのが考現学。




「とにかく時間があったら自分たちのまちを歩いてみましょう。
町の変化を感じてその先にあるものを考えてみましょう。」


今回のテーマでもあった家守をはじめ、様々な地域の活性化に繋げるための事業や活動がありますが、自分たちの町の変化を実際に体感することが地域の現在と未来を考えるきっかけになるという二宮さんの言葉が強く心に残りました。

また宮崎でも商店街の空き店舗や中山間地域の空き家増加などの問題が多くありますが、
その「問題」を上手く利活用することで、地域の活性化に繋がる事業や活動に転換すること出来るのではないかと感じた今回のヒムカレッジとなりました。


参加していただいた皆様、そして講師の二宮さん、本当にありがとうございました!


そして今回で今年度のヒムカレッジは最後となりました。
これまでのヒムカレッジに参加していただいた皆様、講師の皆様に深く御礼申し上げます。

嬉しいことに今年度開催したヒムカレッジがきっかけで実際に新たな事業や活動が展開して行ったというお声を頂くことがありました。

また私達、運営側も講師の方のお話やワークでの参加者の皆様の話し合いやアンケートなどを通して新しい学びや気付きを得ることが出来ました。
今後も皆様からのご意見をもとにより一層良い学びの場になるよう務めて参ります。
本当にありがとうござました。

次年度の詳細につきましては決定次第、こちらのブログやfacebookページなどでお知らせいたしますので、
また次年度もどうぞよろしくお願いいたします!
  

Posted by みやざきNPO・協働支援センター at 16:30Comments(0)イベント報告

2016年02月07日

地域版ヒムカレッジ in 高原 開催しました!


平成28年1月23日(土)高原町にて、サンワード・ラボ株式会社 代表取締役/「宮崎てげてげ通信」会長の長友まさ美さんをお招きし、『みんなで「ふるさとの宝」を掘り起こそう。』と題して地域版ヒムカレッジを開催いたしました!



□講師紹介
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長友まさ美

サンワード・ラボ株式会社 代表取締役
「宮崎てげてげ通信」会長

起業から5 年間で延べ400 人以上、2000 時間以上のセッション
を行い、クライアントは、経営者、起業家、アーティスト、政治家、教師、会社員、同業のコーチ等、多岐にわたる。
「経営もスタッフもいきいきと幸せにはたらく会社づくり」を
テーマに企業研修、チームビルディング等を実施。その活動は、宮崎県内にとどまらず、日本全国に広がる。
また、人材育成、組織開発の手法を地域づくりにも活かし、キーパーソン育成、新商品開発WS、まちづくりWS などを開催。
日本一のローカルウェブメディア「宮崎てげてげ通信」会長で
もある。9月に開催したヒムカレッジvol.3にもご登壇いただき大好評を博した。()

「サンワード・ラボ株式会社」(http://sunward-lab.com/

「宮崎てげてげ通信」(http://visit.miyazaki.jp/
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昨年9月に開催した「ヒムカレッジ2015 vol.3 テゲツー!から学ぶ『モチベーションアップのコツ』」でも参加者の皆さんからご好評頂いた長友まさ美さんを講師に高原町で開催した今回の地域版ヒムカレッジ。

地元の方々を始め、高原町役場の職員の皆さん、また宮崎市内から来て頂いた方など、24名の方々にご参加いただきました!



○今日が高原の未来に繋がる時間に

宮崎を魅力的で若い人がチャレンジできる町にしていきたい
そんな想いをもって活動している宮崎てげてげ通信。

宮崎県の魅力を伝える地元メディアとしての活動に加え、
東京での移住・定住イベントの開催、情報発信の方法について学ぶ「テゲツー寺子屋」など、その活動は多岐に渡ります。


6年前に宮崎に帰って来た長友さん。
周りからは「何でこんな何もないところに帰って来たと?」と言われたり、
県外で仕事をしていると、決まって「マンゴーの所ね」と言われていたそうです。

その時に「宮崎にはまだまだ色んな魅力がいっぱいある」と感じていたことから、
NPO法人まちづくりギフトの斉藤潤一さんと共にテゲツーの前身となる宮崎通信を始め、今日までの活動に繋がっていきました。

徐々に仲間も増えていく中で、
まずは何事も1人~多くても3人ぐらいで小さく始めて行くことが大事だと長友さんは話します。
大きなビジョンを描くことも大事だが、
「お金がない・人が足りない」とないものを上げて挫折していくよりも、
小さくても自分たちがやれる身の丈に合ったことからスタートして、
走りながら考えて行くこと
が重要だということでした。

○情報発信 ワーク①


ここで最初のワークへ。
はじめましての人同士で2人1組になり、
自分が大好きなもの・こと(何でもいい)について相手が興味をもつように片方の人に紹介するということをやって頂きました。

皆さん身振り手振りを大きくしたりと、どうすれば相手に伝わるのかを模索しながら取り組んでいただきました。
そして情報発信においてもどうすれば相手に伝わるのかを模索することが大切だということでした。

○WEB+リアルな場づくり
テゲツーは主にWEBでの情報発信を行っていますが、
リアルな場づくりも大切にしているといいます。

前述した東京での移住・定住イベントの開催や県内外の講師を招いて開催する寺子屋形式のセミナー「テゲツー寺子屋」の様に、
人との接点を直接持ち関係性を作っていく場も大切だと長友さんは話されました。


○幕の内弁当になるな!


AKB48のプロデューサーとして知られる作詞家の秋本康さんが言った
「幕の内弁当になるな!」
という言葉を大事にしていると話す長友さん。
あれもこれも詰めるのではく、自分たちの強みに特化していくことが活動を行う中で重要視しているということでした。


○地域の事は地域の人に聞く


実は講座の前に高原町役場の中武さんに高原町のオススメスポットをアテンドして頂いていました。そこで今まで知らなかった高原の魅力を発見したと話す長友さん。
(その時見つけた魅力はテゲツーにもアップされています!西諸県地方限定。厄払いにもなる鮮やかな飾り物「めのもち」-高原町)http://visit.miyazaki.jp/?p=36136


同行した私達スタッフも天逆鉾などの一般的に有名な高原の観光スポットではなく観光情報誌やWEBサイトには載らないような知られざる魅力を見つけました。

実際にその地域に行ってその地域の人に会って話すことで、
今まで知らなかった魅力を引き出す事が出来る。
そして同時にそんな魅力を紹介できる中武さんのような人がいることも、
その地域の魅力の一つなのだと話されました。


また自分自身の伝えたいことと同じくらい、
受け手が知りたい情報やニーズを調べることも大切だということでした。

○質疑応答


質疑応答の時間では、
「地域の人から魅力を上手く引き出すアプローチの仕方を知りたい」という質問に対して、長友さんは「その土地で愛を持っている人との出会いを大切にすること」「その地域に対して3歳ぐらいの子供のように先入観を持たずに何にでも好奇心を持つこと」と答えられていました。
また「移住者が移住を決める決定的な要素は何が多いのか知りたい」という質問に対しては、「この人がいるから住もうとか、この人が勧めるから住もうだとか、キーマンになる人が魅力になっていることが多い」と答えられていました。



○高原町にあなたはどのくらい興味がありますか?

そして後半は実践的なワークショップへ。



机・イスを離し参加者に体を動かしてもらいながらスタート。

「高原町にあなたはどのくらい興味がありますか?」という質問が書かれた紙が会場の中心に置かれ、
興味が大きい人では中心に近づいてもらい、あまり・・・だという人は中心から離れた場所に移動してもらいました。

その後も「あなたは高原町のためにどのくらい行動を起こしたいですか?」「あなたは高原町のために行動を起こしていますか?」といった質問に答えていただきました。

そして近くにいる人と3人一組になって、先ほどのワークの振り返りを行っていただきました。
「高原は美しい景観や有水や花があるのでもっと広めていきたいと改めて感じた」などといった感想をいただきました。


○高原の魅力を伝えるアイデア
休憩を挟みグループワークへ。




まずはそれぞれワークショップ用のシートに、高原の魅力を伝えるため、自分のやっている活動などでアイデアが欲しいと思うテーマ・課題を書いていただきました。

次に自分でそのテーマ・課題に対するアイデアを3つ書きました。
その後は時計回りで隣の人に順番に回していき、グループの人にアイデアを3つずつ書いて頂きました。

現実的、非現実的、とにかく何でもいいので、思いついたことは必ず3つ書いて頂きました。

全員に書いてもらったら、その中でもいいなと思えるものをそれぞれ3つ選びました。

○高原のお宝を掘り下げる
そして次に全体で参加者の中から5つのテーマを絞り、そのテーマについて掘り下げたいと思った所に移動してもらい、それぞれのテーマでグループワークを行っていただきました。

「高原に水のテーマパークを作りたい」
「日本発祥地祭りで高原をPRしたい」
など、バリエーション豊かなテーマが並びました。


まずはテーマを決めた人に「なぜそれをやりたいのか」を話してもらい、
聴いている人たちは模造紙をメモ帳として、キーワードと感じた言葉などを書いて頂きました。

次にそのテーマが「実現した時の最高の未来」をグループで話し合いながら模造紙に落としこんでいただきました。また「何があると、どんなことが出来ると、その未来に近づけるのか」についても話しあってもらいました。

そして、最後にテーマを設定した人はワークを通して、
「今チャレンジできること」を書いていただき、
そのほかのグループの人はその人に対してサポーターとなり
「追い風を送れること」
を書いていただきグループ内で発表していただきました。




自分の頭の中だけは、うまく引き出せていなかった想いやアイデアをが今回のグループワークを通して、新たな気づきを得たと感じている方が多くいらっしゃいました。

また自分では当たり前だと思っていたことやものが、
他の人からみると実はお宝だと感じるものだったりと、今回のワークショップの面白さを強く感じました。



ご参加頂いた皆様からは、
「高原のことをみんな一生懸命に考えている事、良いところを他の人たちがわかっていることなどを知りました。」
「同じテーマで地域の宝を発掘していこうとする時に、追い風を送って応援しくれる方が意外に多いことがわかった。得られるアイデアの中でも自ら新たな気づきがあった。」
「講座の中での気づき、発見の他、長友さんのワークショップの進め方も大変参考になりました。ありがとうございました。」
「人の眠っている熱を引きあげられる素敵なセミナーでした。」

といったご感想をいただきました!

最後のワークでもあったように、今回のヒムカレッジを通して、
地域のお宝に気づき、その地域の人を巻き込みながらお宝(魅力)を発信していくような、
「追い風」を参加者の皆さんに送れていたら嬉しいなと感じた今回のヒムカレッジとなりました。

参加していただいた皆様、そして講師の長友さん、本当にありがとうございました!
  

Posted by みやざきNPO・協働支援センター at 14:02Comments(0)イベント報告