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2018年04月04日

ヒムカレッジ vol.4『油津応援団社長 黒田泰裕氏が語る 地域の活性化の秘訣とは。』開催しました

2018年1月24日(水)に油津応援団 代表取締役社長 黒田泰裕氏をお招きしてヒムカレッジ vol.4『油津商店街の今昔を知る仕掛け人 油津応援団社長 黒田泰裕氏が語る 地域の活性化の秘訣とは。』を開催しました。

□講師紹介
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黒田 泰裕氏(株式会社 油津応援団 代表取締役)

1953 年日南市出身。株式会社油津応援団代表取締役。日南市中心部の油津商店街を再生に導いた立役者の一人。
1978 年大学卒業後、日南商工会議所に入所。2012 年同所事務局長を経て、2014 年に油津の中心市街活性化事業のため、木藤亮太サポートマネージャーと村岡浩司氏3 人で(株) 油津応援団を組織。2016 年に同社代表取締役に就任。中小企業診断士保有。
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飫肥の食べ歩き・町歩きマップやカツオ炙り重の仕掛け人でもある黒田氏が、どういう思いで、そしてどのように油津商店街の活性化にどのように関わって来たか、そしてい今、地域で求められている商店街とはどんな商店街かを熱く語って頂きました。




◆日南市中心市街地活性化基本計画
 日南市は人口が徐々に減少し、油津商店街は、量販店が撤退する等衰退し、猫もあるかない商店街とも言われていてさびれていました。
 そんな中、日南に街の顔を作らなくてはと言う事で、日南市中心市街地活性化基本計画で油津が選ばれました。
52の事業の中で民間が取組む事業は2事業しかありませんでした。このテナントミックスサポート事業と、複合機能ビル立体駐車場整備事業です。この2つの事業のうちテナントミックスサポートいう事業を我々油津応援団が担ってきました。

◆月額90万の男をサポートする組織
月額90万円のテナントミックスサポートマネージャーに選ばれたのは福岡県の出身の木藤亮太さん。全国から333人の応募がありその中から9人が選ばれ、プレゼンで最終的に選ばれたのが木藤亮太さん。全国からも注目されており、みのもんたの番組では、衰退する日南市の商店街を活性化する請負人が選ばれたと紹介されましたが、揶揄するような表現で面白おかしく取り上げられていました。
そういう中で木藤君も頑張って来ました。四年間のうちに20店舗、商店街の中に誘致しなさいというのが彼のミッションでした。しかし見ていただいた通り商店街の中に借入をして店舗をオープンしようという人はなかなかいないわけです。困難なわけです。そのために彼を応援しようとする組織としてこの株式会社油津応援団というのができました。


◆油津応援団の立ち上げ
 油津応援団は、当初木藤君、村岡さん、そして私の3人で立ち上げました。村岡さんがなぜ、ここにいるのかといいますと、実はこのテナントミックスサポートマネージャーを募集して選ばれる時の審査委員の一人としてお願いをし快く引き受けていただき、油津応援団を作るときも村岡さんに頼んで一緒に会社をやってくれと、後で説明しますがカフェを運営するのが油津応援歌の一軒目の店だったんので、彼のタリーズとか色々やっているのでカフェ経営をされていらっしゃるので一緒にやってくれということになりました。

 あえて誰も歩いていない状況の中で記者会見をしました、私たちはこの時に、30万、30万、30万と合わせて90万円で会社を作りました。今から喫茶店をリノベーションしていくということでみんな非常に表情が暗いですね。今から将来に向けて街づくりをやるぞ!という明るさがなかったですね。これをインターネットで中継したものですからいろんなところで叩かれました。あの3人はおかしいんじゃないかとか、何を考えているんだとボロッカスに叩かれしまてしまいました。


油津応援団を立ち上げたのは2014年3月ですから、もうかれこれ4年前です。しかし90万で動き出したこの小さな会社が、今は44人が出資し1600万円を超える会社になっています。今1800万近くなりました。何でそんなになったかと言うとはっきり言って僕の顔ですね(笑)、商工会議所の事務局長していたと言うのが大きなバックボーンとなって、いろんなところを回って「今こそあなた私の出番ですと言って出資をして街づくりに貢献して下さい」と、そういう風にお願いしました。

ある会社の方が来まして、「黒田君とか木藤君がやっていることは最初胡散臭いと思っていたけど一生懸命やっているので、俺も応援するわ。どんな応援すればいいか」と言われたので「ここで飲んで食べてくれればそれで立派な応援になります。」「いや、俺はもっとなんかしたい。」「じゃあ、出資する、一口10万ですよ。10万する?」と言ったら「よしするわ」と。次の振り込まれたのを確認したら100万円でした。「あのちょっと間違っちゃないとか」と言ったら「いくらはいっちょった?」「ん~10万じゃった」と、実は100万円でしたけど。そういう人もいます。
今スタッフが3名、6名油津コーヒーは主婦とかいるんですけれども。この頃、非常に志だけは高くて「よりプロフェッショナル、より地域密着に、より継続的に的を絞れ、迅速に動き事業を仕掛けていく組織だ」と、たった90万しかない会社が言うことだけは大きかったですね。

最初は村岡さんに社長してもらって僕と木藤君が取締役でスタートしました。こういう3人の役員とこれがオニツカジュンゾウと言いますが設計士ですね。彼はこの後日南市の進出するITの会社の設計を殆どすることになりました。鈴木は公認会計士でヨッテンというオペレーションをしてくれています。加藤は農協の出身です。非常にそう言った関係が強くて、今コンテナとか油津食堂とかいろんな現場回りしています。今からが油津商店街の第一歩になります。


◆最初の一歩 アブラツコーヒー 
 こういう喫茶店がありました。麦わら帽子。古くはなっているけど、非常に趣のある昭和の名残を十分残した喫茶店です。15年間もクローズしていたので床も天井も厨房ずいぶん大変な状況でした。油津応援団としてこれを内装リノベーションしていくわけですが、見積もりが1000万を超えました。ここで悩むんですが1000万、そこまでやる必要があるかなと90万の会社が自ずといくら借りないかといけないかが分かります。出資を集めて800万借り入れすることになりました。
 
リノベーションの工事が始まります。飫肥杉をふんだんに使っていくデザインとなりました。アブラツコーヒーをデザインしたのは北九州の田村君という若い設計士です。設計デザインだけは凝るということ、これが油津のスタイルになるわけです。予算の都合、時間の都合もあっていろんな方に手伝っていただきました。壁塗りも子供達も来てくれて一生懸命皆で磨いてくれました。

そして2014年の4月30日、あの麦わら帽子はアブラツコーヒーという名前で再稼働をすることになりました。お客様は先にお金を払って注文し、お水もセルフでしていただく形にしたんですが、オープンした当初は、地域のおばちゃん達はえ~と思うわけですね。何で水運んでくれんと、こんな感じですだからずっと半年はトラブルトラブルでした。
しかしだんだんそういったことが定着をしてきます。座っていただくと分かるんですが隣があんまり見えないんで、非常に落ち着きます。パソコンで仕事もできます。若い家族にとっては九州パンケーキを食べながらくつろいで下さいと。リフォームではなくて新たな価値をリノベーション取り入れているということです。

オープン当初かなり話題性もあって売上が上がりました。しかし半年もすると売上が減少しています。この一年間は我々にとっては、非常に苦しい時代でした。油津のヨッテンがオープンすると同時に人の流れも増えてきての赤字だったのが利益をずっと出すようになってきました。
利益がでるとアブラツコーヒーが変わっていき、自分たちがメニューをどんどん作っていくようになりました。ランチのメニューを1ヶ月交代で作るようになりましたし、シフトも自分たちで考えるようになりました。つまり油津コーヒーはお店が新しくなっただけではなく、中で働く人たちも少しずつ進化していく、変わっていくそういう風になってきました。


◆2番目のお店 二代目湯浅豆腐店

そして2件目、アブラツコーヒーの隣に呉服屋さんがありました。数十年続いたお店ですけど、残念ながら衰退とともにここもお店を閉じられました。
豆腐屋さんがあそこでランチのお店をしたい、しかし自分達は全然経験がないので手伝ってほしいということ依頼が油津応援団にありました。油津応援団でデザイン、設計施工メニュー作りもお手伝いをすることになりました。高校の栄養士の先生にメニュー作りをお願いし、カロリー計算からできるだけ手作りの豆腐の良さを考えるメニューを考えていただきました。非常にヘルシーで女性には好まれる豆腐屋さんのランチになります。
ご主人は60になられましたが「なんで、湯浅さんは商店街のあんなところにお店を出したの」と、「やっぱりアブラツコーヒー、そして油津応援団が頑張ってる時に俺もなんかやっぱり手伝いたかった。人から見たら馬鹿に見えるかもしれんが俺は絶対成功して若い奴らが続くように頑張る」と言ってくれました。非常に涙が出るほど嬉しく思いました。

◆ヨッテンの立ち上げ
 ヨッテンの前身の量販店をどうするか、設計デザインを全国から募集し、応募数78点の中から選ばれたのが、福井県のミズカミテツヤ君と言う30歳の若い個人の設計事務所。量販店の屋根を取り中庭を作り、交流施設と屋台村を作るというアイデアはミズカミ君だけでした。「庭を作るの、商店街に?」と言う、彼のデザインは優れていたなと。
 金額は、1億5千万円。経産省のまちづくり交付金9000万円、日南市から3000万円、残りの3千万円は借入をしました。今もしています。100分の100はない。必ず自己負担が出る。できるだけそれを抑えるのにどうすればよいかと言うと、知恵を出さないとだめですよね、それと3千万円借り入れする覚悟があるのか、リスクを負うと言う気持ちがここで問われるんです。僕も、木藤も馬鹿なんで、とすぐやりました。そこが馬鹿な奴と利口な奴の分かれ目ですね。
 2015年5月起工式が行われました。僕は商工会議所にいたのでこういった建築物というのはできるだけ地元の業者を使いたいなと思います。ただデザインだけは、本当に良いデザインが欲しいので全国から公募をかけて選ばせていただきました。ただ仕事はきっちり地元の業者さんにお願いをするとこれも入札にしまして決めました。そして2015年11月にいよいよオープンしました。
 ヨッテンという交流施設は、セミナー、ファッションショー、セレモニー、会議、懇親会等々に使われています。日本青年会議所宮崎ブロック大会が300人規模で行われました。キンカンの初出荷に合わせてキンカンヌーボーも行われました。
それと油津カープ館。ここにはカープが日南で56年キャンプをしている歴史があります。黒田博樹15番のスパイクもあります。これは私と同じ苗字で私の長男がひろきで、黒田選手のお母さんがやすこ、私の妻がやすこというつながりで、球団の人が面白がって連れてきてご飯を食べに来るようになったのがきっかけで、わたしにプレゼントしてくれたものです。
そして商店街の空き地には、6つのコンテナを作りスイーツとか女性向けのお店が入っています。油津港には年には二十数回客船がはいり、そのお客様もこの商店街を利用されています。

◆今、街に必要なものとは?
 今、街に必要なものは何でしょうか。それは繋ぎ場、溜まり場ではないでしょうか。2011年の3.11、あれを起点にして日本人は何か変って来たんじゃないかと思います。若者は有名な大学を出て、大企業に入るそれだけではなくて、 やりがいのあるNPOで仕事をしたい、やりがいのあることをやりたいという人たちに変わっています。彼らをどうやって受け入れて一緒に手を携えて街づくりをやっていくことができるんだろうかということが一つ。
もう一つはカフェ化した街。カフェで仕事をしたり、読書をしたり、数時間いる人もいますが、家でもない会社でもない第三の場所、サードプレイス、溜まり場ではないかと思います。
油津商店街のたまり場は何か?ヨッテンというのがあってパーティーがある時には油津食堂から食べ物を取って食べるも事ができます。集まったり語ったり、飲んだりいろんなことをする溜まり場がそこにできています。溜まり場というところには人が集まるところに人が来ます。夢を見られる場所に人は来ます。いいものがある場所に人は集まります。安心で安全な快適な場所に人は集まります。自分のためになる場所に人集まります。自分を認める場所に人は集まります。つまりこうでないとないところには人は集まらないわけですね。こういうところを作れば人は集まります。今、町中に必要なものは溜まり場です。量販店が進出しても景気が悪くなると撤退する、そうなると、今の商店街がおかしくなっているのはまさにそのことなんです。今、商店街が必要なことは何かもう一回ちゃんと考えてみればわかるはずです。
日南市では、人口が一人減った場合だいたい124万支出が減ると言われています。日南市は今年間700人、人口が減っています。これが年間1000人単位で減っている地域にとっては年間1億から10億の消費額が消えていくわけです。商店街にスーパーできたから自分のお店の売り上げが下がって来たのではなく、スーパーが出てこなくても早かれ遅かれ、そのお店は売り上げが下がってくるのです。

◆ITの会社の進出~地元のゆかりの方の出店
ITの会社の受け入れを進めたのは田鹿マーケティング専門官。「東京では人事も集まらなくなっていて、地方に人材を求めているのに、何故宮崎ではなく、日南なのでしょうか」と進出してきた社長さんに聞くと、「なぜかと言うと対応が早いということです。他の自治体であれば1ヶ月かかるところが日南市では2、3日で済んでしまいます。トップが若くなったことによってまるでベンチャー 、IT会社みたいな感じです」と。IT会社の壁塗りも市民がみんな手伝ってやっています。IT企業と趣味の交流会も商店街でやっています。
 そして、鉄板焼きのタオ、雑貨店、たこ焼きビリケン、3Dプリンターの河宋本店、海鮮の店和さび等日南出身やゆかりのある方々が出店し、結果4年間で目標の20店舗を大きく上回り、29店舗を超えるお店がオープンしました。


◆油津商店街のアイドル

 日南には、ボニートボニートというアイドルグループがあります。日南ではカツオの産地で英語でカツオの事をボニーと言います。だからボニートボニートと言うネーミングになりました。もっと油津商店街を知ってほしい、油津の町が元気になってもらいたいと言う思いで発足しました。油津の応援団なんです。年間70ステージをこなし秋葉原にも行きました。ギャラは貰わずCDを買ってもらっています。またボニートボニートに入らない幼稚園の子供たちがマゴチ、男の子隊のグループがハニーブラザースというアイドルグループもあります。

◆大学生が無借金でゲストハウスを無借金で作る
 名古屋大学の奥田君がゲストハウスを作りました。1000万円を借入なしで。どういうふうに集めたかと言うと、まずは個人出資、そして銀行のキャピタル、銀行が出資してくれました。大手の出資、そして私も奥田君の事を信じて出資しました。ふつう借入なしで1000万円ってあり得ないですよね。それができるんですね。

◆持続可能な商店街づくり
 持続可能な商店街作りってなんだろうねというとこなんですけど、まず街の応援団を集めます。そして市民を巻き込む店作り、壁を塗っていただいたり出資をして頂いたりでまちをプロデュースする人材育成、僕らが今一番取り組もうと思っているのはコレですね。
今はもう油津商店街ではないねと言われています。なぜかと言うと食堂があったり保育園ができたり、ITが企業が出てきたり、ゲストハウスがあったり、そういう商店街て今までなかったと言われてます。いわゆるこれが商店街ではなくて町なかではないかと言われていますが、まだ分かりません。
これから5年先どう変わっていくかまだ分かりません。そのためには今、町をプロデュースする人材が必要です。あそこまで変わってきた街をもっと変えていく人が必要です。常に進化をしていていつもあの街は変わっているね、面白いね、と言われるような街にしていかなければいけません。

◆安倍首相の会見

去年の12月19日の共同通信社記者会見で安倍首相が油津商店街について言及しました。油津商店街は29の会社と店が出店してそしてきんかんヌーボーとか楽しいことをみんなやっている。そういうワクワクするような空気感が、そのワクワク感こそが地域創生の鍵であると私は考える。と時間にして結構喋っておられました。安倍首相は油津に来たことはないけれども、誰かから聞いてこれは地域創生の鍵だということをずっと語っていただきました。他にもビルができて病院が入ったりしてます。立体駐車場もできました。コトコトことという子育て支援センターもできました。今過去の常識が常識でなくなっている、今日南で起こっていることは数年後には常識になるのだろうと思います。

◆油津応援団の仕事
 油津応援団の仕事を初会します。アブラツコーヒーの運営、ヨッテンの管理、食堂とかコンテナの管理を行っています。店舗事務所の設計施工もします。北郷道の駅のコーディネーター、各自治体のコンサルもやっています。九州電力の宮崎支社1階ロビーの利活用についてもコンサルティングを行い、ベルエポックさんに委託して、カフェレストラン ビオカフェを運営していただいています。


◆今地域で求められている商店街とは

 今地域で求められている商店街とは何だろうと、地域性、社会性、貢献、一番大事なのは貢献だと思っています。その商店街というのは、例えば油津商店街というのは日南市の中ではどういう意味のある商店街なんだろうねと。意味がなければなくなるだけのことなんですからね。
商店街はお客様に来て頂いて買ってもらうだけでなくて何か貢献をしているのかとその街に対して、これが大事です。商店街のための商店街の時代はもう間違いなく終わっています。商店街、もっと考えないといけないことは地域、まちづくり。その地域の子どもたち、お年寄りにどう商店街が向き合ってやっていくかということだと思います。簡単なことではないでしょう。やはり商店街も生きていかなくちゃいけないし、売上を伸ばさなきゃいけないけど、自分のことだけを考えているのではなくて、街のためにとかいろんな人のために動く、だからこそ、そこに人はついてくる、応援団はついてくる。商店街を応援しようとしてくれる人たちをどうやれば作れるのか。奇跡というものがあればそれは必ず行われます。しかしそこに覚悟がないとできません。綺麗な言葉を並べて、あるいは、遠くから見てそのまちづくりを批判することはできます。じゃあやればいいじゃないと言ってもやらないですよね。言うだけですよね。当事者になることによって初めてリスクを負うことによって初めて物事は動くし、奇跡も起こせます。私も64歳になりました。しかし60を超えても、日々努力をしています。
僕が一番心がけているのは僕の Facebook のトップのとこに書いているんですか、挑戦を続ける人でありたいとなと。そして挑戦をする若者を応援する人でありたいなと思います。若者を応援する大人でありたいなと。油商店街というところはチャレンジする若者を応援する大人達がいるんです。がんばれって。アメリカのポートランドではないけれど、あそこは頑張る人間がいっぱいいることが素敵なんです。街並みが綺麗だからじゃなくて、そこにいる人たちが素晴らしい、そこが素敵なところです。若者を応援する若者を引っ張り上げる大人がいることが大事じゃないかなと思います。そして笑顔で来る時が来たら静かに去ってけばいいんですよ。年寄りは。チャレンジする30の若者を年寄りが応援すしなくて誰がするんですか。応援する年寄りが俺が俺がと言っていてはいけない、かっこいい年寄りでいなければなと思います。


当日の参加されたみなさんからは、
・挑戦をすること、一歩ずつ踏み出したい。何かやる時の覚悟が必要ですね。
・挑戦することの大切さを改めて学びました。チームを組んで挑戦していきたいです。頑張ります。
・これまでも油津の動きは取材で追いかけてきましたが、改めて黒田さんのお話を伺って、その覚悟とご苦労に想いを馳せることができました。
・覚悟を持ち、挑戦を続ける人でありたい。
・チャレンジすること、仲間を作る事、覚悟することなど、大切なことを学べました。ありがとうございました。
・いかに地域にある宝を見つけ、どう人をつなぐか、自分の目で見てきた日南市、油津の変化を黒田さんの言葉で改めて聞いて、自分も頑張ろうと改めて思いました。
・今、地域(街)に必要なものは、たまり場、つなぎ場、まさにそのとおりだと思う。
などと、いう感想を頂きました。



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Posted by みやざきNPO・協働支援センター at 14:22│Comments(0)イベント報告
 
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